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14.力学① 血統書付き


「次、晴翔な」


 カラオケから戻ってきた涼が、晴翔を指名する。

 座席に滑り込むとそのままポテトを摘まんだ。


「ど、どんな人だった? 怖い?」

「ん? 別に、普通にいい人だったよ。口調は雑だけど、なんか気のいい兄ちゃんって感じ。まあ厳しいことは色々言われたけど」


 酸化した油の独特な匂いの広がるマックの店内。

 正義たちはボックス席に陣取り、順番に呼び出されていった。

 脂で汚れた指で、無意識に鼻をいじった涼が顔を顰める。


「でもやたらと織部について聞かれたな。普段の学校生活とか、部活での様子とか、俺らとどのくらい親しいのかー、とか。事件に関係あるのかな?」


 正義は組んだ脚をぴくりと揺らした。


 まるで被疑者の周囲への聞き込みじゃないか。

 すでに全容は把握している筈だ。

 茉莉奈を疑ってかかるような人定調査をする理由が分からない。

 あるいは、刑事の個人的な興味か。


「で? 涼はなんて答えたんだ?」


 ナプキンで鼻を拭く涼に、正義が訊ねる。


「まあ普通に、部活で話す程度って。初等部から一緒のイオと違って、俺らは中学からの外部組だし」

 

 こいつらはそう言うしかないか。


「学校生活とか、部活に関しては、毎日可愛さが爆発してます! って力いっぱい言っといたわ」


 虎太郎が笑って応じる。


「適当だなー。刑事、なんて?」

「えらい納得してた」


 3人は笑ったが、正義は笑えなかった。


「じゃ、じゃあ、僕いってくる。五〇二号室でいいんだよね?」

「おー。ついでに歌ってこい」


 虎太郎が冗談を飛ばす。

 真に受けた晴翔が、選曲を悩みながら店を出て行った。

 

 正義はイヤーポッズを耳に押し込むと、鞄からテキストを取り出して勉強を始める。弛みきった空気にも、吞気な雑談にも順応する気はない。


 緩慢な時間が流れていった。


「古田さんって人とデュエットした」と、晴翔。

「二人の掛け合いが漫才みたいだった」と、虎太郎。

 

 戻ってくる仲間たちの感想を聞くたび、正義はニーミサンの人物像が迷宮入りしていくのを感じた。


 茉莉奈は、一体その刑事の何に惹かれているんだ?


「僕で最後だね。たぶん長引くから、先に帰っててもいいよ」


 すでに陽が陰りはじめた窓の外をみて、イヤーポッズを外した。


「え? いいよ。待ってるって」


 涼の言葉に、晴翔は眉をさげる。


「僕あんまり遅いと家がうるさいから、待てないかも」

「じゃー待ちきれなかったら帰るってことで」

 

 話をまとめた虎太郎に小さく頷いて、正義はマックを出た。

 

 道路を挟んで向かいのビル。

 すでにネオンが灯り、薄明に不釣り合いなギラギラとした明かりが周囲を照らしている。

 

 エレベーターがフロント階に停まったが、そのまま「閉」ボタンを押して五階へ進んだ。ドアが閉まり切る寸前に、店員と目があった。入れ代わり立ち代わり、中学生が出入りしていることを不審に思われたかもしれない。


 個室から漏れる調子っぱずれの歌を聞きながらフロアを進むと、五〇二号室が見えてきた。

 

 正義は唾を飲み込む。


 暗いフィルムが張られた覗き窓から中を見ると、なぜかノリノリで踊っている男が見えた。

 聞こえてくる曲は、CUTIE STREETの『かわいいだけじゃだめですか?』。


 正義は帰りたくなった。

 ——これがニーミサンだったら、僕はもう、駄目かもしれない。

 

 念のため部屋番号を確かめる。

 五〇二。何度見ても五〇二。正義は諦めて息を吐く。

 ノックを鳴らし、扉を開けた。

 

 爆音で鳴り響くアイドルソング。

 サビの「君の愛があれば無限大」というフレーズに合わせて狂ったように踊る男。異様な熱気に、正義は目を閉じて顔を仰け反らす。


 ミラーボール付きの部屋には、七色のドリームポップな明かりがぐるぐると渦を巻き、正義の視界もぐらりと揺れた。 

 

