第22話:一触即発と、天使の暴走(第2節)
吹き荒れる雪混じりの風が、極寒のヘルヘイム山脈の頂を容赦なく叩きつけていた。
鈍く銀色に輝く巨大なドームを背にして、無数の魔王軍が不気味な沈黙を保っている。
その最前線に立つ魔王軍幹部『業火のジル』は、燃え盛るような赤いショートヘアを揺らしながら、王国の連合軍の先頭に立つルナを指差して、鼻で笑った。
「おいおい、聞いて呆れるぜ。荒野を駆ける『銀色の狼』様が、軟弱な人間どもの後ろで尻尾を振って付いてくるとはな!」
「……なんだと?」
ジルの挑発に、ルナの黄金色の瞳がスッと細められた。
「お前みたいな女は獣人の恥だ! 人間に飼い慣らされた惨めな犬っころが! 首輪でもつけてもらったのかぁ?」
「てめぇ……! ぶっ殺す!!」
誇りを汚されたルナは激昂し、怒りで全身の毛を逆立てながら、身の丈ほどもある大剣を抜いて飛び出そうとした。
獣の殺気が爆発し、雪を溶かすほどの熱を帯びる。
「お待ちください、ルナ殿!」
だが、その前に王国騎士のゼノアがサッと入り込み、鞘に収まったままの剣でルナの胸元を制した。
「ここはセレスティア王女殿下の御前です。敵の安い挑発に乗って陣形を崩すなど、下策の極み。今は耐えなさい」
「そうだとも、気高き狼の姫君よ。君の美しい銀の毛並みを、あのような下品な獣の血で汚す必要はない」
ライオネルも優雅に馬を寄せ、たしなめるように微笑む。
さらに、ゼノアの後ろからエリザがひょっこりと顔を出し、人懐っこい、それでいて腹黒い笑顔を浮かべた。
「そうそう。ここでルナちゃんがキレて単独で突っ込んだら、相手の思うツボよ? さあ、深呼吸して」
「くそっ……! 離せ、あいつだけはオレが八つ裂きにしてやる……!」
ルナはギリッと牙を鳴らして歯を食いしばり、大剣の柄が軋むほど握りしめながら、かろうじて踏みとどまった。
一触即発のヒリヒリとした硬直状態。
誰もが次の瞬間に始まるであろう血みどろの激突を予感していた、その時だった。
「……天界の規則に従い、神の卵を起動します」
「えっ!?」
スレイプニルの傍らに静かに佇んでいたエーテラが、無表情に、しかしどこか焦燥感を帯びた声で宣言した。
「お待ちになって、エーテラさん! あれは神などではありません! 世界を終わらせる災厄ですわ!」
「そうです、行っちゃダメです!」
セレスティアとリーファが血相を変えて叫ぶ。
だが、エーテラは聞く耳を持たなかった。
「私の任務は、救済の光である『神』の復活を確実なものとすること。地上の不確定な情報で、天界の絶対的な正義を歪めるわけにはいきません」
バサァッ!
エーテラは純白の翼を大きく広げると、制止の声を振り切り、単独で巨大なドームへと一直線に飛翔した。
「ちっ……天界の手先が。あんな目障りなハエにウロチョロされては、私たちの計画の邪魔になるわ」
その光景を冷ややかな目で見上げていた『謀略のヴァネッサ』が、黒髪のポニーテールを揺らしながら小さく指を鳴らした。
「撃ち落としなさい。記録官の羽をむしり取ってやるのよ」
ヴァネッサの冷酷な命令を受け、上空で待機していた黒い羽の魔族たちが、一斉にエーテラへと襲いかかった。
無数の魔法弾が、漆黒の槍となって純白の天使を包囲する。
「……っ! 予測回避軌道、展開!」
ヒュンッ!
エーテラは空中でアクロバティックに身を捻り、紙一重で魔法弾を躱していく。
バシュッ!
だが、圧倒的な数の暴力の前に、魔法の余波がエーテラの翼をかすめた。
焦げ臭い匂いと共に、美しい純白の羽毛がハラハラと宙に舞い散る。
さらに、天界の仕立てである神聖な制服の裾が、魔法の熱でチリッと焦げた。
「ぐぬぬっ! 私の大切な天界の制服が……!」
その瞬間、いつもは機械のように無表情なエーテラの顔に、明確な「感情」が走った。
「け、計算外です! 極めて不愉快です!」
エーテラは頬を真っ赤に膨らませ、唇を尖らせて魔族たちを睨みつけた。
「私の神聖な任務の邪魔をしてはいけません! どきなさい、この野蛮な生き物たち!」
プンスカと可愛らしく激昂しながら、必死に妨害をかわしてドームへ急ぐエーテラ。
その姿は、冷徹な記録官ではなく、ただの怒った女の子にしか見えなかった。
一方、防弾ガラスに隔てられたスレイプニルの車内。
悠真はその様子を、窓に張り付いて見つめていた。
(僕が外に出ても、足手まといになるだけだ……。でも、このままじゃエーテラさんが!)
窓ガラスが自分の焦った息で曇るのも構わず、悠真は外の惨状に目を凝らす。
エーテラは必死に避けているが、魔族の数は多すぎる。このままでは撃ち落とされるのは時間の問題だった。
「どうしよう、どうすれば……!」
悠真が振り返ろうとした、その時。
ゴツン!
足元の魔導ケーブルにスニーカーを引っ掛け、バランスを崩した悠真は、後ろにいたドナに頭をぶつけてしまった。
「あいたっ! もー、お兄ちゃん落ち着いてってば!」
ドナが涙目で頭を押さえながら抗議する。
つい先ほどまで、悠真の膝の上に跨がって、小悪魔的に迫っていたドナだったが、今は本気で痛がっていた。
だが、悠真には彼女の痛みを気にする余裕すら無かった。
悠真は勢いよく振り返ると、ドナの華奢な両肩をガシッと掴んだ。
「ドナ! 頼む、スレイプニルを出してくれ!」
「えっ……?」
至近距離。
吐息が混ざり合うほどの距離まで顔を近づけ、悠真は必死の形相でドナの目を見つめた。
「エーテラさんが危ない! このままじゃやられちゃう! 君が作ったこのすごい戦車なら、あそこまで助けに行けるだろ!?」
「あ、ちょ、お兄ちゃん……ち、近い……!」
さっきまで、自分が無理やり迫って悠真をタジタジにしていたはずだった。
それなのに、今度は悠真の方から、真剣な顔で急接近され、肩を強く掴まれている。
「お願いだ、ドナ! 君の力が必要なんだ!」
「あ、う……わ、わかった! わかったから! 近いってばぁ……っ!」
突然の逆転の構図に、ドナは顔をリンゴのように真っ赤に染め、しどろもどろになりながら目を泳がせた。
「お願い、早く!」
「あ、うぅ……」
ドナの心臓が、まるで暴走した魔導エンジンのように爆発しそうに高鳴る。
その甘く緊迫した車内の外では、無数の魔族の群れが、いよいよエーテラを完全に包囲しようとしていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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