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2.性犯事件、なめんなよ② 現場の違和感 

「へー、先輩の初逮捕の相手なんですか。堀ってやつは」


「ってことで俺にお鉢が回ってきたんだろ。とばっちりのお前には悪いが、現場の痕跡は一つ残らず押さえるから、そのつもりでいろよ」


「仮釈放中の再犯なら、起訴は間違いないでしょ。そんな張り切らなくても……」


「馬鹿。刑期が少しでも伸びるように証拠固めすんだよ。立件して検察に突きだしゃいいってもんじゃねえ。俺らが甘い捜査してたら、またすぐに出てきちまう」


「燃えてますねえ」


 古田のハンドルを握る手は力なく、姿勢もだらりと崩れている。


「あーあ。ハシカン、今頃別のおっさんにハイボール作ってんだろうなー」


 未練がましく呟く古田に、新見は何も答えなかった。

 助手席の窓から夕闇が迫る街並みを睨み、四年前の光景を反芻する。


 降りしきる雨の中、廃墟のすえた畳の隅で震えていた被害者の少女。

 そして、取り押さえた新見の腕の中で、意識を落とした堀羊司ほり ようじ

 あの時、新見はまだ刑事になりたての巡査長だった。


「古田。だらっとすんな。相手はただの変質者じゃない。娑婆に出て早々に事を起こした、とんでもない馬鹿だ。同じ人間だと思うなよ」

「わかってますよ。だから、女子中学生に返り討ちにされたってのが解せないんすよね。その子、護身術でも習ってたんですかね」

「……どうだろうな」


 新見は、胸の奥が騒めいていた。

 仮釈放から一ヶ月で、所在不明。

 その男がわざわざこの管内に戻ってきて、あろうことか〝撃退〟された。

 

 堀 羊司は巨体だ。

 

 身長こそ日本人の平均をわずかに上回るくらいだが、その厚みは常人離れしていた。ラガーマンにも似た膂力のありあまる体躯は、柔道黒帯を持つ新見ですら確保は容易ではなかった。


 もつれ合った末、背後から縋りついて放った裸絞め(はだかじめ)

 絞め落とすのに、新見は指の感覚が消えるほど力を込め、数分間締め続けなければならなかった。

 

 それを、中学生が?


 「どうします? 現場にハルクみたいな筋肉マッチョの女の子がいたら。それもある意味で、千年に一度っすね」


 古田の呑気な声とは裏腹に、新見の掌には当時の、

 それこそ緑の巨人ハルクのように太い堀の首の感触が蘇っていた。

 

 ****


 高台にある閑静な住宅街。

 その丘陵をわずかに下ると、小さな森が姿を現した。

 生い茂る木々の隙間から、公園内の古い街灯が弱々しく漏れ出ている。

 

 近頃は防犯上の理由から、視界を遮る植栽を極力省いた「透き通った公園」が主流だ。そんな中、ここだけが昭和の遺物となって、深い暗がりに取り残されていた。


「現場、あの公園の裏っすね」

 

 古田がブレーキを踏む。

 パトカーが三台、公園のオレンジの街灯にわずかに照らされて停まっている。

 車を降りた新見の鼻腔を、湿った土の匂いと、生安の連中が放つ独特の弛緩した空気が突いた。


「新見、お疲れさん。あー、なんだその、悪いな。わざわざ来てもらって」

 

 顔見知りの生安の安野やすの巡査部長が近づいてくる。

 三十路過ぎの小男で、年も近いことからたまに飲みに行く仲だ。

 必要以上にへりくだる様子には、後ろめたさが滲んでいた。


 出所後の受刑者の所在が掴めなくなれば、保護観察所からまず連絡が飛ぶのは生活安全課だ。

 生安もただ静観していた訳ではないだろうが、事実、こうやって堀は事件を起こした。  

 初動で現場に出た地域課からの一報で、被疑者の前歴を照会して青ざめたこいつらの顔が目に浮かぶ。


「それで。堀は?」

「パトカーの後部座席に乗せてる。暴れはしないが、まあ、だんまりだ。なにを聞いても張り付いたみたいに口を閉ざしてる。前回はお前が手錠かけたんだって?」

「ああ。あの時はひどい暴れ様だったけどな。……刑務所帰りで余計な知恵をつけたか」


 苛立ち紛れに安野の背後のパトカーに首を延ばす。

 スモーク越しに、巨大な影が微動だにせず座っていた。


「新見。言っとくが所在不明になった時点で、うちでも動いてはいたんだ。保護観ほごかんから連絡が来て、住居確認もしたし、周辺の聞き込みもやった。だけど、事件性がない段階でそっちに上げるわけにもいかないだろ」

「そりゃそうだろうけどな、」

 

 言いかけて、新見は口を閉ざした。安野の言い分は正しい。

 生安が怠慢だったわけでもないだろう。

 知らせてほしかったと思うのは、自分の個人的な因縁に過ぎない。


「まさかこうなるとは思わなかった。悪いな、貧乏くじ引かせて」


 頭を下げた安野の若白髪が混じるつむじを見て、怒りの矛先を抑え込んだ。


「女の子は、無事なのか?」

「ああ。怪我もないし、性的な接触がないうちに撃退できたのが、せめてもの救いだな」

 

