5.発光体は無邪気に笑う② 籠絡される刑事
聴取室に戻ると、女性警察官は茉莉奈の横に座っていた。
不自然に距離が遠い。
未成年者に寄り添う庇護の姿勢は見られず、圧倒的な美しさを前に恐れおののいているように見えた。
「新見刑事はお知り合いということですし、私、離席した方がよろしいでしょうか?」
見上げた視線は固い。
「いや、いてくれ。デリケートな話もあるし、女性がいた方がいい」
ぎごちなく頷いた女性警察官の後ろで、古田も満足そうに頷いた。
何様のつもりだ。
新見は茉莉奈のはす向かいに腰を降ろした。
「待たせたね、織部さん。現場で聞いた話の繰り返しになる所もあると思うが、一つずつ確認させてほしい」
「……わかりました」
一瞬、茉莉奈が寂しそうに顔を陰らすのを必死に見ない振りをした。
新見は初動報告書と照らし合わせながら、人定質問を形式的に確認していく。
いくら既知の間柄であろうと省くことのできない儀式のようなものだ。
「はい」「そうです」「間違いありません」と、茉莉奈も淀みなく答えていく。
「それで、つきまといを受けていたというのは、いつ頃から?」
「一週間前、はっきり気づいたのは10月12日からだったと思います。その前から、なんとなくつけられてるかなって気配は感じてたんですけど」
「どうしてはっきり分かった?」
「通学中の満員電車で、後ろから声をかけられました」
新見はペンを止めた。
逃げ場のない空間での声かけは、つきまといの「質」が変わった証拠だ。
「〝久しぶりだね〟って。一瞬知り合いなのかと思ったんですけど、その、下の、あれを押し付けられて……すぐに違うって分かって、怖くて振り向けませんでした。だからそれが、堀羊司だったかどうかは分からないです」
茉莉奈は俯いてスカートの裾を握り締めた。
新見は奥歯を音が立つほど噛みしめる。
「それは怖かったな。すぐ逃げ出せたか?」
「はい。次の泉岳寺駅で電車を出て、ついてきてないって分かったのでそのまま学校に行きました。それで、これまでのつきまといとはちょっと違うなって」
「これまでの?」
心臓が嫌な音を立てる。
「私、よくつきまといされるんです。でも大抵はこっちから〝警察呼びますよ〟って声かけるとすぐ居なくなるんですけど、あっちから声かけられたのは初めてで……」
事も無げに言う茉莉奈に、新見は愕然とする。
こんな話を慣れた調子で口にする年齢ではない。
「なあ、茉莉奈ちゃん」
古田のキーボードを打つ手が止まる。新見は気づかずに続けた。
「そういう輩に屹然と対応するのは確かに一つの手だ。けど、危険すぎる。電車での事もそうだ。そういう時は駅員室に駆け込んだり、警察を呼んでくれ。頼むから」
指先で唇をいじりながら、茉莉奈は難しい顔をする。
「うーん、そうすると面倒なんですよね。時間も取られるし」
新見が口を開くより先に茉莉奈がにこっと笑った。
「でも新見さんがそういうなら、今度からはそうします」
その笑顔が、いちばん危ない。
直視した新見は眩しさに目を眇める。
「あー、ちょっと確認いいかな」
事務机から古田が咳払いをして口を挟む。
振り向いた茉莉奈に一瞬怯むが、そのまま続けた。
「さっきの電車のこと、もっと具体的に話してくれるかな。もしそいつが堀だったとしたら、事実確認のためにちゃんと聞く必要があるんだ。……ですよね、先輩」
「あ、ああ」
古田にフォローされている事実に胃が重たくなった。
「茉莉、織部さん。君がその、押し付けられたっていう事だが、具体的には……」
無理だ。
早々に諦めて女性警察官に目配せをする。
短く頷いた女性警察官は、言葉に配慮しながら一つずつ精査していった。
衣類越しか、肌に触れたか、接触部位は、時間の間隔は——。
茉莉奈は新見を気にしながらも、正確に答えていく。
