第23話:マンホールと子猫と彼女(第1節)
「せんぱ――い!!!!」
雨上がりのアスファルトに、桜井唯の悲痛な叫び声が虚しく響き渡る。
伸ばした手は空を切り、悠真先輩の体は、開いたマンホールの暗い底へと真っ逆さまに吸い込まれていった。
「嘘……そんな、先輩……!」
桜井は濡れた地面に膝をつき、マンホールの穴を覗き込む。
だが、底は不気味なほど深く、ただ真っ暗な闇が広がっているだけだ。返事がないどころか、落下音すらしなかった。
まるで、世界が彼という存在を丸ごと飲み込んでしまったかのように。
「いやだ……先輩……っ!」
桜井の目から大粒の涙が溢れ出し、冷たいアスファルトにシミを作っていく。
彼女の腕の中では、つい先日二人で一緒に助けた小さな白猫の『ちくわ』が、不安げに身を縮めていた。
「にゃあ……」
「ちくわ……。私、どうすれば……」
桜井が震える手で子猫を抱きしめた、その時だった。
『――泣くでない、人間よ。あの男は死んでおらぬ』
「……えっ?」
突然、脳内に直接響くような、低く威厳のある声が聞こえた。
桜井はビクッと肩を震わせ、周囲を見回す。だが、人気のない裏路地には誰もいない。
『ここだ。我はそなたの腕の中にいる』
桜井が恐る恐る視線を落とすと、腕の中の『ちくわ』が、まるで人間のように器用に首を傾げ、真っ直ぐに彼女を見つめていた。
「ち、ちくわが……喋った……!?」
『ちくわではない。我は誇り高き白虎の神獣……であるが、今はどうでもよい』
子猫(神獣)は、小さな前足を桜井の胸元にポンと当てた。
『我は本来の魔力がないこの世界で、力を失い猫の姿へと成り果てていた。だが、あの男が放った異常なほど強大な『不運のエネルギー』を浴びて、一時的に意識を取り戻したのだ』
「ふ、不運のエネルギー……? それって、先輩のこと?」
『いかにも。あの男の抱える理不尽な不運は、もはや災厄の域に達しておる。その強大すぎる力が、我が主より授かった『異世界への転移陣』にエネルギーを充填させ、勝手に再起動してしまったのだ』
子猫の言葉を要約するとこうだ。
悠真がただ足元を滑らせてマンホールに落ちた際、そのあまりの不運が規格外のエネルギーを生み出し、隠されていた転移装置を勝手に起動してしまった、ということらしい。
「それじゃあ、先輩は異世界に……!? 助けなきゃ! どうすればいいの!?」
桜井が身を乗り出して必死に問い詰めると、子猫は逆に一歩引き、たじろいだように耳を伏せた。
『お、お前……。喋る猫やら異世界やら、突飛な話を信じるのか?』
「先輩が助かるなら、そんなことどうでもいいの! お願い、教えて!」
桜井のあまりの剣幕に押され、子猫は咳払いならぬ喉鳴らしをしてから深刻そうに続けた。
『問題はそこだ。あの男が先に転移陣の魔力を消費してしまい、再起動できぬ。我の魔力も底を突いておる』
「そんな……! じゃあ、先輩はもう帰ってこられないの!?」
『早まるな。転移陣を修復し、再び起動させる方法が一つだけある』
子猫は、桜井の目を真っ直ぐに見つめた。
『この世界にはまだ、あの男が残した、強烈な『不幸の残滓』を感じる……それを核とすれば、陣は再起動する。我はそれに乗じて元の世界へ帰還し、あの男を迎えに行くつもりだ』
「不幸の残滓……」
『あの男の部屋に行けば、必ず何かあるはずだ。我には微かに、あの男の不運の匂いが分かる』
いつも不運に見舞われていた先輩。その彼を助けられるかもしれない。
桜井は震える指先をギュッと握り締め、決意の瞳で立ち上がった。
「……行きましょう、ちくわ。先輩の家へ」
子猫の嗅覚(魔力探知)を頼りに、桜井は閑静な住宅街にあるマンションの前へと辿り着く。
だが、オートロックの操作盤の前で、彼女はふと足を止めた。
(いきなり家に行って、『先輩の部屋を調べさせてください』なんて言ったら、絶対に不審者扱いされる……)
どうすれば、家族に怪しまれずに悠真の部屋へ入り、探し物をすることができるのか。
桜井の頭の中で、一つの「合理的な嘘」が浮かび上がった。
(……これしかない。先輩を助けるためなんだから、恥をかいてる場合じゃない……!)
桜井は、全身の血が沸騰するほどの羞恥と罪悪感、そして胸の奥に灯る『小さな言い訳』を抱きながら、震える指でインターホンを押した。
ピンポーン。
『……はい。どちら様ですか?』
スピーカー越しに、少し不機嫌そうな、若い女の子の声が響いた。
「あ、あの……! 高橋先輩……悠真さんの、ご家族の方でしょうか?」
『え? はあ、まあ妹ですけど。……お兄ちゃんに何か用ですか?』
「は、はい……! 実は……」
桜井は、ギュッと目を閉じ、顔を真っ赤に染めながら、人生最大の嘘(爆弾)を投下した。
「私……先輩の、彼女です……っ!」
ピタリ、と。
インターホンの向こう側で、時間が止まったような沈黙が流れた。
『…………は?』
妹さんの、信じられないものを見るような、低くドスの効いた声。
『彼女? うちの、あの残念なポンコツお兄ちゃんに……彼女? え、詐欺ですか? それとも罰ゲームか何か?』
「ち、違います! 本当に、お付き合いさせていただいてて……!」
桜井は顔から火が出る思いで、必死に弁明を重ねた。
数秒の警戒の後、オートロックの解除音が鳴り響く。
『……とりあえず、上がってきてください』
エレベーターで3階へ上がり、指定された部屋のインターホンを再び押す。
ガチャリ、と重い金属音がして、扉が少しだけ開いた。
隙間から、ピンク色のツインテールと、鋭いジト目が桜井を値踏みするように睨みつけている。
だが、その扉が完全に開かれ、桜井の全身が妹さんの視界に入った瞬間――。
「えっ……」
ジト目が、驚愕に見開かれた。
雨上がりで少し濡れた、茶色のボブヘア。
清楚なブレザーの制服が似合う、控えめながらも整ったスタイル。
そして何より、恥ずかしさで頬を桜色に染め、潤んだ瞳で上目遣いをしてくる、圧倒的な美少女のオーラ。
「……嘘でしょ」
警戒心は、一瞬にして吹き飛んだ。
「あ、あの残念なお兄ちゃんに、こんなに可愛い彼女がいたなんて……!?」
妹さんの瞳が、キラキラと輝き始める。
「ささっ、どうぞ上がってください! 私、妹の小春です! お茶入れますね!」
小春はさっきまでの不機嫌さが嘘のように、目を輝かせて自己紹介をすると、桜井の手を引いてリビングのソファへと座らせた。
対面に座った小春は、前のめりになって、興味津々の眼差しを向けている。
「で……うちの残念なお兄ちゃんの、一体どこが良くて付き合ってるんですか?」
逃げ場の無い、直球すぎる質問。
先輩の部屋へ入るため、桜井の顔が真っ赤に染まる「彼女面接」が、今まさに幕を開けようとしていた――。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
https://www.pixiv.net/users/119429388
評価・ブックマークして頂けると、とても嬉しいですわ。
毎週、火・金の夜21時30分に最新話をUPしてますの。
是非、お待ちしておりますわ♡




