第34話:わたしたちの子供の名前(第2節)
セレスティアの執務室は、新たな冒険への決意と期待が入り交じる和やかな空気に包まれていた。
だが――
「この子……何て名前ですの?」
エメリアの素朴な疑問により、その空気は一変した。
「……そういえば」
今まで誰も、彼女の名前を決めていなかったという事実に、全員が顔を見合わせた。
「当然、わたくしが名付け親になりますわ!」
沈黙を破ったのは、やはり第一夫人(自称)のセレスティアだった。彼女は扇子をパチンと閉じ、自信満々に宣言する。
「この子は、将来わたくしたち王家に連なるかもしれない大切な存在。名前は……そうですわね、『ヴィクトリア』などいかがかしら? 高貴で気品に満ちていて、ぴったりですわ!」
「お待ちください、セレスティア様!」
すかさず異議を唱えたのは、リーファだった。光の杖をギュッと握りしめ、対抗心を燃やす。
「この子は、魔石から生まれたとはいえ、純白の翼を持つ神聖な存在です! ですから、『ルミエル』のような、神聖で可愛らしい名前の方がふさわしいと思います!」
「あはは! 二人ともセンス固すぎー!」
ドナが椅子から飛び降り、ケラケラと笑いながら割り込んできた。
「もっと親しみやすい名前がいいよ! うん、白くてふわふわしてるし……『シロ』とか『ポチ』とか『タマ』でいいじゃん!」
「犬や猫では、ありませんっ!? それに……この子のママは、私ですよ!?」
エーテラが、幼女を抱きしめながら猛反発した。
「でも、山で拾ってきたじゃん」
「天からの授かりものです!!」
エーテラが顔を真っ赤にしてツッコミを入れる。
「天界の記録官であった私が名付けるのが筋です! 天使らしく、『ガブリエル』といった、由緒正しい名前にするべきです!」
「エーテラさん、それじゃあ名前が重すぎますよ……」
桜井が小さくため息をつき、静かに、しかし一歩も引かない態度で口を開いた。
「もっと、響きが優しくて、温かい名前がいいと思います。例えば……『こはく』ちゃんとか」
「あら。その名前は、この世界には少し馴染まないのではなくて?」
「そんなことありません。きっと先輩もその方が……」
各々の個性が爆発するネーミングセンスが激しくぶつかり合い、執務室は一歩も譲らないカオスな口論の場へと発展していった。
「……では、悠真先輩が決めてください」
激しい口論が膠着状態に陥ったところで、桜井が真剣な表情で悠真に向き直り、そう提案した。
「えっ……僕が!?」
「そうです! パパが決めるべきです!」
エーテラも桜井の提案に乗り、力強く頷いた。
その瞬間、ヒロイン全員の視線が、一斉に悠真へと集中した。
「もちろん、高貴で品のある『ヴィクトリア』ですわよね?」
「『ルミエル』こそ、救世主様のお世継ぎにふさわしいです」
「天から賜わりし命。『ガブリエル』しか、ありえません!」
「いや、ぜったい『こはく』ちゃんですよね?」
いきなりの桜井のキラーパスに、悠真は全員から逃げ場のない圧をかけられる。
(……いやいやいや。そもそも僕の子じゃないんだが……)
悠真の背筋に、氷のような冷や汗が流れた。
これは、単なる名前選びではない。まるで、『誰が本命なのか』を選べと迫られているようだ……!
「え、えっと……その……どれも、すごく良い名前だと、思うよ……?」
悠真は顔を引きつらせながら、必死に曖昧な態度で逃げようとする。
「ゆうゆう、はぐらかさないでくださる?」
「誰の名前が一番良いのですか!?」
「パパ! 男らしくバシッと決めてください!」
「せんぱい……」
ジリジリと距離を詰めてくる美少女たちのオーラに、悠真の胃が悲鳴を上げた、その時だった。
「……悠真様が、お困りのようですわ」
見かねたエメリアが、優雅に紅茶のカップを置き、静かに助け船を出した。
「じゃあ。ここは一つ、本人に選んでもらったらどうですか?」
するとエリザも、いつもの飄々とした笑顔で提案する。
「本人に……?」
ヒロインたちが顔を見合わせた。
「名案ですわ!」
セレスティアが扇子を広げ、王女の威厳で場を仕切り始めた。
「ゆうゆうから少し離れた位置に、わたくしたちが横一列に並びます。そして、この子が自ら歩いて向かった者の考えた名前に決定する。……これで文句はありませんわね?」
「望むところですわ!」
「受けて立ちます!」
「負けませんよ!」
セレスティアの提案に、ヒロイン全員が闘志を燃やして同意した。
執務室の端と端。
悠真の足元に幼女が立たされ、少し離れた反対側に、セレスティア、リーファ、エーテラ、桜井、そしてドナが横一列に並んだ。
(ドナも並ぶのかよ!!)
「さあ、おいでヴィクトリア! わたくしのところへ!」
「ほらルミエル、こっちですよ〜♡」
「ママですよ〜! ママのところにいらっしゃいガブリエル!」
「こっちだよ、こはくちゃん。おいで」
「シロ。おもちゃあげるから、ドナのところにおいでー!」
ヒロインたちが一斉に、これ以上ないほどの甘い猫撫で声で、幼女を誘惑し始めた。
セレスティアは見たこともないような高級なお菓子をちらつかせ、ドナはピカピカ光る謎のおもちゃを振り回し、エーテラは必死に両手を広げている。
端から見れば、美少女たちが笑顔で手招きする、天国のような光景。
だが――。
あまりにも必死で血走ったヒロインたちの眼差しと、その背後に渦巻く「絶対に私が選ばれる」というドス黒い執念。そして、不自然なまでに甘い声の重なり合い。
幼女は、その異様な空気を本能で察知した。
「…………」
幼女は、笑顔で手招きするヒロインたちをジッと見つめた後、ゆっくりと顔を背けた。
「うぇぇん……パパー、こわいよぉ……」
幼女はヒロインたちには一切目もくれず、クルリと振り返ると、悠真の足にギュッとしがみつき、ブルブルと震え始めたのだ。
「えっ……」
「あ、あれ……?」
美少女たちの甘い誘惑は、完全に逆効果だった。
(……まずい。このままじゃ、また僕にパスが回ってくる……)
泣きじゃくる元魔神の幼女天使を足元に抱え、修羅場という名の終焉の到来に、悠真に再び世界の危機が迫っていた。
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