第32話:それぞれの帰還、いや元の世界に帰りたいんだが(第3節)
極寒の風が吹きすさぶ北の大地。
魔神という巨大な脅威を退け、魔王イヴ率いる魔王軍は、本来の居城である魔王領グラキオスの奥深くへと帰還の途についていた。
その雪原を行く隊列の先頭で、一体の黒い羽の魔族が、空からバサバサと舞い降り、軍師である謀略のヴァネッサの前へ跪いた。
「ヴァネッサ様。消息不明であった教団の幹部、ユリウス司祭の消息ですが……」
「……見つかったのね」
ヴァネッサは扇子を口元に当て、氷のように冷たい笑みを浮かべた。
彼女はすぐさま、少し前を歩く魔王イヴの元へと歩み寄り、静かに報告を始めた。
「イヴ様。王都で暗躍していた、あの薄汚い司祭の影を捉えました。……やはり、奴はまだ企んでいるようです」
「……そう」
イヴは足を止めず、吹雪の先を見据えたまま短く応じた。
ヴァネッサは冷徹な声で、密偵から得た情報の報告を続ける。
「奴は天界と繋がり、アルカディア王国を内部から崩壊させようとしていました。……王都で使われたあの『魔獣化する毒』も、奴が天界の力を借りた試作品だったようですわ」
「その天界の犬は、その毒をさらに強力な『生物兵器』へと昇華させ、魔神に代わる新たな終焉方法を目論んでいるわけね……」
イヴの赤い瞳が、冷酷な光を帯びる。
「私たちも、警戒を怠るわけにはいかないわね。ヴァネッサ、ブルーメの傍にいる神獣を通じて、警告をしておきなさい」
「はい、仰せのままに」
一方、王都アヴァロンへの帰路。
王国軍の隊列は、魔神という絶望から解放された安堵感から、どこか和やかで賑やかな空気に包まれていた。
桜井唯は、町人を驚かせないようにと、移動中のみ白虎の姿に戻った神獣の背に揺られながら、少し前を進む悠真の姿を眺めていた。
『……ヴァネッサからの伝言だ、ブルーメ』
神獣が、周囲に聞こえないよう低く喉を鳴らした。
「ヴァネッサさんから?」
『ああ。消息不明だったユリウスという司祭の暗躍についてだ。……奴はまだ生きており、天界の毒を使って新たな災厄を引き起こそうとしている。警戒を怠るな、と』
桜井は、その伝言を静かに受け止め、前を歩く悠真の背中を見つめた。
彼は今、ライオネルの馬の後ろに乗せられ、相変わらずのトラブルに巻き込まれながらも、無防備で平和そうな顔をしている。
「……分かりました。先輩の平穏は、私が守ります」
桜井は、軍師としての冷徹さと、一人の少女としての一途な決意を胸に秘め、小さく微笑んだ。
その視線の先。
ライオネルの馬に乗る悠真の頭上を、エーテラがグレーの翼で羽ばたきながら、幼女を抱っこして飛んでいた。
幼女は、下を歩く大きな馬を見下ろして、興味津々に目を輝かせている。
「おうまさん! お馬さんだぁ!」
その声に気づいたライオネルが、無駄にキラキラした笑顔を振りまきながら、自分の馬の上から幼女へ手を差し伸べた。
「おお! これなるは可愛らしいお嬢さん! どうだ、私と共にこの特等席で風を切ってみないか!?」
「ママぁ……こわいよぉ……」
だが、真紅と黄金のギラギラした重厚な甲冑を着た大男が、いきなり大声で手を伸ばしてきたことに、幼女は本能的な恐怖を感じてビクッと身をすくませてしまった。
「ああ、よしよし。怖かったですね。こっちのお馬さんに乗りますか?」
並走するボニーの馬の背に乗るリーファが、その様子を見かねて優しく声をかける。
するとエーテラは、少しだけ誇らしげに鼻を鳴らした。
「ふふっ、仕方ありませんね。それなら少しだけいいですよ。……落とさないように、くれぐれも気をつけて抱っこしてくださいよ?」
エーテラは母親気取りで、リーファの膝の上へと慎重に幼女を受け渡した。
「……まぁ、なんて柔らかくて、かわいいんでしょう」
リーファは、あどけない幼女の笑顔にすっかり母性をくすぐられ、頬ずりをして可愛がっている。
その微笑ましい光景を、上空をパタパタと飛んでいたエーテラが、自慢げに見下ろした。
「ふふっ、どうです? この子の目元、悠真さんにそっくりでしょう?」
エーテラが、まるで本物の母親のように得意げに胸を張る。
「やめろって! 変な誤解が生まれるだろ!」
悠真が顔を真っ赤にしてツッコミを入れたが、リーファは幼女を抱きしめたまま、うっとりと頬を染めてしまった。
「悠真様の……子供……。この子が、悠真様の……」
「だから! 誤解です! リーファさん、変な想像しないで!」
悠真の必死の弁明も虚しく、リーファは完全に自分の世界に入り込み、エーテラは「私がママです!」と上空からマウントを取り続けている。
(……ようやく平和になったと思ったのに、僕には平穏が訪れないのか……)
相変わらずの騒がしい修羅場に、悠真は大きなため息をつきながら、頭を抱えるしかなかった。
――だが、その平和な凱旋の裏側で。
いずこかの薄暗い隠れ家の地下室。
「……おお、偉大なるウリエル様」
ユリウス司祭が、空中に浮かび上がる光の魔法陣――天界の上位者である昇華の審判官ウリエルからの『天啓』に向かって、深く頭を垂れていた。
『……魔神が破壊されたか。だが、あのような低ランクな農場、わざわざ卵を産み直す手間をかける価値もない。欲しければくれてやる』
天界の冷酷な価値観が、無機質な声で響く。
「ありがたき幸せ。天界から賜ったお力により、必ずや生物兵器を完成させ、魔神に代わる終焉をもたらしてご覧に入れます」
ユリウスは、不気味な色の液体が入ったフラスコを愛おしそうに撫でた。
「この世界が終焉を迎えた暁には、私を天界の代行者として、新世界の支配者としてお迎えいただけるのですね!」
通信が途切れた後、薄暗い地下室に、ユリウスの狂気に満ちた声が響き渡った。
「クックック……アーッハッハッハ!!」
その居場所は、未だ誰にも分からない。
『災厄の魔神』という目に見える脅威は去った。だが、人間の欲望と天界の悪意が結びついた、より陰湿で残酷な『毒』が、今まさに世界を蝕もうとしている。
そんな新たな絶望の種が芽吹き始めていることなど露知らず、悠真たちを乗せた王国軍の隊列は、平和な歓声が待つ王都アヴァロンへと、のんきな歩みを進めていた。
設定・イメージイラストは、ピクシブに掲載中です。
https://www.pixiv.net/users/119429388
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