第17話:天の使いと、軍師の策略(第3節)
「……チッ、ここまでだ。引くぞ!」
悠真という最大の障害――物理的な強さではなく、魔王軍にとっての「禁忌」を前に、刺客のリーダーは苦々しく吐き捨てた。
空を舞う黒い翼が次々と雲の向こうへ消え、ヴォルク山脈に再び冷たい静寂が戻る。
「……助かった、のか?」
膝をついたまま、悠真が荒い息を吐く。
その背後で、エーテラは未だに胸の鼓動が収まらないのを感じていた。天界の記録官として、これほどまでに「予測不能な事態」に直面したことはない。
「悠真さん! お怪我はありませんか!?」
駆け寄ったリーファが、新調された青と白の聖装を翻し、悠真の肩を支える。
「あ、ああ。大丈夫だよ、リーファさん。……膝が笑ってるけど」
「…………」
その必死な様子を、エーテラは少し離れた場所から見つめていた。
彼女の脳内では、今起きた現象を「絆」や「献身」といった非科学的な言葉で処理しようとする自分と、それを拒もうとする理性が激しく火花を散らしていた。
(……最大級の不確定要素。やはりこの一行の監視は、当初の予定以上に重要度の高い任務として再定義すべきですね)
彼女は震える手で記録本を開き、努めて冷静な筆致で『地上人による非論理的な防衛行動』と記した。
しかし、その文字がわずかに歪んでいることに、彼女自身も気づいていなかった。
「ちょっと待ってて! メカの機嫌を見てくるね!」
刺客が完全に撤退したことを確認すると、ドナが巨大なレンチを手に取り、戦車の外へ飛び出した。
爆発の衝撃で魔導回路に狂いが生じていないか、彼女は職人の顔つきで装甲を叩き、点検を始める。
「皆様、ドナさんの作業が終わるまで、車内でお茶の続きをいたしましょうか」
セレスティアの柔らかな提案に、一行は頷いた。
ふと見ると、先ほど落馬しかけて涙目になっていたボニーが、『銀狼』の手綱を引いて戻ってきたところだった。
「ボニー殿も、その馬を近くの木に繋いだら、中へいらして? 焼きたてのケーキがまだ残っていますわよ」
その誘いに、ボニーの耳がピクリと跳ねた。
「ケ、ケーキ……!? あの、とろけるような生クリームがのった、あのケーキですか……!?」
(じゅるり)
と、喉を鳴らしたボニーだったが、ハッとして表情を引き締める。
「い、いえ! 私は騎士です! 敵の残党がいるやもしれぬ中、私一人が甘味に興じるなど……ぐぅ〜……。そ、それに、ドナ殿が外で作業しているのに、私だけ……ぐぅぅ〜……」
ボニーの空腹の咆哮は、騎士の矜持を無情にも削っていく。
「あら、馬の安全を確保したなら、交代で休むのも騎士の務めではなくて? 紅茶も淹れたてですわよ」
セレスティアに重ねて微笑まれ、ボニーの理性はついに限界を迎えた。
「――わ、わかりました! 騎士として、セレスティア様のご厚意を無下にするわけにはいきませんっ! 今すぐ繋いできますぅ!」
ボニーは弾かれたように『銀狼』を木に繋ぐと、もはやスキップに近い足取りで車内へと駆け込んでいった。
再び開催されたティータイム。
「ゆうゆう、先ほどは勇敢でしたわ。さあ、このケーキをどうぞ」
セレスティアが優雅にフォークを差し出すが、悠真は青い顔をして手を振った。
「い、いや……セレスティア様、もう本当に無理です。さっきまで散々食べさせられて、もうお腹に隙間がありません……」
「あら、残念ですわね。では、こちらはボニー殿へ」
「あ、ありがたき幸せ! はふぅ……これです、この甘みが騎士の疲れた心に染み渡りますぅ!」
ボニーは車外で食べ損ねていた分を取り戻すかのように、幸せそうな顔で紅茶とケーキを堪能し始めた。
そんな中、エーテラは一人、背筋を伸ばして座っていた。セレスティアが彼女の前にも一皿を差し出す。
「エーテラ様もいかが? 心を落ち着かせるには、これが一番ですわ」
エーテラは一瞬、硬直した。
「……先程も申し上げましたが。天界人は高次のエネルギー体であり、俗世の食物に味覚を感じる機能は……」
そこまで言いかけて、エーテラはチラリと隣の悠真を見た。自分を必死に守り、今は腹十二分目で苦しそうにしている少年の姿を。
「……ですが。提供者の『好意』というエネルギーを効率的に受領し、円滑な観測任務を継続するため、摂取を選択します」
そう言い訳を並べ立てると、エーテラは無言でフォークを手に取った。
そして、まるで精密機械が義務を遂行するかのような手つきで、ケーキを一切れ口に運ぶ。
「……ん」
一口食べた瞬間、彼女の眉がわずかに動く。
「いかがかしら?」
セレスティアの問いに、エーテラは数秒の沈黙の後、無機質な声で答えた。
「……特筆すべき反応はありません。ですが、摂取を継続します」
エーテラは短く答えると、黙々とフォークを動かし始めた。
もぐ、もぐ……。
一口、また一口と、まるで夢中になっているかのようにケーキを口に運んでいく。
「……ふふ」
その頬がわずかに緩んでいることに、リリアーナの冷ややかな視線が注がれる。
「……これは燃料補給です。決して、美味しいからではありません」
エーテラは誰に言うでもなく、小さく呟いた。
もぐ、もぐ、もぐ、もぐ……。
だが、そのフォークが動く速度は明らかに上がっていた。
車内には再び、穏やかな紅茶の香りと賑やかな笑い声が満ちていった。
やがてドナの点検が終わり、スレイプニルが再び力強く動き出す。
一行を乗せた魔導戦車は、中継地であるルナの傭兵団の本拠地『銀狼の牙城』を目指し、ヴォルク山脈の険路を力強く進んでいった。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
https://www.pixiv.net/users/119429388
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