8.爆発呪文① 刑事の倫理は消し飛んだ
イオ君。
突如として唱えられた爆発呪文によって、取り調べはなし崩しに終わりを迎えた。
織部一家は手続き待ちと言って別室に押し込み、男三人、頭を突き合わせて空き会議室の地面を見つめる。
「どうしてこうなった」
「これ、おおやけになれば監察が動くんじゃ……」
「イオじゃなくて、イオナズン級にまずいっすよ」
まずいどころじゃない。
署長の息子が私刑に加担していた疑いがある。
もしそれが事実なら、微罪であろうと間違いなく署長の引責問題に発展する。
即日辞任レベルだ。
「でも、あの子いう〝たまたま〟って供述がほんとだったら万事OKっすよね? 正当防衛の援助なら正義のヒーローじゃないっすか。名前も正義くんだし」
「アホ。世間的にはそれで良くても、警察内部ではアウトだ。署長の息子が関わっていると分かった時点で、本部の監察が乗り込んでくるぞ。そしたら署長は次の人事で窓際送りだ」
新見が親指で窓を指すと、安野が続ける。
「監察の奴ら、重箱の隅ほじくって重箱ごとぶち壊すような真似するからなあ。……下手したら俺らの首も飛ぶかも」
自分の体を抱きしめて安野が震えた。
「すまんな、新見。あとは刑事課に任せた」
部屋を立ち去ろうとする安野の肩を鷲掴む。
「尻ぬぐいさせといて、爆弾も丸投げか? ああ?」
「勘弁してくれよ。こうしてる時間だって監察から見れば、口裏合わせの時間にとられかねんぞ。関わりたくねえよお」
古田が冷めた声を挟む。
「あの、じゃあとっとと署長に報告しましょうよ。どっちに転んでも署長はアウトなら、俺らがあれこれ考えてても意味なくないっすか?」
二人同時に古田を見る。
こいつはたまに正論をぶち込む。
「まあ、なあ。でも報告すんのも怖いぞ。〝何で耳に入れた、内々に処理しろ〟って怒られたら、それはそれで俺らの立場がなあ……」
「そこはほら、上司の仕事でしょ。俺らはエスカレーションするだけっすよ」
二人の会話を聞きながら、新見は頭を抱える。
内々に処理。
ようは隠蔽しろと言われるならまだいい。
監察さえいなけりゃ、いくらでもやりようはある。
だが、もし署長が「正直にやれ」なんて言ったら、それこそ終わりだ。
五百旗頭署長は新見の知る限り潔癖な人だ。
あの人が正直に息子を差し出し、清廉潔白を証明しようとすればするほど、本部の監察が粗さがしにこの署に居座る。
茉莉奈の供述の穴を徹底的に突き始めるだろう。
そうなれば、新見の守ろうとしている「被害者・織部茉莉奈」の物語も粉々にされるのだ。
「じゃあ俺、課長に連絡しますよ」
「待て」
古田のスマホが宙で止まった。
「……五百旗頭正義? 誰だよそれ。知らねえな」
新見が鼻で笑い飛ばす。二人の視線が突き刺さる。
「名前だけじゃどこの誰かなんて分からない。な、そうだろ?」
古田が大汗をかき首をぶんぶんと振る。
「いやいやいや、無理あります。あんな難読苗字、署長の身内しかありえませんよ。第一、あの子が署長の息子なんですよ~って供述しちゃってるじゃないですか」
「じゃあ、そもそもそんな名前は挙がらなかったことにしよう。いいか、古田。お前はさっきの供述をまだログに残してない。まったく困った奴だ」
「えっ」
古田が固まる。
「おい安野、生安の調べ室って音声取ってないよな?」
「あ、ああ。刑事課と違って簡易もいいとこだからな。映像だけだ」
「よし。じゃあお前はもう行っていいぞ。何も聞いてないし、関わってない。お望み通りにしてやるよ。ほら行け」
しっし、と手で追い払う。
「お、おお……なんか記憶がおぼろげになってきたなあ」
安野は下手くそな演技で部屋を出て行った。
古田がドン引きしながら新見を見る。
「先輩、あんたマジですか」
「マジも大マジだ。どうかしてるって思うか」
「はい、ぶん殴って正気に戻してやりたいと思うくらいには」
新見は深い息を吐きながら、しゃがみ込む。
「だよな、どうかしてる。……でも、なんとかしてやりたいんだ」
