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15.力学② 同じものを捨てた二人


 正義は心の中でほくそ笑んだ。

 

 新見智也。

 茉莉奈の〝ヒーロー〟が聞いて呆れる。

 使命感に燃えて乗り込んできたのだろうが、この男は結局ただの伝令に過ぎない。


「そういうことです。ちなみに九条の家には、いまも警察庁の人間が何人もいますよ。役職と名前、言いましょうか?」

 

 古田が待ったをかける。


「いやいやいや! 署長の奥さんが元警察庁長官の娘だなんて、そんなの噂レベルでも聞いたことないっすよ? 担がれてるんじゃ……」

 

 新見が首を振る。


「署長は元マル暴だ。あの人らは自分の結婚すら隠すことがある。報復が怖えからな。その名残で家族の情報を秘匿しててもおかしくねえよ」

「え、じゃあ、まじなの」


 古田が恐る恐るこちらを見る。

 目が合ったので軽く微笑んでやると、慌てて姿勢を正す。


「正義くん。いや、正義さん。お飲み物のお代わりはいかがでしょうか。あ、それとも……一曲、お歌いになられますか」

「いえ、結構です」

 

 恭しい手つきでデンモクを差し出されるが、突き返す。

 新見が顔を引きつらせた。


「古田、お前なにやってんだ」

「だって! 警察庁長官なんて、いわば警察組織の皇族っすよ? 俺らノンキャリなんて一生関われないんすから、靴舐めてでもゴマ擦っとかないと」

 

 それを本人の前で言ってどうする。

 正義は心の中で肩をすくめた。

 

 新見は古田の声を切り捨て、正義に向き直った。


「『堀は絶対に喋らない』。君はそう言ってたらしいな。そのビッグネームがあれば署長が口を閉ざすのは分かったよ。だけど、それで堀も黙るっていいたいのか?」 

 

 前かがみに膝に手をつき、正義を下から睨みつける。


「悪いがそう上手くはいかないぞ。五百旗頭の名前は堀にとっては諸刃の剣だ。堀羊司というより、奴の親が——」

「指定暴力団『伊岳組』若頭補佐・堀義一郎。……堀羊司が、そいつの息子だから、ですよね」


 新見の目がわずかに揺れた。


「知ってたのか」


「はい。茉莉奈が受け取った被害者等通知制度の通知。あれには奴の出所後の居住先も書かれてましたからね。ネットで調べたら、近隣住人のタレコミで〝暴力団員の家〟って出てきました」

 

 それを聞いて、新見が身を乗り出す。


「なら分かるだろ。元マル暴の君のお父さんは奴らの恨みを買ってる。長官賞を貰ったのも、下部組織をいくつも潰した功績だ。署長の名前で堀を黙らせようものなら、報復に出かねない。君の言う力学は、ここでは通用しないんだよ」 


「その通りです。だから情報が必要だった。どの方向から力を与えたら、あの巨大な物体に効率よく作用するかを調べるために」


「まるで物理学の授業だな。……一体何をした」


 新見が奥歯を鳴らす。

 古田が寒そうに腕をさするので、正義は壁のリモコンを操作して、暖房をつけてやった。


「ネットの情報は真偽不明でしたので、茉莉奈と貯金を出し合って、興信所に堀の身元調査を依頼しました。……父のコネを使ってマル暴の刑事さんに聞けば早かったんでしょうが、理由を尋ねられても答えられませんし。高くつきましたよ」


 空調がゆっくりと起動し、ぬるい息を吐き出した。


「堀羊司は構成員ではない。組幹部の父親も手を焼くロリコンのドラ息子。調査結果を聞いて、『使える』って思いました」

「使える?」

「はい、あいつを黙らせるのに」


 正義は胸ポケットからスマートフォンを取り出し、画面を操作して机に置いた。


「父がよく言ってました。ヤクザって連中は、面子が命より重いんだそうですね。だから僕は、あいつの親の〝面子〟を握ってやった」


 二人の視線が画面に落ちたところで、正義は再生ボタンをタップした。


『名前を言って』


 スピーカーから流れだした加工音声に、新見の眉が跳ね上がる。


『うう……堀、堀羊司』

『親の名前と所属を』

『それはだめだ、勘弁してく、ぐぅああっ』


 バチバチと電撃の弾ける音。

 古田は青ざめ、背もたれに背中を張りつける。


『ああ、ああ言うよ、言うから、……い、伊岳組の若頭補佐、堀義一郎だ』

『お前はなぜこんな目にあってる』

『お、女の子を、襲ったから』

 

