第19話:記録官の小さな嫉妬(第2節)
スレイプニルが自由都市グロリアの影を遠くに捉えた頃、最悪のタイミングで再び空がどす黒い雲に覆われた。
先ほどとは比較にならない数の「黒い羽の魔族」が、まるで陽光を遮る巨大な天幕のように上空を埋め尽くしていく。
「ちっ、しつこいねえ! さっきの三倍はいるぞ。これじゃあ、きりがない!」
ルナが軽々と車体の天井へ上がると、舌打ちしながら大剣を握り直す。周囲を固める傭兵たちも、度重なる奇襲と湧き出る敵の数に疲労の色を隠せない。
「な、な、なんですか、この数は……!?」
馬上のボニーが、空を見上げ、震える声で情けなく絶叫している。
操縦席のドナが、額の汗を拭いながら悲鳴に近い声を上げた。
「お兄ちゃん、これ、さすがにやばいかも……! スレイプニルの出力が追いつかないよ!」
緊迫した空気が車内に満ちたその時、後方のシートで毛布に包まっていたリリアーナが、ゆっくりと片目を開けた。
「……騒がしいわね。そろそろ私の出番かしら」
彼女が不敵な笑みを浮かべた瞬間、車内の空気が凍りついたように重くなる。
紫のローブから溢れ出す強大な魔力が、波紋のように空間を歪ませた。
だが――。
その魔力が解放される前に、エーテラが静かに立ち上がった。
彼女の演算回路が、冷徹に数値を弾き出す。
【このまま戦闘継続:全滅確率41.3%】
【リリアーナが全力行使:敵殲滅確率68.7%、ただし消耗大】
【自分が囮となり離脱:仲間の生存確率92・1%】
(……このままでは、無関係な皆さんを巻き込んでしまう。私の存在という『ノイズ』が、彼らの生存率を著しく下げている)
論理的には明白。合理的には当然。
だが、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
(これは……正しい判断。決して、彼らを危険に晒したくないなどという、非効率な感情では――)
「ならば、最適解は一つです」
「エーテラさん……?」
隣で祈るように手を握っていたリーファが、彼女の異変に気づく。だが、エーテラが動く方が早かった。
「私を追うのが目的ならば、私が囮となれば済む話です」
「えっ、ちょっとエーテラさん!?」
バタンッ!
悠真が止める間もなく、エーテラは馬車を模したスレイプニルの後部扉を勢いよく開け放った。
「私は天界の命を受け、世界の救済に来ました。ですので、私が厄災の原因となるわけにはいきません」
「お待ちなさい。あなた一人でどこへ行くおつもりですの!」
セレスティアの叫びを背に、エーテラはあえて冷徹な表情を崩さず、真っ直ぐに上空の魔族たちを見上げた。
「待って! 一人で行かないで!」
「エーテラさん、ダメですっ!」
悠真とリーファの必死の叫びが響く。
だが、エーテラは振り返らなかった。
ヒュー……パタパタッ!
吹き込む森林の風が、白銀の長い髪を激しくなびかせる。
「これより、私は単独で敵を引き付けます。皆さんは私に構わず、目的地へ向かってください」
エーテラは一度だけ、振り返った。
悠真の、驚愕に目を見開いた顔が見えた。
その顔を見た瞬間、エーテラの胸の奥で、再びあの「ノイズ」が小さく跳ねた。
(……ごめんなさい、悠真)
「……これは天界の記録官としての、最も効率的な答えです」
そう告げた瞬間、彼女の背から鮮やかな白き羽が大きく広がった。
バサッ!
純白の翼が風を切り裂き、エーテラの身体が宙へと舞い上がる。
「エーテラァァッ!!」
悠真の絶叫が、風に掻き消された。
「……ターゲット、移動開始。私を消去したいのであれば、追ってきなさい」
エーテラが北へと急加速すると、案の定、地上を覆わんとしていた魔族の精鋭たちが、一斉に彼女を追って反転した。
スレイプニルの周囲を囲んでいた重圧が、嘘のように引いていく。
ひらり……。
スレイプニルの天井に立つルナの目の前に、一片の白い羽毛が舞い降りた。
「馬鹿野郎、あいつ……!」
ルナが悔しげに拳を叩きつける。
一方、遠く離れた場所でその様子を観測していた魔王軍の軍師ヴァネッサは、冷たい笑みを浮かべていた。
「……ふふ。自ら離脱するとは。救世主から『天界の使い』という最大の障害が消えた。これでようやく、チェックメイトの準備が整いましたね」
(これでいいのです。この世界を救済する名を受けた天界人が、地上の人々に迷惑をかけるなど、非効率極まりないのです)
目指すは、『神の遺物』があるというヘルヘイム山脈方面。
エーテラは、背後に迫る無数の殺意を感じながら、独り荒野の上空を駆ける。
(……ですが、この胸の締め付けられるような感覚は何なのでしょう)
「逃がさんぞ、天界の端くれ!」
ビュンッ!!!
背後から放たれた漆黒の槍が、エーテラの翼をかすめて空を切り裂く。
黒い羽の魔族たちは、まるで獲物を追い詰める猟犬のように、彼女の逃げ道を徐々に削り取っていく。
「この感覚は、彼らの不可解な行動に対する、ノイズ。天界人が、地上を這う生命体に負い目を感じるなど、ありえないのです」
背後からは、自分を呼ぶ悠真たちの声が風に溶けて消えていく。
エーテラは一度も振り返ることなく、鋭い羽ばたきで雲を裂き、孤独な逃走劇へとその身を投じた。
彼女の瞳には、まだ見ぬ凍てついた北の空だけが映っていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
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