第28話:あの春の告白と、僕の黒歴史(第3節)
その日の夕方。
クラス中の女子から冷ややかな視線を浴び、身も心もボロボロになって帰宅した悠真は、自室のベッドにうつ伏せに倒れ込んでいた。
「……終わった。僕の中学生活、完全に終わった……」
枕に顔を埋め、消え入りそうな声で呻く。
同級生の『櫻井』さんから「キモい」「ストーカー」と罵倒され、クラス中を巻き込んで大爆笑された、あの放課後の裏庭。
思い出すだけで、顔から火が出るどころか、全身の血が蒸発しそうだった。
「だいたい、誰なんだよ、あんな手紙を書いたのは……!」
悠真は弾かれたように起き上がり、鞄の奥底に押し込んでいた、あの忌まわしいピンク色の封筒を取り出した。
改めて、震える手でその差出人の名前を確認する。
『放課後、裏庭の旧校舎前で待っています。 桜井』
「……え?」
悠真は目をこすり、もう一度その文字を凝視した。
同級生の『櫻井』さんの名前の漢字は、「貝」が二つ乗った難しい方の漢字だ。
だが、この手紙に書かれているのは、ごく一般的な「木」の方の『桜井』だった。
「これ……別人じゃん!」
悠真は頭を抱えた。
自分は、名前の読み方が同じだというだけで完全に勘違いし、全く関係のない同級生の女子を呼び止めて、勝手に振って、勝手に自爆して、勝手にストーカー扱いされたのだ。
「誰だよ、この『桜井』って……! 僕は面識なんてないぞ!」
悠真は、自分の交友関係を必死に探ったが、学年や部活、どこを探しても『桜井』という名前の女子の知り合いは思い当たらなかった。
(……いや、待てよ?)
その時、ふと脳裏に、始業式の日に廊下の角でぶつかった、大人しそうな後輩の女子生徒の顔がよぎった。
(もしかして、あの時の……? いや、まさか)
悠真はすぐに首を横に振った。
彼女は、自分が花瓶の破片で滑って足にしがみついた相手だ。しかも、先生には自分が花瓶を割ったと思われている。
そんな最悪の出会いをした相手が、自分にラブレターを送ってくるはずがない。
(これ以上、自意識過剰になってストーカー扱いされるのはご免だ……。誰だか分からないけど、この手紙のせいで僕の人生は終わったんだ……!)
悠真の不幸体質は、ついに彼の青春すらも理不尽に破壊してしまったのだ。
彼はそのピンク色の封筒を、決して目につかないよう、机の一番下の引き出しの奥深くにあった、古いお菓子の缶箱の中に封印した。
「もういい……。この手紙のことも、今日のことも、全部忘れよう……」
一方、その頃。
悠真の教室のすぐ外の廊下で、惨劇の一部始終をこっそりと見届けていた桜井唯は、自分の気弱さを呪って泣いていた。
(……私の、せいだ)
勇気を振り絞って書いた、感謝と好意を綴ったラブレター。
それが、まさかこんな最悪のすれ違いを生み、優しい先輩をクラスの笑い者にしてしまうなんて。
数日後。桜井は、今度こそ直接会って、ちゃんと「私が書きました」と謝らなければならないと決意し、悠真の教室の前まで足を運んでいた。
だが、彼女が声をかける前に、悠真のクラスメイトの男子たちが、桜井の姿を見てニヤニヤと笑いながら近寄ってきた。
「おっ、二年生じゃん。どうしたの?」
「おいおい、気をつけろよ~。うちのクラスには、ちょっと声かけただけで告白されたと勘違いする『自意識過剰なストーカー男』がいるからな!」
「あはは! 近寄らない方がいいぜ~!」
その心無いからかいの言葉に、桜井の足はすくんでしまった。
(……私が、先輩をあんな風に言われる原因を作ったのに。……私、何も言えない……)
気弱で自己主張ができない彼女は、結局、何も言い出せないまま、逃げるようにその場を去ってしまった。
自分の不甲斐なさと、先輩への申し訳なさが、彼女の心に深く、暗い影を落とすことになった。
そして、それから数日後の、高橋家。
リビングでテレビゲームをしていた妹の小春が、帰宅した悠真を横目で見ながら、ニヤリと小悪魔的な笑みを浮かべた。
「ねえ、お兄ちゃん。最近、学校で『ストーカー』って呼ばれてるって、ホント?」
「ぶっ!?」
悠真は飲んでいた麦茶を盛大に噴き出した。
「な、なんでお前が知って……!?」
「学校で噂になってたよ~。ちょっと話しかけられただけで告白されたと勘違いして、勝手に振ってキモがられたって。……お兄ちゃん、ついにただのポンコツから、変態ストーカーにクラスチェンジしたの?」
小春の容赦ない毒舌に、悠真はソファにうずくまり、両手で顔を覆った。
妹にまで知れ渡っているという事実が、彼の精神にトドメを刺した。
「……もう嫌だ。学校行きたくない……」
本気で落ち込む兄の姿に、小春はゲームの手を止め、小さくため息をついた。
「……お兄ちゃんってホント……残念だね」
いつもの呆れたような口調だが、その声には、兄を本気で心配する妹としての不器用な優しさが滲んでいた。
「まあ、元気出しなよ。……どうせいつか、お兄ちゃんのそういうポンコツで残念なところも含めて、好きになってくれる物好きな『彼女』が現れるよ。……たぶんね」
小春はそう言うと、再びゲームの画面へと向き直った。
だが、その慰めの言葉すら、今の悠真の耳には届いていなかった。
そうして悠真は、中学三年生の残りの日々を『ストーカー』という不名誉なあだ名と共に過ごすことになった。
理不尽に終わった春の出来事――廊下でぶつかった後輩の記憶も、その後のラブレター事件も、すべてを自らの心の奥底に固く『鍵』をかけて。
あのピンク色の封筒も、その名前の主のことも、古いお菓子の缶箱の中に永遠に封印したのだった。
――だが。
「先輩、好きです! ずっと、ずっと前から……好きでした!」
猛吹雪の雪原。魔王と魔神の死闘が繰り広げられる中。
悠真の目の前には、あの時、引き出しの奥深くへ封印したはずの『ピンク色の封筒』が、真っ赤な顔をした桜井唯の手によって突きつけられていた。
悠真の『黒い』記憶の扉にかけられていた古の封印の『鍵』が、まるで鋭い『ナイフ』を差し込まれた様に、凄まじい勢いでこじ開けられる。
「あ……ああ、ああああ……ッ!?」
悠真の口から、絶望とも歓喜ともつかない、情けない悲鳴が漏れ出ようとしていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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