日時も何両目の車両かもはっきり分かっているので、沿線のホームの監視カメラに堀の姿さえ映っていれば、不同意わいせつの立件も進められそうだ。
調書にメモを落としながら、新見の腹の底は沸々と煮えくり返っていった。
堀の仮釈放の出所日は10月1日。
その翌日に保護司との最初の面接が行われて以降、連絡も付かず、住居からも姿を消していたという。
茉莉奈と電車で接触した相手が仮に堀本人で、それ以前のつきまといの気配も同一だとしたら、出所後すぐに彼女を追け狙っていたことになる。
一体、更生保護委員会の奴らは堀の何をみて仮釈放を許した。
安野じゃないが、その責任を追及したい気分だった。
「言いにくいことをありがとうね、織部さん。新見刑事、このくらいでよろしいでしょうか?」
「ああ、ありがとう」
新見の視線が戻ると、茉莉奈は恥ずかしそうに顔を伏せた。
しかし、ここからが本題だ。
「それで織部さん。君から預かっている物を確認させてほしい」
古田がタイミングよく押収箱を目の前のテーブルに置いた。
「すべて君の持ち物で間違いないか?」
「はい。全部私のです。電車でのこともあって、怖くなってネットで買いました」
具体的な購入経路を聞き出しメモしていくと、茉莉奈が不安そうに膝をすりあわせた。
「あの……別に持ってても問題ないですよね? 護身用だし……」
「ん? ああ。所持していた理由も、さっきの話からすると正当性もあるし問題ないよ。質問も形式的なもんだと思ってくれ。加害の意図が無いと分かれば、それでいいんだ」
言ってから、甘すぎる返しだったと自覚する。
職務に意識を戻すように、新見は咳払いした。
「あー、それで。このナイフだけど、なぜ持っていたか説明してほしい。使ったかどうかと、数ある中でこのナイフを選んだ理由も」
折り畳みナイフは刃渡りが六センチ以下のごく小さなものだった。
銃刀法違反の規制外だが、それでも軽犯罪法に問われる可能性はある。
所持の理由が「護身用」なんて言い訳は、普通ならその場でボツだ。
だが、相手はあの堀だ。
執拗なつきまといの事実があれば、不問に付される可能性は高い。
まさか、そこまで計算したのか?
「使ってません。お守り替わりに持ってただけです。それを選んだ理由は、んー」
茉莉奈は顎に指をあてて視線を宙に浮かせる。
「可愛かったから、かな?」
「は?」
「小さい方が、可愛いじゃないですか」
横の女性警察官が噴き出す。
小さくて可愛い、ね。
君が持てば厳ついダガーナイフも魔法のステッキみたいに可愛いだろうよ。
新見は遠い目をした。
「理由は『意匠が気に入ったため』。古田、そう打っておけ」
古田が「いいんすか、それで」と言いたげな顔をしたが、新見は無視した。
「で、代わりに催涙スプレーとスタンガンを使って迎撃したと」
「はい、そうです」
「じゃあこれは?」
結束バンドとダクトテープの入った袋を、それぞれテーブルの上に置く。
「これを持ち歩いていた理由を、教えてくれ」
文化祭の準備でも、何でもいい。
新見が「取り越し苦労だった」と笑えるような説明が、彼女の口から飛び出すことを祈らずにはいられなかった。
「せっかくだし、チャンスがあれば捕まえちゃおうって思ったんです。だってスタンガン、すごく高かったんだもん」
新見は瞑目する。だもん、て。
「三万もしたんですよ。今月のおこずかい無くなっちゃった」
と、こぼす茉莉奈。
富裕層の小遣いの額にびびりつつ、頭を抱えたくなった。
「……理由は『消費者心理からのもったいない精神』とかで、いいですか先輩」
古田が疲れた顔で言う。
良いわけがない。だがいくら調書の上で言葉を取り繕おうと本質は変わらない。
新見はやぶれかぶれに頷いた。
