②
翌朝、エリーゼは父親に書斎へ呼ばれた。
机の前に座る父は、どこか気まずそうに視線を逸らしている。後ろには母が立っていた。こちらも目を合わせようとしない。
「エリーゼ。お前には公爵家へ行ってもらう」
「……公爵家ですか?」
「ああ。ある公爵家が令息の世話役を募集している。役立たずのお前を、唯一必要としてくれる場所だ。感謝するんだな」
すると、父は一つのカバンを使用人づてに渡してきた。
「荷物はそれにまとめておけ。向こうに迷惑をかけぬよう荷物は最低限にしろ」
「……わかりました」
こちらに拒否権はないらしい。有無を言う間もなく、部屋を出てくよう指示を受けた。
「……呪いがうつるのは困るから、ここには戻ってこないでちょうだい」
部屋を出ていく前、母が私にそう言った。私はそれに応えるように一瞬足を止めると、そのまま部屋を後にした。
「お嬢様……」
荷物を片付け、地面に埋めていたぬか漬けの壺を掘り出していると、料理長が声をかけてきた。数少ない私の腸活へ理解者だ。彼の協力がなければ、我が家のキッチンで好き勝手することはできなかった。
「旦那様から話を聞きました。……お嬢様が向かわれるのは、呪われると恐れられる公爵令息の所だと」
「……ええ」
「ええ、って……。なぜそんなに冷静でいられるのですか?もし万が一のことがあったら——」
「大丈夫です」
エリーゼは微笑んだ。前世の凛が、社会人として身につけた笑顔。どんな状況でも崩れない、穏やかで、芯の通った笑顔。
「私のスキルは腸内鑑定です。呪いの原因がわかるかもしれません。何かお役に立てるかもしれない」
「そ、うかもしれませんが……怖くないのですか」
「怖いです」
え……、と息をもらす料理長。エリーゼは壺を掘り出す手を再会しながら、話を続けた。
「でも行きます。私の知識が、誰かを救えるなら」
(私の力を必要としてくれる人がいるなら、その人の役に立ちたい。……間に合わなかった後悔は、もうごりごりだ)
前世の悔しくてやるせない想い出が脳裏をよぎる。自然と土を掘る手に力が入った。
「……そのぬか壺はどうされるのですか」
エリーゼの想いを受け取ったのだろう。料理長はそれ以上追求せず、エリーゼの手元に視線をうつした。
「全部は持っていけないから、最低限のものだけ小さい壺に移してあとは置いていくわ」
毎日欠かすことなく、かき混ぜつづけたぬか床。熟成をしつづけ、旨みが凝縮されたぬかで作るぬか漬けは、乳酸菌も多くエリーゼの腸内環境にいい影響をもたらしていた。
「……お父様もお母様も召し上がらないでしょうし、これは貴方に差し上げます。料理長も好きでしょう、ぬか漬け」
「ええ、あの程よい酸味がいいですよね。……ありがとうございます。毎日、大切にかき混ぜます」
「そうしてください。愛情をこめるほど、菌たちが育ちますから」
小さい壺に取り出したぬか漬けを入れたエリーゼは、元の壺を地面に埋め終わると、小さい壺を持って立ち上がった。
「お父様の腸内フローラが、最近少し乱れています。心配事が多いと腸に出るんです。出発前に、発酵スープを作っておくので飲ませてください。……料理長も飲んでおくことをおすすめします」
エリーゼの言葉に料理長はきょとんと目を丸くする。
「……それは、ありがたいですが」
「大丈夫です。美味しいですよ。ちゃんと」
エリーゼはそう微笑むと、そのまま踵を返した。その足取りには、力強いリズムが刻まれている。
(こんな状況だけど、不安よりワクワクが勝ってる。いい感じに育ってるね、私の腸内細菌)
もはやどこに行っても考えることは腸活のことばかりだ。何処となく楽しそうなエリーゼを、屋敷の使用人たちは不気味そうに伺い見たのであった。