 堀の顔面は、催涙スプレーのカプサイシンの赤と涙でぐちゃぐちゃに濡れている。


『いくつの?』

『中学生だ、悪い、悪かった』


 和式便所の配管に縛り付けられた堀。

 その背後のひび割れたモザイクタイルには、4人分の影が揺れ、潜めた息遣いが入り込んでいる。


『お前は四年前にも小学生の女の子を襲ったな。間違いないか』

『……ああ、襲った』

『堀羊司。お前は少女趣味の性犯罪者だ。更生もできず、出所後すぐに女の子を襲った。この動画が公開されたら、どうなるか分かるな?』


『ああ、ああ、分かる。言わない、誰にも言わない。……大人しくムショに行く』


 そこで正義は動画を停止した。


 空調から饐えたタバコの匂いが流れ込み、正義は鼻に皺を寄せる。

 カップに口をつけ、コーヒーの薫りで誤魔化した。

 刑事二人は画面を見つめたまま固まっている。


「こうしてみると、ヤクザも警察も構造は同じですよね。身内の不祥事は、外より内の方がよほど厳しい。……だから堀は黙るしかない。自分の命が惜しいなら」


 粉の味しかしないコーヒーを、舌に乗せずに飲みこんだ。


「ちなみに、茉莉奈はこの場にはいません。トイレに人が入ってこないように、出入口を塞いで貰いました。……こんな手荒なとこ、見せたくないですし」

 

 それを聞いた瞬間、新見が盛大に鼻で笑った。

 正義は思わず眉を顰める。


 新見は差し込んだ手で髪をぐしゃぐしゃと乱し、ネクタイを引き抜いた。ソファに横柄に身を沈め、足を組んだ。


「わからねえなあ」

「は?」


 口調が一変し、新見が冷たく笑った。


「そこまで悪知恵が働いて力のあるお前が、なんでもっと正攻法であの子を守ってやれなかった」


 正義の血がすっと冷える。


「……茉莉奈から聞いてるでしょ。彼女の平穏のためには。堀をもう一度刑務所に入れる必要があったんですよ」

「違うな」

 

 新見の声が低く落ちた。


「それをお題目にして、お前は奴を痛めつけたかっただけだ」

「なんとでも言えばいい。僕は茉莉奈を守るためならいくらでも手を——」

「汚れたのはお前の手だけか?」


 コーヒーの表面が揺れる。


「涼くん、晴翔くん、虎太郎くん、茉莉奈ちゃん。お前の歪んだ正義執行のために、いま全員が罪に問われてる」

 

 指折り数える新見に、正義は噛みつく。


「罪には問われません! 父に言えばすべて」「虎の威を借るなんとやらだな」


 視界がかっと赤くなる。


「お前の言う通り、その動画があれば堀は完封できるだろうな。だが、お前一人で抑え続けている限り、それは〝現在進行形のトラブル〟であり続ける。だからお前は考えた。親父に泣きついて処理してもらうことで……今度は警察組織の〝面子〟も握ろうとした」


 正義は挑むように新見を見返す。


「そこまで分かってるなら、話は早いです。そうです。双方の弱みを握ったことで初めて安全が保障される。だから、茉莉奈もみんなも罪に問われません」


「気に入らねえな。終わり良ければ総て良しってか? お前は、何も分かってない」

 

 新見は組んだ脚を下ろし、正義を射抜くように見据えた。 


「犯した罪は消えねえんだよ。一生、ついて回るんだ」


 正義はカップを置く。その手がわずかに震えていた。


「……あなただって隠蔽に加担してるだろ。そんな人が、僕に正しさを問うのか」

「そうだな。俺も同類だ」


 新見は短く息を吐いた。


「見過ごせなかったんだよ。被害者である茉莉奈ちゃんが罪に問われるなんて。だから必死に調書を改ざんした。お前にとっちゃ、そんなの余計なお世話だったってことも知らずにな」 


