9・爆発呪文② 作文発表会
「供述調書。本籍、東京都港区白金台3丁目〇―〇。住居、同上。職業、私立高輪清真学園中等部3年生。氏名、織部茉莉奈。平成21年6月7日生まれ。満15歳」
新見は供述調書を読み上げながら、ちらりと茉莉奈に視線を向ける。
まるでオペラでも聞くような優雅さで、ソファに身を預けている。
両隣で身構える両親とは対照的に、どこまでも落ち着いていた。
「一、私は本年10月17日午後16時半頃、白金台の公園にて男に襲われ、所持していた催涙スプレー及びスタンガンを使用し、相手の動きを止めました。結束バンド等で拘束し、その後通報したことで取り調べを受けている者です。本日は事件発生当時の状況と、これら護身具と拘束具を持ち歩くに至った経緯についてお話しします」
隣に座る古田が、落ち着きなく体の前で指を組み直す。
新見は自慢の低音を響かせ、堂々たる態度で読み上げていく。
付きまといの発生から声かけに至るまで。
護身具、拘束具の購入と所持の理由。
被害者の不利な供述も、文脈をすり替えて都合のいいように整えていく。
こんなもん、どこの警察でもやってることだ。
新見は、半ば自棄になっていた。
「……ナイフについては、刃物を持つことに後ろめたさはありましたが、前述の男からの声かけにより身の危険を感じていたため、お守りとして携帯することで安心感を得ていました。使用するつもりは一切ありませんでした。購入の決め手は意匠を気に入ったことでしたが、このサイズなら相手に重大な傷害を与えることはないだろうと思っていました」
加害の意図はない。
という点をより強調して作り直した部分では、よりによって張本人の茉莉奈が含み笑いで口を抑えた。
……いっそ、笑い飛ばしてくれ。
その後も順調に調書を読み進めていった。
スタンガンのくだりでは、こづかいの金額はあえて調書に残さなかった。
「高額の護身具の元を取らんがために、思わず捕獲に乗り出してしまった」。
そんな後悔の念を交え、白金に住みながら庶民の金銭感覚を持つ被害者像を演出し、好感度アップを図る。
突拍子もない茉利奈の拘束理由を逆手に取った、新見なりの工夫が光る一文だったが、哲郎の顔はみるみる曇っていった。
しょぼくれた声で「小遣い増やそうか……」と囁き、茉莉奈が目を輝かせて頷いたのを見て、心の中で哲郎に詫びを入れた。
さて。気づけば調書のハイライトでもある茉莉奈の反撃シーンに差しかかり、問題の協力者の登場がまもなくとなる。
調書を作る上で、最も苦慮した部分だった。
つい先ほど古田と二人で、ああでもないこうでもないとこねくり回した時間が、もう遠い昔のように思える。
「恐怖から一時も男から目を離せず、持ち歩いていた結束バンド等を取り出す隙はありませんでした。そのため、大声で周囲に助けを求めたところ……」
新見は一度唾を飲み込んだ。
「偶然、近辺を通りかかった同級生の男子学生三人が駆け付けてくれました」
夫妻が困惑の表情で新見を見る。
耐え切れずに俯いたのは古田だった。
「新見くん、それは……?」
「すみません。続けさせてください」
鬼気迫る新見の声に、哲郎は口を閉じ汐莉と顔を見合わせた。
茉莉奈だけが、この状況を楽しむように脚を揺らしている。
過剰な暴力行為を緩和するため、新見の描いた筋書きは、こうだ。
「高輪学園の校訓は『和敬清寂』。私たちは、本来暴力とはもっとも縁遠い存在です。そこにいる誰もが、暴れる男を前に恐慌状態に陥っていました。そのため力加減が分からず、トイレまでの十数メートルを引きずる際も、興奮状態でどのような接触があったか正確には覚えていません」
哲郎が顎を撫でさすり、汐莉が頬に手を添える。
とうに開き直っていた新見にも羞恥心が舞い戻り、思わず赤面した。
