第28話:あの春の告白と、僕の黒歴史(第2節)
始業式の日の午後。
花瓶の破片で擦りむいた足を引きずりながら家に帰ると、妹の小春はリビングのテレビの前で、すでにお菓子の袋を開けてゲームに没頭していた。
「あ、お帰りー。……鞄取りに行っただけで随分遅かったね? どっか寄り道でもしてた?」
画面から目を離さず、小春がコントローラーをピコピコと動かしながら尋ねてくる。
「ま、まあね。ちょっと……」
その後、悠真は夕食を食べながら、学校での理不尽な出来事を愚痴った。
廊下を走って角を曲がったら、たまたま後輩が花瓶を落とした直後で、破片に乗って滑って転び、そのまま濡れ衣を着せられた、と。
「ふ~ん……。要するに、お兄ちゃんがドジ踏んで転んだのを誤魔化すために、その後輩女子にいいカッコしただけでしょ?」
「っ……! 違う! 僕はただ、あの子が可哀想だなって思って……」
「へぇー? ……で、その子、可愛かったの?」
小春は箸を置き、ニヤニヤと小悪魔的な笑みを浮かべて身を乗り出してきた。
「なっ……! そ、そんなんじゃないって! 顔なんてよく見てないし!」
「ふ~ん? なんでそんなに必死に顔を赤くするのかな~。お兄ちゃんって本当に分かりやすいザコだね~」
図星を突かれ、悠真は顔を真っ赤にして黙り込むしかなかった。
――それから、約1ヶ月後。五月の半ば。
放課後の静かな図書室で、桜井唯は窓際の席に座り、開いた本から目を離してぼんやりと外を眺めていた。
窓ガラスには、シトシトと降り始めた冷たい雨の雫が、幾筋もの涙のように流れている。
(……はあ)
彼女の心には、ずっと重く引っかかっていることがあった。
始業式の日、自分の不注意で割ってしまった花瓶。
その責任をすべて被り、先生に怒られてくれた、あの優しい先輩のことだ。
桜井は、彼にちゃんと謝り、そしてお礼を言わなければならないとずっと思っていた。
だが、元来の気弱な性格が邪魔をして、それまで全く面識のなかった、たまたまぶつかっただけの先輩に、どうやって声をかければいいのか、ずっと悩み続けていたのだ。
(直接話しかける勇気なんて、私にはない……。でも、このままじゃダメだ)
雨音を聞きながら、桜井はギュッと拳を握りしめた。
(高橋悠真せんぱい……)
自分の気持ちを、どうしても伝えたい。
謝罪と、感謝と……そして、あの背中を見た時から芽生えていた、この小さな胸の鼓動の正体を。
意を決した桜井は、その夜、自分の部屋で震える手でペンを握り、何度も何度も書き直しながら、一通の手紙を書き上げた。
そして翌日の早朝、まだ誰もいない三年生の教室に忍び込み、心臓をバクバクさせながら、悠真の机の中へとその手紙をそっと滑り込ませたのだ。
その日の放課後。
外は昨日から降り続く雨で、薄暗く冷たい空気に包まれていた。
帰りの会が終わり、悠真が机の中に手を入れた時、指先にカサリと見慣れない紙の感触が触れた。
「ん? なんだこれ」
取り出してみると、それは可愛らしいピンク色の封筒だった。
裏返すと、そこには丸みを帯びた丁寧な文字で、一言だけ書かれていた。
『放課後、裏庭の旧校舎前で待っています。 桜井』
「……えっ!?」
悠真は心臓が飛び跳ねるのを感じた。
これは、どう見ても、どう読んでも、あの伝説のアイテム……『ラブレター』というやつではないか!
(ウソだろ!? 僕に、手紙!? しかも……)
手紙の名前を見て、真っ先に浮かんだ顔があった。
同じクラスの女子の、『櫻井』さんだ。
席が近く、たまにプリントを回す時に言葉を交わす程度の仲だが、明るくて活発な、クラスでも目立つ存在の女の子。
(まさか、櫻井さんが僕のことを……!?)
悠真が顔を真っ赤にして舞い上がっていた、その直後。
「あ、高橋くん! ちょっといい?」
――教室の入り口から、まさにその『櫻井』さん本人が、彼に向かって手を振っていた。
「は、ひゃいっ!?」
悠真は間抜けな声を上げ、慌ててラブレターを鞄の奥底へと隠した。
「ごめんね、ちょっと裏庭の倉庫まで、付き合ってくれない?」
櫻井さんはそう言うと、段ボール箱を抱えて先に歩き出してしまった。
「裏庭まで、つ、つきあってって?!」
(う、裏庭!? 手紙に書いてあった場所だ! まさか……!?)
悠真の思考回路は、完全にショートしていた。
手紙の差出人を同級生の『櫻井』さんだと完全に勘違いしたまま、彼は心臓をバクバクさせながら、雨の降る裏庭へとついていった。
旧校舎の裏にある、薄暗い倉庫の前。
櫻井さんが、段ボール箱を置いて振り返り、口を開きかけた。
「あのさ、高橋くん……」
「ご、ごめんッ!!」
悠真は、彼女の言葉を遮るように、目をギュッと瞑って大声で叫んだ。
「君の気持ちはすごく嬉しいけど……! 僕は今、誰かと付き合うとか、そういうの考えられなくて……! だから、その……気持ちには応えられない!」
静寂。
雨音だけが響く裏庭で、数秒の、永遠にも似た沈黙が流れた。
ゆっくりと目を開けると、そこには信じられないものを見るような目で悠真を見つめる、同級生の櫻井さんの姿があった。
「…………は?」
彼女の口から、低く、冷ややかな声が漏れた。
「……何言ってんの? キモッ!!」
「えっ?」
「私が『告白』!? あんたに!? ないないない、ウケるんだけど! ただのプリントの束、一緒に運んでほしかっただけなんですけど! 自意識過剰すぎでしょ!」
櫻井さんは、お腹を抱えて大爆笑し始めた。
悠真は、顔から火が出るどころか、全身の血が一瞬にして凍りつくのを感じた。
「え……? で、でも、机の中に手紙が……櫻井って……」
「はあ!? 私が手紙なんか書くわけないじゃん! マジでキモい! 近寄らないでよ、ストーカー!」
彼女は、笑い涙を拭いながら、一人でさっさと教室の方へと戻っていってしまった。
残された悠真は、雨の降る裏庭で、完全に真っ白になって立ち尽くしていた。
数分後、教室に戻ると、そこはすでに地獄と化していた。
「ちょっとみんな聞いてよ! 高橋のやつ、私がプリント頼もうとしただけなのに、告白されたと勘違いして『気持ちには応えられない』とか言ってきたんだけど! マジでキモくない!?」
教室中に爆笑が巻き起こり、女子たちの氷のような視線が一斉に僕に突き刺さる。
(終わった……僕の中学生活が、完全に終わった……!)
『自意識過剰なストーカー』
僕の青春は、その不名誉すぎる称号と共に、無残にも散り去っていった。
「………………」
そんな爆笑の渦に包まれた教室のすぐ外。
薄暗い廊下の陰から、その惨状をこっそりと見つめている、一人の少女の姿があった。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
https://www.pixiv.net/users/119429388
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