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4.発光体は無邪気に笑う① 再会

 高輪署の裏口をくぐると、壁にもたれていた安野が顔を上げた。


「新見、戻ったか。さっきやっと親御さんと連絡がついたぞ。いまこっちに向かってる」

「そりゃ良かった。未成年だし、親が来ねえと踏み込んだ聴取ができねえからな」


 廊下を進みながら、安野から初動報告書を受け取る。

 新見はパラパラと流し見しながら尋ねた。


「堀は?」

「刑事課に引き渡した。いま所持品と身体検査をやってる頃だろ」


 新見は短く頷き、報告書を古田に渡す。


「まずは被害女児の調べからだな。古田、お前書記やれ。でも場合によっては出てってもらうぞ。あんまり圧、与えたくないからな」


 古田が一瞬抗議しかけ、すぐに大人しく頷いた。


「……新見、あのな」


 安野が古田に投げた報告書に視線をやる。どこか言い淀むような影があった。


「報告書。被害女児の名前、見てくれ」

「なんだよ」


 新見は歩みを緩め古田から報告書をひったくると、書類の一行に目を落とした。

 その瞬間、足が止まった。


「……嘘だろ」

 

 一行目に躍る活字が網膜に焼き付く。喉の奥が、急速に干上がっていく。


「俺は二年前に転勤してきたから知らなかったんだが、さっき親御さんに電話で酷くどやされてな。堀の過去の事件洗って、たまげたよ」

「えっ、どうしたんすか」


 尋常じゃない空気を悟って古田が狼狽する。

 絶句した新見に代わり、安野が口を開く。


「四年前の事件も、今日の事件も、()()()()()()()()()()なんだ」

「へ? それって、」

 

 古田は理解が追い付かない顔をする。


「まずいよ。生安は堀の所在不明を把握してたし、親御さんは怒り心頭だった。

 ったくよお。仮釈放を許した法務省と、監督不行き届きの保護観ほごかんが責めらんないで、親から追及受けるのはウチだろ? 勘弁してほし——」

「んな話、どうだっていいだろ!!」


 怒声が、廊下に反響する。


「……新見、落ち着け」


 安野が困惑して周囲を伺う。

 当直の警官たちが、遠巻きにこちらを注視していた。

 新見は荒い呼吸を押さえる。


「茉莉奈ちゃ、被害女児は? 生安の調べ室か?」


 組織の責任論なんて些末なことだ。ただ、あの子の無事を確かめたかった。


「あ、ああ。生安の聴取室の方が、ソファもあるし、落ち着くだろ。そっちに通して」

「わかった」


 言い訳がましい安野の言葉を切って背中を向ける。

 エレベーターを待つのも煩わしく、階段へ直行して駆け上がる。

 

 肩で風を切り生活安全課に踏み込んだ刑事に、課員たちが一斉に顔を上げた。

 ちょうど聴取室から出てきた女性警察官がその場で立ちすくむ。


「被害女児は?」

「あ、はい、います。中に」


 手元の空になった湯呑をみて「俺の分も頼む」と告げた。

 小さく頷いて立ち去る女性警察官を横目に、ノックしようと上げた拳が、後ろから止められた。


「先輩ストップ。顔、怖いっす」


 振り返ると、古田が青い顔で立っている。


「笑顔、笑顔」

「……ああ、だよな」


 新見は短く息を吐き、口元を無理やり引き上げる。

 古田が「え、こわ」と、顔を引きつらせた。


 三度ノックを響かせる。


 扉を開けた瞬間、新見の視界を支配したのは、無機質な白い壁でも、古い事務机の角でもなかった。

 聴取室の中央、二人掛けのソファに座る存在。

 

 一瞬、淡く発光しているのかと思った。

 

 人間は代謝の副産物として微弱な光を放つという。

 だが肉眼で見えるはずもなく、新見の目は高感度なカメラでもない。

 それでも、目には確かに光として映った。


「新見、さん?」

 

 喉が張りつき、反応が遅れる。

 新見の声帯が震えるよりも先に、彼女が立ち上がった。


「やっぱり、新見さんですよね」


 絹糸のように真っすぐに落ちる黒髪を揺らし、発光体が近づいてくる。

 

 これは、誰だ。

 

 織部茉莉奈おりべ まりな

 彼女は花が開くよりも柔らかく、ほほ笑んでいた。


 傷つき、怯え、心を閉ざしていた少女の面影はどこにもない。

 ましてや、幼い我が身を地獄に突き落とした男と、つい先ほど対峙したばかりの筈だ。そんな気配は微塵も感じさせず、無邪気に笑いかける少女に、新見は戸惑いを隠せなかった。


「良かったあ。まだ異動になってなかったんですね。警察官って転勤が多いって聞いてたから、もう会えないかと思ってました」

 