「拘束を終えると、私達は互いに声を掛け、怪我がないか無事を確かめ合いました。しばらく全員が虚脱したような状態でした。そのため、あえて持っていたお菓子を口に含むことで、平常心を取り戻そうと努めました。通報まで40分も経過していたことを後で知り、自分でも驚きました。それだけ私たちは、異常な状況に冷静に対応できていなかったのだと思います」
お菓子パーティーも言い換えれば、異常事態への清涼剤となる。
「協力してくれたのは、小岩井涼くん、櫻田晴翔くん、日吉虎太郎くんの三名です」
五百旗頭正義の名前は存在ごと、抹消した。
哲郎が考え込んでいる。
彼ならば、そうしなければならない理由が思い当たるかもしれない。
いかに茉莉奈と少年たちが、無力で、哀れで、幼気な少年少女たちだったかを強調した言葉を詰め込んだ文章も、残すところ数行となった。
「——彼らがいなければ、私はどうなっていたか分かりません。協力してくれた三人にはとても感謝しています。……以上です」
終わりを告げても、誰も口を開かない。
古田が労うように背中を叩く。
ジャケットの中のシャツがじっとりと背中に張りついた。
沈黙を切り裂いたのは、手を叩く音だった。
「すごいすごい! なんか、ほんとにそうだったみたいに聞こえます」
茉莉奈のはしゃいだ声が宙に浮く。
それは事実は別にあると言っているのと同義だった。
「でも、なんでイオ君は消されちゃったんですか? 頑張ったのにかわいそう」
小首を傾げる茉莉奈に、新見は苦り切った視線を向ける。
「茉莉奈ちゃん、あのな、」
「なるほどな。五百旗頭署長の息子は、そこまでアンタッチャブルな存在だということか」
哲郎が厳しい声を挟む。
「新見君、君が娘の供述を苦心して整えてくれたのは伝わった。だが、これにサインしろと、君はそう言うのか?」
新見はいたたまれず、靴の先を見る。だが、ここで負けてはいられない。
「彼の存在は、我々だけではなく茉莉奈さんにとっても危険なんです」
「新見さん。それは、どういう事ですか」
汐莉が眉根を寄せ瞳を揺らす。
その背を哲郎が撫で、諦観の表情で呟いた。
「……まったく警察組織というものは、身内の不祥事に厳しすぎるな。皮肉なことに、それが隠蔽を誘発して組織を腐らせていく。……新見君、調書に彼の名前が乗ると監察が動く。そういうことだな」
「ご理解が早くて助かります。五百旗頭署長は、俺の知る限り隠蔽なんてしない人です。だからこそ厄介なんですよ。監察が入れば、この件は全部洗われる。署長の息子の処分に手心を加えたと思われないがために、本来なら不問で済む部分まで厳しく処理される可能性がある」
「そんな、茉莉奈は被害者なんですよ?」
汐莉の言葉に、新見は深く頷いた。
「そうです。しかし署長の息子が関わった時点で、すでに『通常の刑事事件』ではなくなってしまった」
「そんなの、あんまりだわ。茉莉奈も彼らも、正当防衛で必死に戦っただけじゃないの」
汐莉が震える手でハンカチを握りしめる。
「正当防衛……本当にそうなら、良かったんですがね」
新見の言葉に、汐莉と哲郎の顔が固まった。
「織部さん。事態は、正当防衛はおろか、もはや過剰防衛の線ですら抑えきれない方向に転がっているんです」
隣の古田に目配せをする。
古田はスマートホンを点灯させ、画面を操作する。
「新見君? 一体何を、」
「茉莉奈ちゃん。君は悪い子だな」
茉莉奈が揺らしていた脚を止め、眉を上げた。
「そうですか? よくいい子だねって言われますけど」
「いいや。俺に嘘を吐いた。いい子とは言えない」
茉莉奈の口元から、すっと笑みが消えた。
温度を失った瞳と視線が絡む。
「君は、やっぱりつきまといの相手が堀だと知っていたんだよ。いや、正確には……君は自分から奴を呼び寄せた」