古田も屈みこんで新見の顔を覗く。
「念のため聞きますけど、それ、署長のための言葉じゃないっすよね」
「そういうことに、しといてくれ」
「まあ、いいですけどね。あんな子に慕われたら、守ってやらなきゃってなる気持ちは分からなくもないです。……先輩、あの子の〝新見さんスキスキ光線〟にやられちゃったんすか」
ぐ、と喉が詰まる。
「光線っていうか、ありゃもう、発光体だろ」
「先輩、馬鹿っすね。……はあ、もういいです。俺も馬鹿になります。ただこの貸しは高くつきますよ」
古田が差し出した手を掴んで立ち上がる。
「でも先輩。俺の目には、あの子はもう、誰かの庇護が必要な可哀そうな女の子には見えないですけど」
「俺の目にも見えねえな」
古田が目をしばたたかせる。掴んだ手を放り投げられた。
「てことは、えっ。ガチ恋? 署まで連行していいですか」
「署はここだ。違う、そういうんじゃない。あの子が誰の手も必要としてないのは、見てりゃ分かる。……だから痛いんだろ」
張りつめた声に、古田は黙り込んだ。
新見は確かに感じていた。彼女の眩しさの裏にある欠落を。
自分で自分を守らなければならなかった4年間が、彼女をこれほどまでに鋭利で、美しい武器に変えてしまった。
その研ぎ澄まされた刃はあまりに痛々しく、直視することができなかった。
「助けてやりてえよ。そんで、戻してやりたい」
「可愛そうな女の子に、ですか?」
首を振り、指で古田の胸を突く。
「正しい所に、だ」
その言葉が、古田の中で迷走していた正義感の拠り所になったらしい。
古田は頬を紅潮させ、勢いよく頷いた。
「いいじゃないですか。あの子を……あの子を普通の女の子に戻してやりましょう」
拳を握る古田を見て、新見は内心で毒づく。
こいつも大概、ちょろい。
だがその単純さが、今の新見にはひどく有難かった。
古田が救済という名の綺麗事を信じてくれている限り、この隠蔽は正義という形を保っていられる。
新見は古田の肩を叩き、会議室のドアに手をかけた。
「……行くぞ。まずは『正しい調書』の完成だ」
****
そうはいっても、塞がなければいけない口が多すぎる。
保身に走った安野は捨ておくとして、あと少なくとも八人。
茉莉奈。茉莉奈の両親。男子学生4人。そして——堀羊司。
人影の減った刑事課のデスクで、古田のノートパソコンを二人で覗きこむ。
署内共通の供述調書テンプレートは、今はまっさらな状態だ。
この後、茉莉奈とその両親の前で読み聞かせをし、署名と押印を貰わなくてはならない。急ピッチで一から作り直していた。
現在織部一家は安野に対応を任せている。
生活安全課から、今後の安全対策や防犯指導を受けている筈だが、まあ、体のいい時間稼ぎだ。
「実際問題、どうするんですか? 供述書は何とかするとして、人の口はそう簡単には行かないでしょ」
古田は本当にログを取り忘れていた。
この状況においては、万年に一度のファインプレーだった。
「両親はいい。あの人らは茉莉奈ちゃんのためなら、俺以上に喜んで口を閉ざすだろ。中学生4人も、自分たちの将来が懸かってる。下手に喋れば『集団暴行の共同正犯』だ。脅しつければ……いや、諭せば黙る」
余程悪い顔をしていたのか、古田が頬を引き攣らせる。
「問題は堀だよ。あいつが喚き散らせば、全部ひっくり返っちまう」
「ですよねえ。中坊4人に縛り付けられた上に暴行されて、あげく目の前でお菓子パーティだなんて、自尊心も何もあったもんじゃないでしょ。復讐心でぶちまけるんじゃないですか?」
古田が身も蓋もないことを言う。
「あいつの余罪洗って交換条件を持ちかけるか……最悪、管内の未解決事件を何件か並べて、全部お前の仕業にしてやるぞって引っかけるくらいしか思いつかねえな」
「うわぁ、ワルっすね先輩。でもそれ、平気ですか? だってあれでしょ? 堀の親って……」
「……お前は気にすんな。とりあえず今日はもう遅いから、少年らと堀は明日だ。と
っとと調書完成させて、織部ファミリーから片付るぞ」




