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最弱スキル「腸内鑑定」の腸活令嬢が、呪われた令息のフローラを整えたら——彼は王になりました  作者: 嘉ノ海祈栄


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7/7

「こちらが、令息様のお住まいです」

 

 公爵家の屋敷は、想像より大きかった。


 でもエリーゼが案内されたのは、屋敷の本棟ではなく、庭の奥。鬱蒼と茂った木々の向こうに建つ、古い石造りの塔。


 案内の侍従が、平坦な声で言った。感情がない。それがこの塔の日常を物語っている気がした。


「令息様は……三階に」

「わかりました」


 エリーゼは壺を抱えたまま、石段を上った。


 一段、また一段。螺旋状の階段を上るたびに、空気が変わる気がする。湿って、重くて、どこか閉じた空気。


(ここに令息はずっといるのかな。……鬱蒼としてて、あまりいい感じがしないわね)


 三階の扉の前に立った。

 ノックをするが、返事がない。もう一度、今度はさらに力を入れてノックした。


「……入れ」


 低い声だった。子どもの声とは思えないほど、感情が削ぎ落とされた声。


 エリーゼは扉を開けた。


 カーテンが閉まる薄暗い部屋。その奥に大きなベッドがあり、少年が横たわっている。


 その少年を見て、エリーゼは息を呑んだ。


 蒼白な肌。落ちくぼんだ頬。ベッドに沈み込むような、薄い身体。まるで、ここ数年で少しずつ削られてきたような——。


 でも、目だけが違った。


 銀色の目が、エリーゼを見ている。冷たくて、鋭くて、でもその奥に、何か燻るものがある目。


「……また来たのか。メイドが」


 少年——レオナルドが言った。


「何人目だ。三ヶ月で四人か。今度は何日持つ」

「一生持ちます」


 エリーゼは言った。

 レオナルドが目を細める。


「大きなことを言う」

「事実を言っています」


 エリーゼは部屋の中を見回した。


 窓は完全に閉じられている。外の空気が入ってこない。床は石畳で、土の気配がない。植物も、動物も、何もない。完全に、外の世界から切り離された空間。


(最悪だ。菌が全然いない。これじゃ多様性のかけらもない)


 エリーゼは壺を床に置いた。そして——スキルを発動した。


 視界に、数値が浮かぶ。


【腸内鑑定 発動中】

対象:レオナルド・ヴァルディシア(12歳)


▼腸内フローラ状態

乳児型ビフィズス菌 ◾️0%(絶滅)

酪酸産生菌     ◾️0%(絶滅)

乳酸菌       ◾️1%(瀕死)

日和見病原菌    ◾️◾️◾️◾️◾️◾️79%(暴走)

院内常在菌     ◾️◾️◾️20%(定着)


▼多様性スコア 47種

▼健康児平均  1,000種


▼総合診断

〝崩壊型ディスバイオシス〟

自力回復:不可能

推定原因:帝王切開・母乳未摂取・長期抗生物質投与・完全隔離環境


(……)


 エリーゼは、しばらく動けなかった。


(生きてるのが、奇跡だ。この数値で、十二年間生きてきた。この子は、十二年間ずっとこの状態で……)


 胸の奥が、じわりと痛んだ。


 前世の記憶が重なる。腸が壊れていくのを止められなかった、あの日の父。間に合わなかった後悔。


(今度は——間に合わせる)


「何を見ている」


 レオナルドが言った。


「あなたの腸内を、鑑定していました」


 沈黙。


「……腸内鑑定、とかいうスキルか。役立たずの」

「役立たずではありません」


 エリーゼは顔を上げた。


「あなたの病の原因が、わかりました」


 レオナルドの目が、かすかに動いた。


「……呪いではないと?」

「呪いではありません」


 きっぱりと言った。


「あなたの腸内フローラが、崩壊しています。生まれたときから、必要な菌が一度も入ってこなかった。さらに、薬で善玉菌が根こそぎ殺されてきた。だから身体が弱い。免疫が作れないから」


 レオナルドが、ゆっくりと半身を起こした。


「……腸内フローラ。それが原因だと?」

「そうです」

「……治せるのか」


 エリーゼは一秒だけ考えた。


 嘘はつかない。でも、希望も見捨てない。


「時間はかかります。一週間では無理。一ヶ月でも、まだ道半ば。でも——」


 エリーゼはまっすぐに、レオナルドの銀色の目を見た。


「必ず、治します。一年で起き上がれるように。三年で剣を握れるように。五年で——」


(あなたを救えるように)


「五年で、あなたが望む場所に立てるように」


 レオナルドが、長い間エリーゼを見ていた。


 その目に、何かが揺れた。ほんの少しだけ。雪解けの直前の、氷のような、揺らぎ。


「……信じる理由が、ない」

「あります」

「何だ」

「私は今日、ここに来る前に、発酵食品を仕込んできました」


 エリーゼは壺を指差した。


「明日の朝、これをお出しします。それを食べて、一週間後に自分の身体がどう変わるか、確かめてみてください」

「……食べなかったら?」

「食べてください」


 エリーゼは笑った。


「美味しいですよ。ちゃんと」


※※※


 その夜、エリーゼは塔の一番下の小部屋に、壺を並べながら考えた。


 ここから始まる。

 

 十二年間、誰にも治せなかった病。宮廷医が匙を投げた呪い。でもその正体は、腸内環境の崩壊だ。


 治せる。絶対に。


(最初の一週間が、全部を決める)


 エリーゼは壺の蓋をそっと開けた。発酵の香りがふわりと漂う。乳酸菌が、今この瞬間も生きて、働いている。


(頼むよ、みんな。あの子の腸を、救ってあげて)


 小部屋の壁越しに、塔の最上階を見上げた。

 あの冷たい銀色の目が、脳裏に浮かぶ。


(あなたは呪われていない。ただ、必要な菌が足りなかっただけ。それを、私が持ってきた)


 エリーゼは壺の蓋を閉めた。


 明日から、戦いが始まる。


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