 ふいに、部屋の奥にソファと同化して座る、一人の男が目に飛び込んだ。

 死んだ魚の目で虚空をみつめ、疲れたようにコーヒーを啜っている。

 

 こっちか。


「あの! 五百旗頭ですけど!」

 

 男がはっと顔を上げる。

 踊る男はまだ気づかない。

 瞬時に机のリモコンを手に取った男が、消音ボタンを押した。


「にゃにゃにゃにゃ——あ、あれ?」


 ぶつり、とBGMが止み部屋に静寂が訪れる。

 踊る男が猫のポーズのまま止まった。


「……五百旗頭正義です。あなたが、ニーミサン?」


 リモコンを持つ男に正義が訊ねる。

 しかし、猫のポーズで固まった男が、正義の前に出てきて応じた。


「いいえ、俺が新見です」

「えっ」


 正義が引く。

 するとリモコンを持った男が、猫男の頭を叩いた。リモコンで。


「あほ! 古田、お前署長にチクられんのが怖いからって、俺の名前を犠牲にすんな!」

「だってさっきの子が選曲してったから仕方なく…… 俺この曲聞くと体が勝手に動いちゃうんすよお」

 

 正義は気が遠くなった。

 この徒労感はあれだ。茉莉奈が天然を炸裂する時に似ている。

 

 遠い目をした正義に、新見が声をかける。


「悪いな、変なもん見せて。ええと、五百旗頭、正義くんだったな。新見智也だ。よろしく」

 

 新見が警察手帳を見せると、古田も慌てて続いた。

 

 正義は新見を仰ぎ見た。

 背が高く、無駄のない体。くっきりとした濃い眉の精悍な顔つきは、絵に描いたような刑事だと思った。

 耳だけが歪に膨らんでいるのは、柔道経験者特有の餃子耳だ。

 

 なんだよ。「男」じゃないか。

 

 正義は苛立ちとも違う感情が湧いた。

 茉莉奈は、性を感じない中性的な男を好んでいた筈だ。

 しかし新見はその対極に位置するような男だった。


「……父が、お世話になってます」

「ご丁寧に、どーも。しかし君はあれだな。お父さんとあまり似てないな」

「確かに。五百旗頭所長って鬼瓦みたいな顔してますもんね。こんな春風爽やか少年が出てくるとは——いてっ」


 新見がまた古田を叩いた。リモコンの角で。


「別にチクったりしませんよ。鬼瓦も、踊り狂ってたことも」

「話がわかる子だな。まあ、とりあえず座ってくれ」


 正義は席に着く前にミラーボールの照明を落とし、ダウンライトの光度をあげた。

 室内が明るくなると、殊更、新見智也の男臭さが目に障る。

 

 ネクタイを緩めたシャツから覗く太い喉仏。

 雑に着崩してるくせに、妙に様になっている。

 手櫛で撫でつけただけのオールバックから垂れた後れ毛が、なんか、ムカつく。

 

 対する踊る男・古田は、なんというか、チャラい。

 流行のセンターパートに緩いパーマ。

 不自然に均一な肌の色は、多分メンズメイクもしている。

 

 正義は目の前の凸凹コンビに目線を流しつつ、ついでに内線でコーヒーを注文した。マイペースを貫いてようやく席につくと、対面の新見が喉の奥で笑った。


「中学生のくせに随分と場慣れしてるな。……昨夜の現場でも、そんな風に落ち着いてたのか?」

「別に、やるべき事をやってるだけですよ。今も、昨日の夜も」


 新見が鼻を鳴らし、A4の茶封筒を机に滑らした。


「? なんですか?」

「右第三〜四肋骨骨折、胸部・腹部挫傷、四肢打撲、両側手関節部圧挫傷、電撃熱傷Ⅱ度」

 