「それで。電車での一件から、これらを持ち歩いていたということだけど、今日までに一度も相手の姿は見なかったのか?」
「はい。足音とか、振り向くと隠れる人影とかはありましたけど、はっきりとは……」
新見は喉の奥に力を込める。
「じゃあ、今日までそれが堀だとは分からなかった?」
静寂が落ちる。誰かが唾を飲み込む音が響いた。
「やだ、新見さん」
茉莉奈は綺麗な柳眉を下げ、新見を咎めるように視線を強めた。
「相手が堀だって知ってたから、こんなものを用意した……そう言いたいんですか?」
図星を突かれ、背中に汗が伝う。
「いや、そういうわけでは……。ただな、君は今までの付きまといには、逆に声をかけて撃退してきた訳だろ? なんで今回に限って拘束具まで揃えて確保に至ったのか、ちょっと疑問に思っただけで、」
「堀羊司は六年の求刑だったんですよ? まさかもう出てきてるなんて、私も両親も知りませんでした」
鋭い返しに思わず口を噤む。
「そう、だよな」
新見の喉から、掠れた声が漏れる。
そうだ。普通に考えればそうだ。
刑期を覚えていたとしても、仮釈放の正確な日時は当事者でも把握しきれない。
警察内部や更生保護の関係者でもない限り、堀が「今、外にいる」と断定して網を張ることなど不可能なはずだ。
「不安だったんです」
茉莉奈は膝の上で指を絡め、震える声で続けた。
「あの日から、ずっと。似たような背中の人を見るだけで心臓が痛くなって。もしまたあんなことがあったら、今度は新見さんがいないかもしれない。だからせめて……動けなくしなきゃって」
視線を落とし、睫毛を濡らす彼女の姿は、痛々しい後遺症を抱えた被害者そのものだ。
「ごめんなさい、変ですよね。こんな物持ってるなんて、新見さんに嫌われちゃう……」
「嫌うわけないだろ!」
反射的に身を乗り出す。
新見は、一瞬でも茉莉奈を疑った自分を恥じた。
4年前、彼女の日常を地獄に変えたのは堀だ。
その恐怖が彼女に過剰な自衛を強いた。ただそれだけのことだ。
それを疑うなんて、あまりに非道ではないか。
新見は隣で凍りついている女性警察官の視線にも気づかず、必死に言葉を繋いだ。
「悪かった、変なことを聞いた。……茉莉奈ちゃんは、ただ怖かったんだよな」
カチ、と古田が指を鳴らした。
あるいは、キーボードを叩く手が止まっただけかもしれない。
俯いた茉莉奈の口元にほんの一瞬だけ、三日月のような弧が描かれた気がした。
その時、ノックの音とほぼ同時に扉が開いた。
「すまん聴取中に。新見、ちょっといいか」
安野が顔を見せ、古田がほっとしたように息を吐く。
新見は小さく舌打ちをして立ち上がり、茉莉奈の前で腰を屈める。
「茉莉奈ちゃん、ごめん。すぐ戻るから」
茉莉奈が潤んだ瞳で新見を見上げ、弱弱しい笑顔で頷いた。
後ろ髪引かれる思いで部屋を出ると、安野がぽかんと口を開けている。
「お前、」
「なんだよ」
「あ、いや……今さっき親御さんが到着した。聴取中だって言って、状況説明も兼ねて別室で待機してもらおうとしたんだがな。どうにも難しい。カンカンに怒り狂ってて、抑えきれん。先にあの子に合わせてやれないか?」
「ああ、あの両親か」
茉莉奈の両親とは四年前の事件でも、別の事件でも、何度か顔を合わせてる。
特に四年前の事件で救世主となった新見は絶大なる信頼を得ていたので、多少は憤りを治めてくれるかもしれない。
「わかった、俺が対応する。茉莉奈ちゃんにも早く両親に会わしてやりたいしな。連れて来てくれ」
「助かる。助かるけど……お前、大丈夫か?」
安野が引き攣った笑みを浮かべる。
「なにが」
「いや、別に。今までの関わりを知らないから何とも言えないけどよ。公私の区別はつけとけよ」
安野にまで釘を刺され、新見は思わず顔面をさする。
自分が今どんな顔をしているのか、急に気になりだした。




