第34話:わたしたちの子供の名前(第3節)
「ほら、こっちですわよ〜♡」
「おいで、いい子ですね〜♡」
美少女たちが一斉に甘い猫撫で声を出す、端から見れば天国のような光景。
だが、その背後に渦巻く「絶対に私が選ばれる」というドス黒い執念を感じ取った幼女は、完全にドン引きしていた。
「うぇぇん……パパー、こわいよぉ……」
幼女はヒロインたちには目もくれず、悠真の足にギュッとしがみついて絶対に離れようとしない。
ヒロインたちの笑顔がピキピキと凍りつき、執務室に気まずい沈黙が流れた。
(あ、あはは……。どうしよう、これ)
悠真が冷や汗を流しながら、足元で震える幼女の頭を撫でていた、その時だった。
コンコン。
「失礼します」
控えめなノックの音と共に、扉が開いた。
入ってきたのは、書類の束を胸に抱えた見習い騎士のボニーだった。
「あの、セレスティア様、ご指示のあった報告書をお持ちし――」
言いかけたボニーの言葉は、足元に突撃してきた小さな温もりによって遮られた。
「……あら?」
ボニーが目を丸くして固まる。
ヒロインたちの放つ「ドス黒いオーラ」に怯えていた幼女が、トテトテと駆け寄ってボニーの足元にギュッとしがみついたのだ。
幼女天使が選んだ先は、まさかの途中参加のボニーだった。
「えへへ〜」
幼女はボニーの顔を見上げると、安心したように笑った。
「「「「ボニーさん!?」」」」
セレスティア、リーファ、エーテラ、そして桜井の声が綺麗に重なる。
刹那、ヒロイン全員の殺気立った視線が、一斉にボニーへと突き刺さった。
「な、何しにいらしたの、ボニー……!」
セレスティアが、扇子をわなわなと震わせながら、理不尽極まりない怒りをぶつける。
「ひぃっ!? な、何って、姫様に言われて書類をお持ちしたのですがぁっ!?」
理由も分からず一斉に睨まれ、ボニーは涙目で弁明した。
「……ルールはルールですわ。この子が自ら歩いて向かった者の考えた名前に決定する。……というわけで、ボニー殿。あなたがこの子の名前を決めなさい」
エメリアが、穏やかな笑顔で無慈悲な宣告を下した。
「えええええっ!? わ、わたくしがですか!?」
ボニーは絶叫した。
チラリと周りを見渡せば、ヒロインたちは皆、嫉妬と不満に満ちた恐ろしい形相でボニーを睨みつけている。
(な、なんでわたくしがこんな修羅場に巻き込まれているのですかぁっ!)
一刻も早くこの場から逃げ出したかったボニーは、適当に名前をつけて、立ち去らなければならないと思った。
「え、ええと……その、お名前、ですよね……」
ボニーは冷や汗を流しながら、助けを求めるように幼女の姿を見つめた。
幼女の背中にある、純白の小さな羽。
そして、テーブルの上に置かれた、お茶会用のショートケーキ。その上に乗った、白くてふわふわとした生クリーム。
「……ホ、ホイップ」
ボニーは、半ばヤケクソで口走った。
「……え?」
悠真がぽかんとする。
「ホイップ! ほいっぷー!」
だが、名前を呼ばれた幼女が、嬉しそうにパタパタと羽を動かしてはしゃぎ始めた。どうやら、自分の名前としてえらく気に入ってくれたらしい。
「ホイップ……まあ、呼びやすくて、とっても可愛らしい名前ですわね」
エメリアがパチパチと上品に拍手を送り、場を収めるように微笑んだ。
幼女本人が大喜びしている以上、ヒロインたちもそれ以上異議を唱えることはできなかった。
こうして、天界の終焉兵器になるはずだった幼女天使の名前は、『ホイップ』に正式決定した。
「……ふん。やはり幼女は、大きな胸の包容力には敵わないということですのね」
セレスティアが、ボニーの騎士服を押し上げんばかりの豊かな胸元をジロリと睨みつけ、悔しそうに唇を噛んだ。
「ひ、姫様、それは全く関係ありませんっ! 濡れ衣ですぅ!」
ボニーは顔を真っ赤にして、書類で胸元を隠しながら抗議した。
そのドタバタの陰で、桜井は一人、不安げに俯いていた。
(……また、うやむやになってしまった)
もしかして、先輩は意図的に返事を避けているのではないか。
桜井の胸に、小さな不安の影が落ちていた。
「……ところで、ルミアナ密林の件だがな」
騒ぎが一段落したところで、テーブルの上で丸くなっていた白猫――ちくわが、話題を戻すように首をもたげた。
「およその位置は分かるが、何しろ1000年という歳月が流れているのだ。草木が生い茂る密林が、当時と同じ景色とは限らん。下手をすれば、遺跡に辿り着く前に迷う可能性もあるぞ」
ちくわの警告に、エメリアが真剣な表情で頷く。
「そうですわね。闇雲に向かうのは危険ですわ。……リリアーナ、ドナ。もう一度、古文書の記述と照らし合わせて、遺跡の正確な位置の絞り込みをお願いできますか?」
「ふふ、いいわよ。私の知的好奇心が、あの古代遺跡を求めているわ」
リリアーナが妖しく目を細める。
「では皆様。エメリアお姉様たちが遺跡の位置を特定してくださる間、わたくしたちは必要な物資を揃え、本格的な旅の準備を進めて待ちましょう」
セレスティアの号令に、皆が力強く頷き、それぞれが新たな冒険に向けての準備へと意識を向け始めた。
その日の夜。
桜井唯は、決意を胸にセレスティアの豪華な私室を訪ねていた。
「あの……今夜、私たち全員で『パジャマパーティー』をしませんか? これからのことについて、少しお話ししたいことがあって」
(先輩の気持ち……はっきりさせなきゃ。このままじゃ帰れない)
桜井の行動がうやむやになったことで、再び芽生え始めた不安。悠真の本当の気持ちを確かめるため、ヒロイン全員と腹を割って話す必要があると考えたのだ。
「まあ! 女の子だけの秘密の夜会ですわね! 大賛成ですわ!」
イベント好きなセレスティアは目を輝かせ、すぐに他のヒロインたちを呼び集めるように言った。
平和な待機期間の裏で、悠真の貞操と未来を巡る『女たちの密談』が、今まさに始まろうとしていた。
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