第35話:残念で不幸な僕と、美少女たちの未来の件について(第3節)
その夜。
悠真は、別邸の広大な庭を一人で静かに歩いていた。
昼間の騒動で、桜井からの『告白の返事』をまたしても有耶無耶にしてしまったことを思い出し、小さくため息をつく。
(……僕は、どうしたいんだろう)
冷たい夜風が、火照った頬を撫でる。
空を見上げると、月が静かに、そして優しく庭の木々を照らしていた。
マンホールに落ちて、この異世界にやってきてから、本当に色々なことがあった。
理不尽な不運に巻き込まれ、命の危機に晒され、修羅場に揉まれ……何度も「早く元の世界に帰りたい」と願ってきた。
なのに。
(……遺跡調査という名目で、帰還が延期になったことに、僕は心のどこかでホッとしている)
セレスティアの気高さ、リーファの優しさ、エーテラの不器用さ、ルナの豪快さ、賢者たちの悪ふざけ。
ヒロインたちに囲まれ、騒がしくも温かいこの世界と別れるのは……ひどく寂しい。
そして何より、僕を追ってこの世界まで来てくれた、桜井の真っ直ぐな想いにどう応えるべきか。
それが、悠真の偽らざる本心だった。
「……お兄さん、一人?」
不意に、月明かりに照らされた庭木の陰から、聞き覚えのある甘い声がした。
振り返ると、情報屋のエリザが、琥珀色の瞳を妖しく輝かせて立っていた。
「エリザさん……」
月光を背に受ける彼女の姿を見て、悠真の脳裏に、ある夜の記憶が鮮明に蘇る。
第一王女ソフィアの屋敷に招待され、客室のベッドで休んでいたあの夜。窓から忍び込み、ベッドに馬乗りになって現れた彼女が、僕の耳元で囁いたあの言葉。
「……帰りたいんでしょ? 元の世界に」
エリザは、あの夜と全く同じセリフを、いたずらっぽく微笑みながら口にした。
だが、次に続いた言葉は、あの夜とは違っていた。
「……でも本当は、帰りたく無くなったんでしょ?」
「っ……!」
あまりにも図星を突かれ、悠真は目を丸くした。
あの夜と同じように、彼女は僕の心の奥底を、いとも簡単に見透かしてくる。
その大人の余裕と、どこか優しさを孕んだ視線に、悠真は思わず「ふっ……」と噴き出して笑ってしまった。
「……敵わないですね、エリザさんには」
「ふふっ。お兄さんは、本当に分かりやすいから」
エリザはクスリと笑うと、背を向けて立ち去ろうとして、振り向いた。
「出発の日まで、まだ少し時間があるわ。悔いが無いよう、この世界をじっくりと目に焼き付けておきなさい」
彼女は踵を返し、闇に溶けるように歩き出す。そして――、
「……これからもっと楽しいことが起こるわよ。じゃあね、お兄さん」
意味深なセリフを残し、エリザの姿は月明かりの中に消えていった。
その翌日。
ルミアナ密林へ向けた調査団の出発を控える中、悠真はエリザの言葉に従い、珍しく一人で王都アヴァロンの街を散歩していた。
この異世界の景色を、しっかりと目に焼き付けておきたい気分だったからだ。
活気あふれる市場、行き交う亜人やドワーフの商人たち。
少し歩くと、建国祭の日に巨大な魔物が暴れ回った大広場に出た。
あの時はセレスティアやリーファたちと共に、死に物狂いで逃げ回りながら戦った場所だ。
今ではすっかり元通りの美しい石畳に戻り、平和な日常の風景が広がっている。
(……あそこを除いて、だけど)
悠真は、王都の城壁の一部に、ぽっかりと巨大な穴が開いているのを見て苦笑した。
先日、ドナとリリアーナが魔導戦車スレイプニルで強引にぶち抜いた跡だ。あそこだけは、まだ修理が追いついていないらしい。
そんな王都の喧騒の中を歩いていると、ふと、人混みの向こうに奇妙な姿を見つけた。
「……ん?」
このファンタジー世界には絶対に存在しないはずの服装。
白と紺色を基調とした、見慣れた『緑ヶ丘中学校のセーラー服』。
そのプリーツスカートを揺らしながら歩く、ピンク色のツインテールの小柄な背中。
「あいつ……桜井さんにでも聞いて、わざわざあんなコスプレを作ったのか?」
悠真は呆れたようにため息をつき、その背中を追いかけた。
出発前に、また僕をからかって遊ぼうという魂胆だろう。
「おい、ドナ」
悠真が声をかけると、セーラー服の少女がパッと振り返った。
「あ、お兄ちゃん! やっと見つけた!」
少女は満面の笑みを浮かべ、人混みを掻き分けて悠真の元へ無邪気に駆け寄ってきた。
その顔には、いつものいたずらっぽく、そして少し生意気そうな表情が浮かんでいる。
「おいドナ、そんなコスプレで俺をからかうなよ。出発前に何やってんだ」
悠真が呆れながら頭を軽く小突こうとした、その瞬間。
少女は、きょとんと目を丸くして、不思議そうに首を傾げた。
「は? ドナって……私のこと? 何言ってるの、お兄ちゃん」
「……え?」
悠真の動きが、ピタリと止まった。
その声。その表情。
そして、僕を小馬鹿にするような、その見慣れたつり目。
悠真は、彼女の顔をまじまじと見つめ返し、完全に言葉を失った。
吹き抜ける風が、彼女のピンク色のツインテールを揺らす。
僕の『残念で不幸な異世界生活』は、まだ終わらない。
新たな波乱の予感を乗せて、王都の空はどこまでも高く、青く澄み渡る風が吹いていた。
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