7.発光体は無邪気に笑う④ 見え透いた嘘
哲郎と汐莉の分の予備のパイプ椅子を持った安野が入室した。
室内の異様な雰囲気に視線を彷徨わせると、部屋の隅に椅子を並べて逃げるように退散していった。
「織部さん。性犯被害なので、彼女も親の前で話しづらいことも多いでしょう。本来なら単独聴取が望ましいですが……今回は事が事なので同席は構いません。ただし、聴取中は口出しをしないで頂けますか?」
「あ、ああ。分かってる」
茉莉奈の両親を着席させ、それぞれが元の位置に戻る。
女性警察官は、両親も同席し茉莉奈の精神的負担も軽減されたと判断して退席させた。あまりギャラリーが多くても圧力になる。
これからの聴取は確信に迫る部分だ。
新見は茶を口に含み、唇を湿らせる。
だが、やることは一つ。
何が出てこようと、茉莉奈を守ることに帰結させる。
それこそが自分の使命のように思えた。
「まず、聞けていなかった君の今日の行動から教えてほしい。部活動が終わって、帰宅中の事を話してくれ」
「はい。えっと、陸上部の部活が終わったのが16時ちょっと前で、泉岳寺駅から乗車して白金台駅に着いたのが、16時15分くらいだったかな。それで、自宅付近でも気配を感じたことがあったので、まっすぐ外苑西通り沿いを通るのは避けて、大きく迂回しました」
「あの公園を通ったのは?」
「うっかり遠回りしすぎちゃったんです。思ったより暗くて怖いなって思ってたら、公園に引きずり込まれて」
汐莉がひゅっと息を呑む気配を感じる。
「報告書にはそれが16時半頃とあるが、間違いない?」
「時計を見たわけじゃないので正確には……。でも駅からあそこまで歩いたら、そのぐらいになると思います」
茉莉奈と短く視線を交わす。
時間の明言も上手く避けている。後々に矛盾を突かれにくい良い供述だ。
「引きずり込まれる前、公園横の路地を通った時に近くに人はいた?」
「見てません。というか、公園の中も外も暗くて、居ても分からなかったと思います」
10月のこの時期、該当の時間は急激に陽が落ちる。
白金台は住居の塀も高く、坂が多くて見通しも悪い。
人影がない、あるいは見えなくても不思議はない。
「じゃあ……ごめんな。引きずりこまれた後の事を教えてほしい。あの男に、植え込みの中に押し倒された。その時の事を」
哲郎が威嚇するように咳払いをする。
「はい。えっと、まず掴まれた腕を引っ張られて、そのまま押し倒されました。でもその時には、もう片方の手で胸ポケットの催涙スプレーを掴んでたので、触られたりする前に顔に向けて噴射しました」
夫妻と新見はほっと息を吐く。
「よく冷静に対処したな」
茉莉奈は顔を綻ばせ、えへへと笑う。
「それで、堀が目を押さえて悶絶してたので、その間に鞄からスタンガンを取り出しました。こう、鳩尾っていうんですか? ここにブスーっと押し込んでスイッチを押しました」
茉莉奈は自分の鳩尾を押さえ一所懸命に解説する。
話していることは物騒なのに、その様子は微笑ましい。
「一瞬びくってなって、動きが止まったんですけど、数秒経つとまた動き出したので、たぶん十回以上繰り返したかも」
スタンガンが残量切れになっていたのはその為か。
新見にとっては痛快な話だが、十回以上となると過剰防衛に問われるリスクが高い。
どうしたものかと思案していると、哲郎が堪らず口を挟む。
「新見くん、君も堀と対峙したんだから分かるだろう。あんな巨漢相手に、命の危険を感じないわけがない」
古田が止めようと席を立つが、新見は手で制する。
「ええ、パニックによる責任阻却事由にあたるでしょう。その点は調書で丁寧に拾います」
「せ、先輩?」
古田が青い顔で注進する。
