第28話:あの春の告白と、僕の黒歴史(第1節)
時を少しだけ遡る。
悠真が異世界へ落ちる2年前、彼が緑ヶ丘学院中学の三年生になったばかりの、春の始業式の日のことだった。
「お兄ちゃん、見て見て! 私の新しい制服、似合うでしょ!?」
下校中、満開の桜並木の下で、新入生になったばかりの妹・小春が、嬉しそうにセーラー服のプリーツスカートをひらひらと揺らしていた。
トレードマークのピンク色のツインテールが、春風に舞う花びらと一緒になって、楽しげに跳ねている。
「はいはい、似合ってる。入学式の前から毎日毎日、家でファッションショーみたいに見せびらかされて、もう見飽きたけどな……」
悠真は、うんざりした顔でため息をついた。
だが、小春は「むっ」と頬を膨らませ、小悪魔的な笑みを浮かべて悠真の横を歩きながら言った。
「可愛すぎる妹を持ったお兄ちゃんの嫉妬ですね~。……あれ? そういえばお兄ちゃん」
「ん?」
「お兄ちゃん、鞄は? 今日、始業式だからって、手ぶらで帰るわけないよね?」
その言葉に、悠真はピタリと足を止めた。
自分の右手と左手を交互に見て、背筋に冷たい汗がツーッと流れるのを感じる。
「……あ」
「うわぁ……。始業式の日に鞄を教室に忘れてくるなんて、お兄ちゃんって本当に残念だね。……じゃ、私先帰ってゲームしてるから、早く取ってきなよ~!」
小春は「あっはっは、お兄ちゃんって、ほんとざ~こ」と容赦ないメスガキ全開の毒舌を吐きながら、一人でさっさと家の方へ駆けていってしまった。
悠真は一人、桜並木の下でがっくりと肩を落とし、再び学校へ向けて全速力で走り出した。
(初日からこれかよ……! 僕の不幸体質は、三年生になっても健在らしい!)
同じ頃、緑ヶ丘学院中学の校舎内。
中学二年生になった桜井唯は、元美化委員という理由だけで、先生から大量の空の花瓶を備品室へ運ぶよう頼まれ、一人で廊下を歩いていた。
本当は、早く帰って新しいクラスの友達と遊びに行きたかったのに、「桜井さんなら丁寧にやってくれそうだから」という先生の言葉に、どうしても「嫌です」と断れなかったのだ。
(……私って、本当に駄目だな)
桜井は、重い花瓶を抱えながら、暗い気持ちでため息をついた。
(いつもこうだ。大人しくて、自己主張できなくて、都合のいい雑用係……。二年生になったら、少しは変わらなきゃって思ってたのに……)
自分の気弱な性格に対するコンプレックスが、彼女の心を重く沈ませていた。
そんな考え事に気を取られていたせいだろうか。
ツルッ。
「あっ……!」
廊下の角を曲がろうとした瞬間、抱えていた花瓶の山がバランスを崩し、桜井の手から滑り落ちた。
ガチャンッ!!
乾いた破砕音が響き渡り、いくつもの花瓶が廊下の床で無惨に砕け散る。
「ど、どうしよう……! 割っちゃった……!」
桜井は血の気が引き、パニックになってその場にしゃがみ込み、震える手で鋭い陶器の破片を拾い集めようとした。
だが、その直後だった。
ドタドタドタッ! と、廊下の角の向こうから、誰かが猛スピードで走ってくる足音が聞こえた。
「――うわっ!?」
鞄を取りに教室へ急いでいた悠真が、角から勢いよく飛び出してきたのだ。
そして、彼の不幸体質は、ここで最悪のタイミングで発動した。
悠真のスニーカーの裏が、桜井が落とした花瓶の破片に見事に乗り上げた。
「――っぶね!?」
ズルッ!
摩擦を失った悠真の体は、宙に浮くようにして大きくバランスを崩した。
そして、彼は転倒による大怪我を免れようと、本能的に目の前にあった「何か」にしがみつこうと手を伸ばした。
それが、しゃがみ込んでいた桜井の両足だった。
「ひゃんっ!?」
ドサァッ!
悠真は桜井の足首にガッチリとしがみつき、彼女の制服のスカートのすぐ下、太ももの間に顔をうずめるような、極大のラッキースケベ状態で見事にスライディング土下座を決めた。
「い、痛っ……ご、ごめん! 大丈夫!?」
悠真が顔を真っ赤にして慌てて離れようとした、その時。
「――こらっ! 高橋!! 何を走っているんだ!」
騒ぎを聞きつけて、運悪く生活指導の厳しい教師が、怒鳴りながら角を曲がってきた。
教師の目に入ったのは、散乱した花瓶の破片と、後輩の女子生徒の足元に転がっている悠真の姿。
「廊下を走って花瓶を割るとは何事だ! しかも、女子生徒に怪我をさせようとは……言語道断だ! 掃除が終わったら、すぐに職員室へ来い!!」
「えっ……? あ、はい……。すみません、僕が走って割りました……」
悠真は、いつもの理不尽な不運に慣れきっていたため、「僕じゃありません」と言い訳をすることもなく、あっさりと自分の非として謝罪してしまった。
(どうせ言い訳をしたところで、廊下を走ってぶつかった僕が、言い逃れできないだろうな……。今日もとことん、ついてない……)
「……あ、あの!」
桜井が慌てて口を開きかけたが、悠真はそれを手で遮り、散らばった破片を拾い集め始めた。
「いいよ、いいよ。君は危ないから下がってて。僕が片付けるから」
「でも……!」
「いいから大丈夫。……それよりぶつかってごめん。怪我なかった?」
悠真はそう優しく声をかけると、花瓶の破片で擦りむいた手で、一人黙々と掃除を続けた。
桜井は、その光景をただ立ち尽くして見つめることしかできなかった。
(……違う。私が落として割ったのに……。先輩は、私を庇ってくれたの……?)
自分の不注意で起きたミス。
それなのに、この見ず知らずの先輩は、言い訳一つせずに、すべての責任を自分一人で被って、先生に激怒されている。
桜井の胸が、強烈な罪悪感と同時に、ギュッと熱く締め付けられた。
結局、桜井も一緒に掃除を手伝い、その後、悠真は一人で職員室の方へと歩き去っていった。
その頼りない、けれど誰よりも優しい背中を見送った時。
桜井の胸の奥で、何かがトクンと小さく跳ねた。
気弱で何もできない自分を、身を挺して守ってくれた(という桜井の壮大な勘違いだが……)、あの優しい先輩。
それが、彼女にとっての『初恋』の始まり。
――そして彼にとっては、人生最大の『黒歴史』の幕開けとなることなど、当時の桜井は知る由もなかったのだ。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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