 ふいに、正義の足首に、男を蹴り上げた時のぶ厚い肉の感触が蘇る。


「これが、やるべき事か?」


 急に室内の酸素が薄くなった。

 茶封筒から視線を剥がし、新見を見る。


「昨日は君が一番派手にやったらしいな、正義の味方くん。君はあの子のために人殺しにでもなるつもりか?」


 人殺し。

 その言葉に、正義の瞼の裏に幼い日の憧憬が過る。

 橙に染まった狭い部屋。二人でめくり上げた畳は、やけに重かった。

 その下に隠した茉莉奈との秘密。


 知らずに、唇が吊り上がる。

 新見の眉が一瞬動いた。


 この男は何も知らない。正義と、茉莉奈の物語を。

 正義はこみ上げる笑いを押し込め、無表情を作り直した。


「おかしいな。僕、お説教を受けに来た訳じゃないんですけど。これは取り調べじゃない。どう処理するかの打ち合わせでしょ? 本題に入りませんか」


 新見と数秒間、視線がぶつかった。


 そのタイミングでコーヒーが運ばれてきた。

 砂糖とミルクは断り、ソーサーだけ手に取る。その間も、新見からの突き刺す視線は途切れなかった。

 

 コーヒーを啜る。

 糸が切れたように、新見の深いため息が落ちた。


「茉莉奈ちゃんといい、君といい、近頃の中学生はどうしてこう……」


 茉莉奈ちゃん? その呼び方が、妙に耳に障った。


「俺が中坊の時なんか、部活、ゲーム、ユーチューブ、オナニーで完結してましたけどね。複雑っすねー今の子って」


 コーヒーの湯気に隠し、正義もカップの中にため息を落とした。


 この新見という刑事、何かがおかしい。

 正義が知っていることは二つだけだ。

 茉莉奈の「永遠のヒーロー」。

 そして今回の隠蔽を引き受けた「悪の手先」。


 てっきり、茉莉奈の魅力に抗えず操られた、よくいる大人の一人かと思っていた。

 あるいは組織の論理に飲まれ、上層部を守るために動く歯車か。


 だが、どちらも違う。新見はもっと厄介だ。

 ここに居るということは、刑事としての倫理を捨ててきたはず。

 けれどその鋭い眼差しの中には、追及の光が潜む。


 正義はコーヒーを飲み込むと、口火を切った。


「方法はシンプルです。まず、父に報告してください。今回の件を、包み隠さずに」

「五百旗頭所長が隠蔽に走るって言いたいんだな。……悪いが、俺には到底信じられない」


 正義は一度だけ瞬きをし、静かに言葉を重ねた。


「警察庁長官賞を何度も受けた〝伝説の刑事〟だから? 現場叩き上げで、逸話が山ほどあるから?」

「そうだ」


 新見は迷いなく言った。


「俺たち刑事にとって憧れの存在だ。その人となりは、誇張でも美談でもない。俺はそう信じてる」

 

 正義はカップに口をつける。


「まあ、間違ってはないですよ。息子の僕の目から見ても、父は高潔な人だ」

「なら」

「それでも父は、僕を守らざるを得ない。……単純な()()ですよ」


 古田が眉をひそめて割り込む。


「それ、あの子も言ってたけどどういう意味だよ? 正義くん、君そんなにお父さんにゲロ甘に溺愛されてんの?」


 正義は首を傾げ、少し考えるような間を置いた。


「どうですかね。まあ、血のつながりが無いにしては、愛してくれてるとは思いますよ」

「え?」

「再婚なんです。僕は母の連れ子。そして母の旧姓は——九条くじょう

 

 二人はぽかんとしたまま固まった。

 正義は淡々と二人の反応を待つ。

 新見は顎に手を置き、難しい顔で「九条」の名を口の中で転がし続けた。

 眉間の皺が深くなる。


 そして、雷に撃たれたように、椅子ごと体を跳ねさせた。


 ゆっくりと、正義の方へ視線を向ける。

 その目は恐怖と興奮が入り混じった、奇妙な光を宿していた。


「単純な力学……そういうことかよ」


 古田が慌てて手を挙げる。


「俺ぜんぜん分かんないんですけど。先輩、追いてかないでくださいよ」

 

 新見は顔を歪めて笑った。


「九条……もう退官してるが、四期前の警察庁長官が、同じ名前だ」



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