「刑事が法的評価を決めるのは逸脱してませんか。調書にはあったことしか——」
「んなもん分かってる。〝茉莉奈さんがどう感じたか〟を調書に残せばいいんだよ」
それを聞いて茉莉奈が追従する。
「すごく怖かったんです。少しでも隙を見せたら動きだして、殺されちゃうんじゃないかって……だから、とにかく動きを止めなきゃって。本当は回数なんて覚えてません」
哲郎が満足気に頷いて、パイプ椅子に深く身を沈めた。
「古田、いまの一言一句そのまま記録しとけ」
「……分かりましたよ」
古田が緩慢な動きでキーボードを叩くのを見届けると、聞き取りを続ける。
「それで、君は堀の動きを止めた後、どうしたんだ?」
「動きを止めたって言うか、動き出さないか不安だったんで、落ち着いて拘束なんて出来ませんでした。だから大きな声で助けを呼んだんです。〝誰かいませんか、助けてください〟って。そうしたら——」
「そこに現れたのが、協力者?」
茉莉奈がぱっと笑顔を咲かせる。無機質な空間が途端に華やいだ。
「そうなんです! すっごい偶然なんですけど、高学の陸部の仲間がたまたま通りかかって、助けてくれたんです!」
空間に舞った花が、凍った。
「た、たまたま?」
新見の声が情けなく裏返る。
「はい、たまたま。同学年の男の子4人なんですけど、私がテープと結束バンドが鞄に入ってるって言ったら、あっという間に堀を縛り付けてくれたんですよ」
さすがにこれは、「そうか偶然か。良かった良かった」じゃ済ませられない。
これでは、その男子生徒ら4人への裏取りを避けて通れないじゃないか。
縋るように哲郎を見ると、彼も、隣の汐莉も唖然と口を空けている。
古田は新見に向けて必死に手でバツを作る。
茉莉奈以外の全員の顔に、「そんな馬鹿な」と書いてあった。
「そ、その子らはなんで近くにいたのかな。近所に住んでるのか?」
「イオく……えっと、1人はここの警察署のすぐ近くですけど、他の3人は知らないです。みんなでランニングでもしてたのかな? 陸部だし」
かな? と言われても。新見は途方に暮れる。
「か、彼らが女子トイレにわざわざ堀を移動させたのは? 4人がかりでもかなりの重労働だった筈だ。拘束しただけで十分逃亡は阻止できただろ」
「うーん、そういえばなんでだろう? なんで女子トイレだったのかな? 男子トイレじゃダメだったのかな?」
いや、論点はそこじゃなくて……。
なんか、急に雑になってないか?
先ほどまでの隙のない供述はどこに行った。
「じゃあ、通報が遅れたのは? 君が押し倒されたのが16時半頃、通報は記録では17時7分になっている。拘束にかかった時間が君の言う通りあっという間だったなら、40分近くあるだろ? その間、彼らと何を?」
「えー? 何だったかな? おしゃべりしてたかも」
「お、おしゃべり」
新見の額に冷たい汗が滲む。
被害に遭った直後の40分、拘束した犯人を横目に談笑?
調書に書けるか、そんなもん。
だが、茉莉奈の瞳はどこまでも無垢に自分を映している。
「怪我はないー? とか、みんなありがとーとか。……あ、お菓子も食べたかな」
「おかし」
古田がハンズアップして椅子を回転させた。
新見は見なかったふりをして話題を逸らす。
「彼らの存在は、どうして隠してた?」
茉莉奈がけろりと言う。
「大会が近いんです。うち私立校だし、こういう問題事とか五月蠅そうじゃないですか。だから、迷惑かけたくないなと思って、みんなには帰ってもらったんです」
そこは聞く限りでは筋は通ってる。
しかし、彼らの登場自体が、その不自然さをぬぐい切れていない。本当は、リンチ行為が露見するのを恐れ、彼らの存在を隠したのではないか?
