第22話:一触即発と、天使の暴走(第1節)
吹き荒れる吹雪が、極寒のヘルヘイム山脈の頂を容赦なく叩きつけていた。
氷の結晶が舞い散る視界の先。
鈍く銀色に輝く巨大なドーム状の建造物――天界が生み出した『神の揺り籠』であり、同時に世界を終焉へと導く『災厄の魔神』が眠る場所。
そのドームの前に、おびただしい数の魔王軍が陣取っていた。
無数の魔族を背後に従え、軍勢の最前線に立ちはだかるのは二つの影。
「ようやくお出ましかい。待ちくたびれたよ、人間ども!」
燃え盛るような赤いショートヘアと、好戦的な獣の耳を逆立てた四天王『業火のジル』が、牙を剥いて笑う。
「ふふ、ご苦労様。わざわざ死地に赴いてくれるなんて、殊勝な心がけね」
隣で冷たい吹雪の中で黒髪のポニーテールを揺らし、知的な笑みを浮かべる『謀略のヴァネッサ』。
圧倒的な数の魔王軍を前に、セレスティアが銀の細剣を抜き放ち、優雅に、しかし冷ややかに言い放つ。
「……随分と大仰なお出迎えですわね。ですが、わたくしたちの歩みを止めるには少々力不足ではなくて?」
その傍らで、ルナが大剣を肩に担ぎ、黄金色の瞳を鋭く細めた。
「ちっ、数の暴力か。……どっちにしろ、全員ぶっ飛ばすだけだ。野郎ども、構えろ!」
ルナの号令に呼応し、ボニーやリーファ、そして王国騎士団とヴァルハラ傭兵団の精鋭たちも一斉に武器を構える。
「ふわぁ……朝から騒がしいわね。準備運動にはちょうどいいのかしら」
極寒の山頂に張り詰めた空気を切り裂くように、後方から少し遅れて、寝ぼけ眼のリリアーナが姿を現した。
紫色のローブを羽織り、杖を片手にだるそうに欠伸をしている。
「リリアーナ様、寝起きでそんな……! 敵の幹部が目の前にいるのですよ!?」
ボニーが青ざめて声をかけるが、リリアーナは「ええ、分かっているわ」と気怠げに返すだけだ。
リリアーナに続き、豪華な馬車を模した魔導戦車スレイプニルの扉から、純白の翼を広げたエーテラが、静かに降り立った。
「……私は天界の記録官。この目で、真実を見届けます」
エーテラの無機質な瞳が、ドームとその前に立つ魔王軍を冷徹に見据える。
外へと次々に出て行く仲間たちの背中を見て、車内に残っていた悠真も慌てて立ち上がった。
「やっぱり、僕も行くよ! みんなだけを危険な目に遭わせるわけには……!」
だが、悠真が扉に手をかけた瞬間、ピンクのツインテールが視界を遮った。
「ダメだよ、お兄ちゃん!」
革エプロン姿のドナが、悠真の腕をガシッと掴んで引き留める。
「お兄ちゃんの仕事はこっち! このスレイプニルの主砲『グングニル』を撃つには、お兄ちゃんの『運命の石』の魔力が必要なんだから!」
「でも、外ではみんなが……!」
「外のことはお姉ちゃんたちに任せとけばいいの! お兄ちゃんはドナと一緒に、ここで発射準備! わかった?」
ドナは有無を言わさぬ力で悠真を車内の奥へと引き戻し、バタンと豪奢な扉を閉めた。
外の凍てつく空気と、分厚い防弾ガラスで隔てられたスレイプニルの車内。
豪華なサロンを思わせるふかふかのシートに座らされた悠真は、落ち着かない様子で外の様子を窺っていた。
「さ、グングニル発射の準備しよっか。お兄ちゃんの『運命の石』とスレイプニルの魔力回路を同調させるから、ちょっとじっとしててね」
ドナは工具箱から何本もの魔導ケーブルを取り出すと、悠真の首元へ顔を近づけてきた。
「わ、わかった。でも、そんなに顔を近づけなくても……」
「だって、微細な波長を読み取るんだから仕方ないでしょ? ほ~ら、もっとこっち向いて」
ドナは無邪気な笑顔のまま、悠真の膝の上にまたがるようにして身を乗り出してきた。
機械のオイルの匂いと、ドナから漂う甘いお菓子の香りが混ざり合い、至近距離で鼻腔をくすぐる。
彼女の小柄な体が、悠真の胸元にぴったりと密着した。
「ちょっ、ドナ! 近い、近いって!」
「ん〜? お兄ちゃん、心拍数が上がってるよ? 魔力の増幅はまだ早いから、少しリラックスしてってば」
ドナは面白がるように、わざと吐息がかかる距離で悠真を見つめてくる。
「あのさ、ドナ。これ、外から見えたら絶対誤解されるから! セレスティアさんたちが……」
悠真が慌てて身をよじろうとした、その瞬間だった。
戦車の床を這う太いケーブルに、悠真のスニーカーの先端が引っかかった。
「あっ――」
バランスを崩した悠真は、ドナの体を抱きかかえるような形で、後方のふかふかなシートへと勢いよく倒れ込んだ。
「ひゃんっ!?」
ドスッ!
悠真の顔は、ドナの平坦ながらも温かい胸元にすっぽりと収まり、彼女の柔らかな太ももが、悠真の腰にきつく絡みついていた。
「わ、わわっ! ごめんドナ、わざとじゃ……!」
「も〜、お兄ちゃんったら! そんなにドナのことが好きなの? しょうがないなぁ、甘えん坊なお兄ちゃんには、ご褒美あげないとね♡」
ドナは起き上がるどころか、逆に悠真の首に両腕を回し、嬉しそうに頬をすりすりと擦り寄せてきた。
(違う! 誤解だ! 誰か助けてくれ!)
悠真が必死にドナを引き剥がそうと身悶えした、その時。
ドンッ!
スレイプニルの分厚い防弾ガラスが、外から強く叩かれた。
「…………っ!!」
悠真が青ざめて窓の外へ視線を向けると、そこには、魔王軍よりも恐ろしい光景が広がっていた。
窓越しにこちらを覗き込むセレスティアの紫色の瞳が、完全に光を失っていた。
「……ゆうゆう? 魔王軍を相手にする前に、まずはあなた方を仕留めた方がよろしくて?」
ガラス越しに、氷点下の声が聞こえた気がした。
隣のリーファに至っては、両手でしっかりと光の杖を握りしめているが、その先端から漏れ出る神聖なはずのオーラが、なぜかドス黒く濁っている。
「悠真様……。不純です……。神の御前で、そのような破廉恥な行為……。浄化、浄化しなければ……」
その後ろでは、ボニーが「こんな時に、またですか……」と呆れている。ルナは気にするどころか、大笑いしているようだが……。
(これじゃ、魔神が復活する前に、僕の命が終焉を迎える……!)
車内の甘いカオスと、外の凍てつく嫉妬の視線。
だが、そんな悠真の平穏(?)な絶望を打ち破るように、外の空気が一変した。
「――おい! いつまで仲間内でじゃれ合っているつもりだ、軟弱な犬共!」
業火のジルが、忌々しげに一歩前へ踏み出し、その好戦的な獣の瞳でルナをねめつけた。
同時に。
スレイプニルの傍らで待機していたエーテラの純白の翼が、何かの衝動を抑えきれないように、微かに、しかし激しく震え始める。
(……世界を導く救済の光。それを見届けるのが、私の使命……!)
極寒の山頂で張り詰めた理性の糸。
その最初の一本を断ち切るのは、果たして誰なのか――。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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