 新見はほっと息を吐き、続きを促した。


「発生は十六時半頃。通報はその四十分後だ。最初に現場に入ったのは近くの交番の巡査で——」

 

 安野の説明を、無言でメモに落としていく。

 視界の端では、古田が勝手に歩き回っている。

 堀から距離を置いて停められたパトカーを覗き込んだ。

 被害者が乗っている車だ。


「おい古田、うろちょろすんな」


 そう声をかけた瞬間、古田の背中が電撃に撃たれたように強張った。

 後ろに数歩よろめき、車内の影を茫然と見つめている。

 ハルクでもいたか?


「被害女児は部活帰りの中学3年生。泉岳寺駅んとこの私立、高輪清真学園の生徒だ。自宅はここ白金台。親はまだ仕事中で、連絡がつかん」


 新見は安野から被害者の自宅住所を聞き出し、眉をひそめた。


「白金台駅からすぐじゃないか。被害の子は、なんだってこんな自宅から離れたところにいたんだ?」

「それな。ここ一週間付きまとい行為を受けてたみたいでな、遭遇を避けて帰宅ルートを変えたんだと」


 この公園は白金台の高台から谷側へ落ち込む位置にある。

 街灯は古く、木々が光を遮り、夕方には影そのものになる。

 危険を避けるどころか、むしろ死角に入るようなルートだ。

 新見の胸に、説明のつかないざらつきが残った。


「発生から通報まで、40分あるな。その間は何を?」

「まあ、そこがはっきりしないんだが……とりあえず、見てほしいもんがある」

 

 安野がパトカー近くでたむろする警察官を呼び寄せる。

 白い押収品箱を受け取ると、透明の証拠品袋を二つ、持ち上げて見せた。


「現場に巡査が駆け付けた時には、これらで堀は拘束されていた。そこの公衆便所の中にな。被害の子が言うには、拘束するのに手間取って通報が遅れたってことらしい」


 新見は公園の奥の公衆トイレに視線を向ける。

 ちょうど鑑識連中が規制線をくぐって出てきたところだった。

 現場は、女子トイレか。


「あんな子が……どうやって……」


 いつのまにか隣に戻った古田が、どこか恍惚とした表情で証拠品袋を見つめて呟いた。

 新見も袋の中身をしげしげと眺める。


「見たことないぐらい幅の太い結束バンドだな。そっちはダクトテープか。マスプロ品じゃなさそうだ」

 

 鈍い銀色の光を放つテープはアメリカなんかじゃメジャーだが、日本の一般家庭ではあまりお目にかかれない。中身の芯には強粘着を表す3Mと印字されている。

 結束バンドも幅二センチはあり、厚みも充分。

 堀と言えども引きちぎる事は叶わない品物に思えた。


「くそ、あの野郎。こんなもんで女の子の自由を奪おうとしてたってわけか」

 

 視線が無意識にパトカーへ向く。


 黒いスモークの奥に巨体の輪郭だけが沈んでいる。

 このまま車に乗り込めば、4年前と同じことを繰り返せる気がした。

 背後から腕を回し、意識が落ちるまで締め上げる。

 指の感覚が消えるまで、何分でも。


「うわ、スタンガンやナイフなんかもありますよ」


 はっと我に返る。

 古田が押収品箱を漁り、袋に入った電気シェーバーのような形状のスタンガンと、小型の折り畳みナイフを持ち上げた。

 そしてもう一つ、細身のメタリックピンクのスプレー缶。

 ラベルがなく中身は判然としない。


「自分で用意したもんで返り討ちにあうなんて、なんかダサいっすね」

 

 それだ。

 押収品を見るほどに、ますます堀が中学生に拘束されたなんて話は眉唾めいてくる。しかし、奴がこれだけ揃えてたなら偶発的犯行じゃない。

 

 今度こそ長く塀の中だ。

 そう思えば、いくらか溜飲が下がる。


「あー、それなんけどな」


 押収品箱を古田に奪い取られた安野が、言いづらそうに口を開いた。


「こいつらは、堀から押収したもんじゃない。……全部、被害女児の持ち物だ」

「なんだって?」

 

 驚愕に目を見開く。古田が吹いた口笛が、妙に耳に障った。


「つきまといがあったって言ったろ。身の危険を感じて、自衛のために常に携行していたそうだ」

「じゃあ、これを使って?」

「ああ。スプレー缶は催涙スプレーらしい。こいつを顔に噴射して、ひるんだ隙に鞄から取り出したスタンガンを使い動きを止めて拘束した……ってのが本人の言い分だ。言葉にすれば簡単だが、正直俺だって信じられん」


 新見も同じ気持ちだった。

 

 スタンガンの袋を手に取り、ためつすがめつ中身を検分する。

 メーカー名と型番の印字を確認し、スマホで検索にかける。

 