 苦い笑いを漏らす。


「だけどな。そうなる前に、お前なら止められたんじゃないのかよ。……どうして、あの子を加害者にしちまったんだ!」

 

 辛さを堪える男の顔だった。

 

 嫌いだ。この男が。

 新見の存在が、正義の心の襞を逆なでする。

 

 茉莉奈を守るために、法も倫理も捨てた男。

 捨てたものは正義と同じ筈なのに、この男はなおも正しさを拾い上げようとする。 


 そんなものは、綺麗ごとだ。


 そう思うのに、茉莉奈がこの男に惹かれる理由を理解してしまった。

 その事実が、正義の腹の底をじりじりと焼いた。 


「せ、先輩。相手は元長官の孫っすよ。ほら、クールダウン」

 

 古田が新見の口にストローを差し込む。

 新見は音を立ててコーラを流し込んだ。

 ストローを吐き捨てると、新見は再び正義に向き直る。


「とにかく、もう時間は巻き戻せない。いいよ、お前のシナリオに乗ってやる。署長に洗いざらい話して、もうこの件とはおさらばだ」

 

 そして、少しの間を置いて、脱力したように肩を落とした。


「……正直、俺はいま滅茶苦茶カッコ悪い。この件を握り潰すなんて言っておきながら、ぜんぶ中学生頼みだ。あの子に顔向けできねえよ」

 

 俯いて自嘲する新見が、ふいに顔を上げた。


「……悪かったな」

「は?」


 突然の謝罪に、正義は虚を突かれる。


「そういうカッコ悪さもあって、辛く当たった。過程はどうあれ、お前があの子を守り切ったってのは認めるよ。……あんな怖い親父を巻きこもうとしてる、その心意気もな」


 そう言って新見は身を乗り出す。正義の頭に大きな手が置かれた。


「頑張ったな」


 反射的に、払いのける。


「な、馴れ馴れしくしないでください。セクハラですよ」

「えっ」

「あー先輩。今は男の子にもそういう身体的接触は避けた方がいいっすよ。厳しい時代なんですから」

「えっまじ?」


 頭に残る感触が熱を持つ。

 なんなんだ、この男は。

 正義の胸の中に、説明のつかない騒めきが残った。

 

 その瞬間、新見が思い出したように顔を上げる。


「そうだ、一個聞かせてくれ。どうしても気になる事がある」

 

 正義を見る目が鋭くなる。


「どうして、あの子に協力者の存在を否認させた? お前の頭なら隠し通せないって分かってただろ。どうせ最後はお前が出てきて事を治めるシナリオだったなら、なんでわざわざまだるっこしい事をさせた」


「そ、れは、その」


 途端に口が回らなくなる。新見と古田が訝しげに眉を寄せた。


「僕も警察の捜査能力を舐めてたわけじゃないので、早晩、僕らに辿り着くことは分かってました。だから隠す必要はないって言ったんですけど、その」

 

 しどろもどろに続ける。


「茉莉奈が、『私の可愛さで丸め込める』って……」

「——へ?」


 新見が間の抜けた声を出した。


「彼女、本当に来週の大会を楽しみにしてるんですよ。涼たちを巻き込んだ事にも責任感じてて。だから協力者がいないってことで済むならそうしたいって。茉莉奈、言ったら利かないところがあるので」


 慌てて古田が手を振った。


「ちょ、ちょっと待ってよ。だから彼女の言う通りにしたっての?」

「はい、まあ。なんか豪語してたんで、本人の気の済むようにさせてやろうかと」

 

 正義は続けて補足する。


「一応、『どうせすぐバレるから、早めに僕に連絡しなよ』って言っておいたんですけど……中々連絡がこないので、まさか本当に丸め込まれたのかと心配してました。父の署が機能不全に陥ってなくて良かったです」