 透き通る清涼な声で告げられる言葉に、胸の内がざわつく。


「茉莉奈ちゃん……あ、いや。織部さん、久しぶりだな。元気そうでよかった」


 元気だって? 性犯被害者にかける言葉か。

 新見は小さく咳払いをした。


「やだ。茉莉奈でいいです。昔みたいに呼んでください」

「そういうわけには、」


 茉莉奈が一歩近づく。石鹸の清潔な香りが鼻をふわりと掠め、眩暈がした。


「顔、怖いですよ。笑顔笑顔、でしょ?」


 いたずらな笑みを浮かべ、上目遣いに新見を見つめる。


「……聞こえてたのか」

「聞こえちゃいました。あの時は、笑いかけてくれたじゃないですか。おじさんじゃなくて、お兄さんだよって」

「もうおじさんでいいよ。三十路になったしな」


 艶めく指先がすっと持ち上がり、新見のジャケットの襟をそっと撫でた。

 茉莉奈の目が懐かしそうに遠くを見る。


「三十路でも関係ないです。新見さんは、あの日からずっと私のヒーローですから」


 足先から脳天にかけて、微弱な電流が走る。

 反射的に一歩退こうとしたが、それよりも早く、背後から古田に腕を強く引かれた。


「あの、感動の再会もいいですけど。そろそろ聴取、始めません?」


 古田の胡乱な目が二人を交互に見る。

 その視線に射抜かれ、新見は自分が刑事であることを思い出した。

 喉の奥にへばりついていた甘い香りを吐き出す。


「……ああ。そうだな。茉莉奈ちゃん、座ってくれるか。状況を確認したい」


 新見は古田の手を振り払い、茉莉奈をソファへ促し自身も対面の席に腰を降ろす。

 しかし茉莉奈は何を思ったのか、新見の隣に腰を降ろした。

 ぴったりと。


「ま、茉莉奈ちゃん?」


 ぎょっとして仰け反る新見をよそに、茉莉奈はにこにこと見上げる。


「新見さん、先輩になったんですね」

「へ? あ、ああ、さすがにもう四年目だしな。いつまでもぺーぺーじゃいられない……ってそうじゃなくて。その、隣はまずいよ」


 制服の布越しに、体温が伝わりそうな距離に居心地を悪くする。

 隅の事務机に座った古田も唖然と目を剥いている。


「どうして? さっきの婦警さんは隣に寄り添ってくれましたよ? 不安だろうからって」

「いや、彼女は女性だから。それに君だって男に襲われたばかりで、嫌だろ? こんなデカい男が近くにいたら」

「もう! 言ったじゃないですか。新見さんは特別なんです。世界で一番、安心安全」


 するりと腕に手を回され、新見は喉を詰まらせる。


「そ、う思ってくれるのは嬉しいけど、これじゃ聴取が」

「織部さん」


 冷えた音が遮る。


「あのね、君は未成年だし、我々もあんまり長く署に君を留め置いておけないんだ。悪いんだけど、聴取がスムーズに進むよう、協力してくれないかな」


 古田の言葉に、新見は固まった。

 あの阿保にこんなにまともなことが言えようとは。

 あまりの変貌に、感動よりも心配が先に立つ。


「それとね。君が良くても未成年の異性相手にそんなにベタベタしてたら、問題になるんだ。君の尊敬する新見刑事がね。分かる?」


 茉莉奈の手が震え、新見の腕から抜け落ちた。


「あ、ご、ごめんなさい。私、新見さんに会えて浮かれちゃって。お仕事の邪魔する気はなかったんです」


 長い睫毛が伏せられる。

 花が萎れたようなその姿に4年前の影が重なり、胸を鋭く突かれた。


「……茉莉奈ちゃん、俺のことは気にしないでいい。それに聴取だって別に今日終わらせなきゃいけないわけじゃないし、君のペースに合わせるから」

 

 古田を横目で睨みつけると、奴は頭を抱えていた。

 何だっていうんだ。

 

 ちょうどその時、女性警察官が人数分の茶を持って入室した。

 彼女に一言告げてこの場を任せ、古田の腕をつかんで部屋から出た。

 

 生活安全課の給湯室に古田を引きずり込むと、新見は一喝した。


「おい、どういうつもりだ。圧はかけたくないって言っただろ。あんな言い方したら、かわいそうだろうが」

「あんた、まじでやばいって。職質レベルですよ。傍から見たら完全にアウトです」

「はあ?」


 ああもう、と古田は髪をぐしゃりと掻き上げる。


「先輩。いまの距離感、正常だと思います? 親御さんがいても、あの調子で鼻の下伸ばしながら進めるつもりですか」


 新見は絶句する。


「できないっしょ。できないってことは、あの子の距離の詰め方も、それに絆されかけてる今の先輩も、異常なんですよ」


「お前、大げさな……。あのな、俺はあの子と別件でも何度か顔合わせてんだ。今日みたいなことがあって心細い時に、知り合いがいて安心してるだけだろ。穿うがった見方してんじゃねえよ」


「心細いって顔ですかね、あれが」


 古田が真顔で諭す。


「先輩、冷静になってくださいよ。決め打ちすんなって先輩の言葉っすよ。いまのあんた、決め打ちどころか、大暴投の球に必死にバット振ってるみたいで見てられません」


 後輩からいつもの軽さが消え失せ、新見は狼狽える。


「お前、どうした。万年に一度はもういいのかよ」


 古田は生安の冷蔵庫を勝手に開け、客用と思われるミネラルウォーターをあおる。


「センターは、バッターもキャッチャーも俯瞰して見れるってことっすよ。俺も打席に立ってりゃ、きっと攻略されてます。あの子に」

「お前がやましい目でみてるからそう思うだけじゃ……まあ、いい。距離が近すぎってのは分かったよ。配慮する」


 古田は無造作に袖で口元を拭う。


「それでいいです。()()として、()()を全うしてください」


 こいつにだけは一生言われたくなかったセリフに、新見の矜持が音を立てて削られた。


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