 一般的な火花が出るタイプではなく、電流を流し込むことに特化した高電圧・低電流のモデルのようだ。厚着の上からでも通るタイプらしい。

 充電式のようだが、電力切れの赤いランプが弱弱しく点灯している。

 

 元々残量が少なかったのか、あるいは……。


「どこで襲われたって?」


 安野は小さく頷き、顎で促した。

 公園出口に立つ二本のポールを抜けると、すぐに民家の高い塀が迫る。

 そこは通路と呼ぶのも憚られる小さな路地で、宅地に抜ける住民しか利用しないだろうと思えた。


「堀は出口付近の植え込みに隠れてたそうだ。被害女児が路地を通った瞬間、公園内に引きずりこんだ」


 安野に付いて歩く。


「で、この植え込みの中に押し倒された。ここで反撃し、動きを止めた」

 

 規制線の黄色いテープをくぐる。

 植え込みは公園の四方を囲む植栽のエリアで、遊具のある砂地とはレンガで区切られている。腰ほどの高さの柊南天のギザギザとした葉が、この薄暗がりに黒いもやとなって広がっている。


「ちょっと待てよ。ここで反撃って、現場は女子トイレじゃないのか?」

「ああ。拘束した後に女子トイレ閉じ込めたのは確かだが、動きを封じたのはここらしい」


 思わず公衆トイレに目線を向ける。

 立ち木に遮られてよく見えないが、ここからでは距離がありすぎる。


 当惑する新見をよそに、安野はマグライトを足元に向ける。

 ライトに照らされた土には、下足痕を示す札がいくつか置かれている。

 深く踏み込まれたでかい足跡、重いものを引きずったような痕跡、揉み合いで荒れた表面。

 

 札の置かれていない場所にも、別種の足跡がいくつも混じっている。


「……足跡、多くないか?」

「鑑識の話では、ゲソ痕は複数人分。少なくとも被害女児と堀を外せば三、四人分の痕跡が確認されている」

 

 古田は「えっ」と目を丸くする。新見は鼻を鳴らした。


「って、あれ? 先輩、驚かないんですね」

「不思議はないな。というか、それでようやく腑に落ちた。堀が拘束されていた公衆トイレを見てみろ」


 古田が公園の奥に視線をやる。


「ここから十数メートルはある。中学生の、それも女の子がどうやってあそこまで堀を運んだ? 奴は九〇キロはあるぞ」

 

 古田が言葉を失った。


「それに、スタンガンだって相手を気絶させる魔法の道具じゃない。動きを止めるにしても良くて数秒だ。その間に上手いこと拘束できても、あそこまで運ぶ間に抵抗もあっただろうよ。……協力者がいたと考える方が、まだ筋が通る」

 

 新見に追従して安野が続ける。


「そういうこと。ちなみに、ここからあの公衆トイレにかけても同じゲソ痕が確認されている。ダクトテープや結束バンドからも複数人の指紋が出た。しかしな——」

 

 安野は肩をすくめる。


「堀はあの通り黙秘してるし、被害女児は協力者の存在を否認している」

「否認?」

 

 妙だ。何かある。

 

 協力者の存在はいっそ明らかだ。

 しかし、何故わざわざ公衆トイレに堀を運ぶ必要があった?

  通行人の協力を得やすい出入口付近で拘束した方が、はるかに安全な筈だ。

 加害者を人目につきにくい場所に移動する必要性……。

 

 新見の脳内に、嫌なインスピレーションが湧きあがる。


「なあ、堀に外傷はあったのか?」


 安野が遠慮がちに答える。


「少なくとも、服から見える範囲には無かった。どうせ署に連行したら身体検査で裸に剥くだろ? ここで下手に暴れられても面倒だし、すまんが服の中までは……」

 

 新見は小さく舌を打つ。


「彼女、話せる状態か?」

 

 何故か古田が、急にまごつきだす。


「ああ。いまは生安の女の子が付き添ってるが、落ち着いたもんだよ。受け答えもしっかりしてる」

「はいはいはい! 俺、歳離れた妹いるし、いまどきの女の子の扱いは慣れたもんです! 任せてください」


 古田が鼻息荒く手を挙げるが、安野がすかさず制する。


「いや、もう二時間近くここに留め置いてる。そろそろ署に移動しないか?」

「そうだな。その方がよさそうだ」


 時計をみて、安野に同意する。

 

 本当はすぐにでも事情を聞きたいところだが、未成年相手だ。聴取の時間も限られてくるし、早めに署に移動するにこしたことはない。

 

 がっくりと肩を落とす古田を見て、幾分胸がすっとした。

 初めての後輩を犬みたいに可愛がっていたが、今日の様子を見ると甘やかしすぎだったと反省する。

 

 車を回すように指示し、古田が駆け出していくのを見送りながら、公園の暗がりを一度振り返った。


 柊南天の濃く落ちた影が、まだ何かを包み隠しているように見えた。



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