 新見と古田が地に伏せるほど肩を落とした。


「だから協力者の話になった途端、供述が雑になったのか……」

「あのカオスな取り調べを必死に回した俺らの努力って一体……」


 正義は思わず恐縮してしまう。


「それはご苦労おかけしました。茉莉奈、謀略には向かないっていうか、あまり賢くはないので……あ、いえ学力は決して低くないんですけど」

 

 その時だった。

 唐突にドアが開く。部屋の中に、虎太郎を先頭に同級生達がなだれ込んできた。


「——お前ら、なんで来た」


「悪いな、イオ。断り切れなくてさ。俺らじゃ到底無理」

 

 最後尾の涼が言う。その背中から、ひょっこりと茉莉奈が顔を覗かせた。


「イオ君ごめん。来ちゃった」


 舌を出す茉莉奈に心臓がきゅっとなる。

 無意識に、新見を背で隠すように茉莉奈の前に立ちはだかった。

 だが遅かった。


「新見さん!」


 部屋の奥に視線を投げた茉莉奈が、顔に花を咲かせる。

 するすると器用にテーブルとソファの間をすり抜け、新見の横にぽすんと座る。

 その距離に、正義の呼吸が止まった。


「茉莉奈、ちゃん。何で来た」


 新見がソファの上を後ずさり、壁に阻まれた。


「だって。当事者なのに私だけ蚊帳の外で寂しいじゃないですか。それに、せっかくなら新見さんの歌う姿も見たいなって」


 新見に甘える普段とは違う声に、腹の底が重たく沈む。

 つかつかと歩み寄ると、茉莉奈の腕を掴んだ。


「茉莉奈、もう終わったから。帰るよ」

「やだ、どうして? 私いま来たばっかだよ」

「遅くなると危ないだろ。送ってくから」


 茉莉奈を立ち上がらせようと腕を引いた瞬間。


「えー! 古田さんまじで歌ったのかよあれ!」


 虎太郎とその周囲がわっと沸く。古田がブイサインで応える。


「歌った歌った。果ては踊った」

「なんだこの刑事。最高かよ!」

 

 賑やかな一角に気を取られた隙に、正義の手から茉莉奈の腕がするりと抜ける。

 古田の選曲に興味を惹かれたのか、茉莉奈がデンモクの履歴ページを調べだす。

 長年の付き合いから、それがまずい兆候だと悟る。


「えっ、うそ。古田さん、キュースリ歌ったんですか?」

「うん。もう一曲行っとく?」

 

 古田がマイクを持つ。

 新見がすかさず、茉莉奈の手からデンモクを取り上げた。


「駄目だ茉莉奈ちゃん。あんなもん見たら、目がつぶれるぞ」

「えー、私も歌いたい。好きなんですあの曲」


 言い募る茉莉奈に、新見の目が宙をさまよう。


「茉莉奈ちゃんが……あれを、歌う……?」


 そっと、茉莉奈の手にデンモクが戻された。

 駄目な大人だ。

 


 そしてまたもや流れだしてしまった、

 キュースリ——CUTIE STREETのヒット曲。

 

 モニターの前に立った茉莉奈がマイクを握り、古田が飛び跳ねてアップを始める。イントロが流れ始めると、そこはコンサートホールとなった。

 

 可愛さをこれでもかと詰め込んだ歌詞と、偏差値が下がりそうな甘いメロディ。

 同級生の仲間たちは、アイドルの親衛隊さながらに、タンバリンとマラカスで盛り上げる。

 

 茉莉奈が歌う。

 古田は踊る。

 新見が拳を突き上げる。

 正義は部屋を出た。

 

 パタン、と小さく音が鳴る。

 扉に背をつけ、深く息を吸い込む。

 熱気にあてられた体がようやく冷えはじめた。

 扉一枚隔てて小さくなった茉莉奈の歌声が、どこか遠い世界の音のように響いた。

 

 正義の献身は、茉莉奈には届かない。

 

 それどころか、彼女は無邪気に正義の目の前をすり抜け、迷いもなく他の男の元へ駆けていった。

 新見智也は正義と同じ地平に立つはずの存在だ。なのに、どうしてこうも違う。


 胸が押しつぶされそうだった。

 それでも、扉の向こうで歌うその声を、正義は狂おしいほどに求めてしまう。


 出会った時から、ずっとそうだ。


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