第23話:マンホールと子猫と彼女(第2節)
閑静なマンションのリビング。
対面に座った悠真の妹、小春は、獲物を前にした狩人のように目をキラキラと輝かせ、身を乗り出してきた。
「で……! うちの残念なお兄ちゃんの、一体どこが良くて付き合ってるんですか!?」
直球すぎる質問に、桜井は顔から火が出るのを感じた。
「え、えっと、あの……!」
膝の上に置いた手が、ギュッと制服のスカートを握りしめる。
ここは「彼女」として、怪しまれないような完璧な嘘をつかなければならない。
(でも、先輩のどこが好きかって……)
桜井は頭の中で必死に言葉を探そうとする。
思い浮かんだのは、雨の日に泥まみれの子猫を放っておけず、自分のおやつの『ちくわ』を差し出していた、あの不器用で優しい横顔だった。
「その……先輩は、すごく優しくて……」
「優しい? あのポンコツが? まあ、確かに不器用にお人好しなところはありますけど……」
小春は腕を組み、「ふむふむ」と品定めするように桜井を見つめる。
「それでそれで? いつから付き合ってるんですか? 手、繋ぎました!? キスは!?」
「ひゃっ!?」
怒涛の質問攻めに、桜井の顔は完全に沸騰した。
「そ、そんな、まだ……っ! 私たち、付き合い始めたばかりで……その、まだ手を繋ぐのがやっとというか……っ!」
「えー! お兄ちゃん奥手すぎ! こんな可愛い彼女がいるのに、勿体ないなぁ!」
小春はケラケラと笑い、すっかり桜井のことを「兄の初々しい彼女」として信じ切ってくれたようだった。
桜井のあまりに真っ赤な顔と、しどろもどろな態度が、逆に嘘偽りのない純情さを醸し出していたのだ。
「あ、あの! 妹さん……小春ちゃん、ですよね?」
「はい! 呼び捨てでいいですよ、桜井先輩!」
すっかり打ち解けた様子で笑う小春に、桜井は内心で平謝りしながら、本題を切り出した。
「実は……先輩に貸していた本を、明日どうしても学校で使わなきゃいけなくて……。その、せ……先輩の部屋、少しだけ探させてもらってもいい……かな?」
「あ、そういうことですか! 全然いいですよー。お兄ちゃんの部屋、奥の突き当りです。あ、散らかってたらごめんなさいね!」
小春はあっさりと承諾し、「私もお茶のお代わり淹れてきますね!」とキッチンへ向かった。
桜井は、大きく安堵の息を吐き出すと、抱きかかえていた子猫の『ちくわ』と視線を交わし、悠真先輩の部屋へと足を踏み入れた。
ガチャリ。
初めて入る、先輩の部屋。
少しだけ散らかった机や、壁に貼られたポスター。そして、部屋の空気に微かに混じる、先輩と同じシャンプーの香り。
桜井の心臓が、小春の面接の時とは違う意味で、ドクンと大きく跳ねた。
(……先輩の部屋)
少しだけその香りに浸っていたい衝動に駆られたが、腕の中の神獣が、鋭く低い声でそれを遮った。
『……人間よ、油断するな。この部屋、凄まじい力が渦巻いておる』
「え……?」
子猫は桜井の腕から飛び降りると、机の引き出しの前に立ち、毛を逆立てた。
『ここだ……。この引き出しの奥深くから、とてつもなく重く、どす黒い『不幸の残滓』が漏れ出しておる……!』
桜井はゴクリと唾を飲み込み、恐る恐る机の一番下の引き出しを開けた。
奥の方に、古いお菓子の缶箱が隠すようにしまわれていた。
「これ……?」
桜井が缶箱を手に取ると、それはズシリと重く、冷たかった。
蓋を開けた瞬間。
「……っ!」
桜井は、その中身を見て息を呑んだ。
「これが……先輩の、不幸の残滓……?」
『……間違いない』
子猫は、その缶箱から溢れ出る異常なオーラを前に、畏怖の念を込めて震えた。
『我は、魔力のないこの世界で、魔王軍を導くための『不幸パワーの適合者(救世主)』を探しに来た。だが、これほどまでに強大な負のエネルギーを溜め込む人間など、見たことがない』
「救世主……?」
『ああ。あの男こそが、真の適合者だ。奴のこの強大な『不幸の残滓』さえあれば、マンホールの転移陣は確実に再起動する。……あの男は我を置いて勝手に転移してしまったが、これで我も異世界へ帰還できる』
子猫の言葉に、桜井はギュッと缶箱を胸に抱きしめた。
先輩が、異世界にたった一人で落ちてしまった。しかも、自分が関わった「あの日の出来事」が、彼の不運の根源の一つになっているのだとしたら。
「ちくわ……お願い」
桜井は、真剣な瞳で子猫を見つめた。
「私も、連れて行って。先輩のところへ」
『……人間よ、正気か? 異世界は、魔族やモンスターが跋扈する危険な場所だぞ』
「それでもいい! 先輩を一人にしておけないの!」
桜井の、一切の迷いがない真っ直ぐな瞳。
子猫はしばらく彼女を見つめ返した後、ふっと小さく息を吐いた。
『……ふん。我が命の恩人の頼みだ、仕方あるまい。我の背に乗ることを特別に許可してやろう』
子猫の承諾を得た桜井は、缶箱を自分の学生鞄にしまい込んだ。
部屋を出る前、桜井は机の上にあったメモ帳に、小春宛ての書き置きを残した。
(もし私が戻れなかった時、先輩と私の身に何が起きたのか……真実を知らせるために)
桜井は、震える手で短い言葉を綴り、それを机の中央に置いた。
リビングへ戻ると、小春が湯気を立てるお茶を運んできたところだった。
「小春ちゃん、ごめんなさい!」
「えっ、桜井先輩? どうしたんですか、そんなに慌てて」
「さっき、先輩から急に電話で呼び出されちゃって……! 本は見つからなかったけど、すぐに行かなきゃ!」
「えーっ、お兄ちゃんから!? せっかくお茶淹れたのにぃ……。あ、でも、彼氏からの呼び出しなら仕方ないですね。気をつけて行ってらっしゃい!」
小春の無邪気な笑顔に、桜井は深く頭を下げてマンションを後にした。
夜の冷たい風が、雨上がりの街を吹き抜ける。
桜井は、不幸の残滓が詰まった鞄を胸に強く抱きしめた。
(私が……私が先輩を助けなきゃいけないんだ)
暗い夜空を見上げ、桜井は誰にも届かない決意を込めて呟く。
ただの女子高生であった桜井唯が、異世界へ身を投じるための後戻りできない扉が、今、静かに開かれようとしていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
https://www.pixiv.net/users/119429388
評価・ブックマークして頂けると、とても嬉しいですわ。
毎週、火・金の夜21時30分に最新話をUPしてますの。
是非、お待ちしておりますわ♡