新見はそんな疑問を、遠回しに聞いてみた。
「その、さっき聞いただろ? 堀には相当数の外傷がある。男子生徒たちは拘束の際、あるいはトイレに連れ込んだ後、殴ったり蹴ったりの暴力は振るってないか?」
「みんなお坊ちゃんだし、暴力なんて……結束バンドで後ろ手に縛って、引きずっていっただけです。ああ、でも、トイレに連れ込んだあとは、私は見てな——あ、」
茉莉奈が手で口を抑える。
「ど、どうした」
新見は嫌な汗が噴き出る。
「い、いえ。なんでも。ええっと……あの人、暴れたから。押さえつける時、ちょっとぐらいは怪我しちゃったかな。でもそれって仕方ないですよね。正当防衛でしょ?」
そう言って、茉莉奈は春の風より軽やかに笑った。
怪しさ満点だ。
どうやら、トイレ内の出来事は、茉莉奈にとってもブラックボックスらしい。
新見は低く唸った。
仮に偶然が本当だとするなら、正当防衛の援助行為として罪には問われない。
しかし、それも暴力の程度による。
手元の報告書による外傷所見は、茉莉奈の言う〝ちょっとくらい〟の怪我とは程遠く、過剰防衛に取られかねない所業であった。
さらに、もし彼らが共謀して集まったのだとしたら、それは暴力の有無に関係なく、暴行・傷害・監禁の共同正犯が成立してしまう。
茉莉奈は今、協力者を告白したことで危ない橋を渡ろうとしている。
新見はその4人の名前や連絡先を聞かないわけには行かないのだ。
裏取りをして大丈夫なのか?
ちゃんと口裏を合わせているのか?
否、もし口裏を合わせていたとしても、堀が「中学生たちにハメられた」と一言でも言えば、築いた防壁は途端に崩れ落ちる。
果たして中学生が、被害者と加害者の双方の証言に齟齬の出ないストーリーを、考えられているだろうか。
新見はふいに閃いた。
通報までの空白の40分。
おそらくそれは、口裏合わせの時間だったのだ。
「先輩、」
「……わかってるよ」
古田の催促に、苛々と返す。
落ち着け。
もし仮に共謀が真実だとしても、それが露見したところで、茉莉奈も少年たちも大した罪にはならない。
なにしろ相手は強姦未遂の前科がある凶悪犯だ。
現に過去と現在において茉莉奈を襲ったという強固な事実がある。
検察も家庭裁判所も極めて寛大な処分を下すはずだ。
おそらく不処分、悪くて保護観察くらいだ。
でも、そんなのは理不尽だ。
そう思ってしまう自分がいる。
貞操を脅かす怪物から身を守るため、必死に知恵を絞った茉莉奈がなぜ罪に問われなければならない。
たとえ微罪であっても、あんな男のせいで彼女の人生に傷がつくことは許しがたかった。
じっとりと汗の滲む掌を握りしめ、新見は意を決して口を開いた。
「……茉莉奈ちゃん。俺たちは、事件に関与したその4人にも話を聞かなきゃならない。名前、教えてくれるかな」
「はい、別にいいですよ。もうしょうがないですし」
こちらの葛藤も知らず、茉莉奈はあっさり答える。
「じゃあ言いますね。ええと、まず小岩井 涼、櫻田 晴翔」
指折り数えながら名前を挙げていく。
「五百旗頭 正義……あ、この子は同じクラスです。あと日吉 虎太郎。で、最後かな」
五百旗頭?
今聞き捨てならない苗字が混ざった気がする。
古田と新見は顔を見合わせ、青ざめる。
「茉莉奈ちゃん、いま、いおきべ君って言ったか?」
「はい。あー、漢字難しいんですけど、漢数字の五百に、フラッグの旗、あとは頭で……」
あたま、といいながら茉莉奈が頭に両手を乗せる。可愛いけど、そうじゃない。
「なあ、その子のお父さんって……」
茉莉奈が、今思いついたと言わんばかりに手を叩く。
「そうそう。イオ君のお父さん、ここの署長さんなんですよ。すごいですよね」




