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最弱スキル「腸内鑑定」の腸活令嬢が、呪われた令息のフローラを整えたら——彼は王になりました  作者: 嘉ノ海祈栄


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第三話 「煎じ薬を、捨てる夜」

 翌朝、エリーゼは日の出前に起きた。


 壺の蓋を開けて、香りを確かめる。問題ない。


(よし)


 小さな器に発酵食品をよそった。見た目はただの白いとろとろした食べ物だ。前世で言うヨーグルトに近い。乳酸菌が生きたまま腸まで届くように、温度と酸度を計算して仕込んだ。


 盆に載せて、三階へ上がった。扉をノックする。


「……入れ」


 昨日より少し、声に力がある。


 レオナルドはベッドに半身を起こして、エリーゼを見ていた。その目に昨日とは違うものがある。警戒か、あるいは期待を必死に隠そうとしている何かか。


「持ってきました」


 盆を差し出した。


「……これが、腸活とやらか」

「第一歩です」

「見た目は普通だな」

「食べてみてください」


 レオナルドが器を手に取った。スプーンで少しすくって、口に運ぶ。


「……酸っぱい」

「発酵しているので」

「不思議な味だ」

「嫌いですか」

「……いや」


 もう一口、食べた。


(よし)


 エリーゼは密かに拳を握った。



 問題が起きたのは、昼過ぎだった。


 扉をノックする音がした。エリーゼが開けると、白衣の初老の男が立っていた。薄い唇、細い目。手に黒い薬瓶を持っている。


「新しいメイドか」


 値踏みするような目だった。


「カーライル家の、エリーゼと申します。昨日からお世話をしています」

「そうか。私は宮廷薬師のドーレン。毎日、レオナルド様の薬を持参している」


 男が部屋に入ろうとした。エリーゼはさりげなく一歩横にずれて、通り道を狭くした。


「レオナルド様は今、少しお休みになっています。薬は私が預かります」

「いや、直接お渡しするのが決まりで——」

「では起こしてきます。少々お待ちください」


 扉を閉めた。


 レオナルドは起きていた。当然だ。声が聞こえていたはずだから。


「宮廷薬師が来ました」

「ああ、そんな時間か……」

「煎じ薬を直接渡したいそうです」

「部屋に通してくれ」


 エリーゼはレオナルドをまっすぐ見た。


「一つ、聞いてもいいですか」

「何だ」

「その薬を飲んだあと、お腹の調子はどうなりますか」


 レオナルドが目を細めた。


「……下痢になる。毎回」

「飲んだあと、身体は楽になりますか」

「……なったことがない」

「飲む前と後で、体調に違いは」

「……飲んだほうが、悪い気がする。ずっとそう思っていた。でも薬師が『好転反応だ』と言うから」


(やっぱり)


 あの煎じ薬が善玉菌を殺し続けている。飲めば飲むほど腸内環境が悪化し、体調が崩れる。その悪循環が、十二年間続いてきた。


「レオナルド様」

「何だ」

「あの薬を、今日から飲むのをやめてください」


 沈黙。


「……宮廷薬師を、敵に回すことになるぞ」

「かまいません」

「怖くないのか」

「怖いです」


 レオナルドが、少し面食らったような顔をした。エリーゼは続けた。


「でも、立ち向かいます。あの薬こそがあなたの腸を壊し続けている元凶です。やめなければ、あなたの身体は永遠にこのままだ」


 銀色の目が、エリーゼを見た。昨日より、その奥の揺らぎが大きい。


「……証明できるか。その薬が原因だと」

「一週間やめてみてください。身体がどう変わるか、それが証明です」

「薬師が騒ぎ立てるぞ」

「対応します」

「お前一人でか」

「はい」


 レオナルドは静かに息を吐いた。


「……わかった。やめる」



 廊下に戻ると、ドーレンはまだそこにいた。薬瓶を手に、じっと立っている。


「お待たせしました。レオナルド様からの伝言です」

「なんだ」

「今日から薬は不要とのことです」


 ドーレンの目が、細くなった。


「……なんだと」

「ご本人の意思です」

「あの方は病人だ。自分で判断できる状態では——」

「判断されました」


 穏やかに、でも一歩も引かない笑顔で言った。


「何かご不満があれば、レオナルド様に直接おっしゃってください。私はただ、伝言をお伝えしただけですので」


 ドーレンの目に、初めて別の感情が混じった。警戒だ。


「……お前、名前は」

「エリーゼ・カーライルです」

「スキルは」

「腸内鑑定です」


 鼻で笑われた。


「役立たずスキルの小娘が、宮廷薬師の処方に口を出すか」

「口は出していません。レオナルド様の意思をお伝えしただけです」

「覚えておけ。長く働きたければ、余計なことはするな」


 踵を返した。足音が石畳に響いて、遠ざかって、消えた。


 エリーゼは扉に背をもたせかけて、長く息を吐いた。


(宣戦布告、完了)


 膝が少しだけ震えている。怖くないと言ったのは嘘だ。本当は怖い。


 でも。


(腸内鑑定は、正しいと言っている)


 壁から背中を離して、姿勢を正した。



 その夜から、レオナルドの身体が変わり始めた。


 穏やかなものではなかった。


 二日目の夜、レオナルドが激しく震えた。


「寒い……」

「毛布をもう一枚持ってきます」

「頭が……痛い」

「これは離脱反応です。薬への依存から、身体が抜け出そうとしています」

「……どれくらい続く」

「三日間がピークです。その後は楽になります」


 レオナルドが苦しそうに目を閉じた。エリーゼは冷たいタオルを絞って、額に当てた。


「眠れそうですか」

「……眠れない」

「では話しましょう。気が紛れます」

「何を話す」

「あなたが聞きたいことを」


 しばらく、天井を見ていた。


「……ここに来た本当の理由は」


 エリーゼは熱くなったタオルを水に浸しながら、答えた。


「お金のためではありません」

「……だろうな。でなければこんな無謀なことはしない」

「あなたの腸を治したいからです」

「なぜ、私を」


 他人か。確かに、そうかもしれない。でも——


「重なって見えるんです。前世で助けられなかった人と」


 レオナルドの目が、少し見開いた。


「前世?」

「転生という概念は、ありますか」

「……おとぎ話では聞く」


「私は転生者なんです。前の世界で、大切な人の病気に気づくのが遅れた。治せたかもしれなかったのに、間に合わなかった」


 膝の上で手を組んだ。


「だからここで、また間に合わなかったなんてことには——絶対になりたくない」


 しばらく、二人とも黙っていた。蝋燭の炎が、ゆらゆらと揺れる。


「……お前は変な奴だな」

「よく言われます」

「宮廷薬師を敵に回して、転生者で、腸活をする令嬢か」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 レオナルドが短く息を吐いた。


 笑った、のかもしれない。ほんの少し。ほんの微かに。


(笑った。初めて)


 エリーゼは心の中で小さくガッツポーズをした。


(セロトニン、動き始めてる)

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