82子供時代〜母親のリサイタル2
僕の母親はピアニストだ。
年に何回か、リサイタルに出演していた。僕が産まれる前はピアノのリサイタルをしていたらしいが、僕が産まれてからは室内楽のリサイタルにピアニストとして出演していた。
今日は声楽のリサイタルだった。
リサイタルの日は僕もついていった。僕の両親と仲良くしているおうちの「かおちゃん」も連れて行った。「かおちゃん」には、僕がピアノを教えている。だから、「かおちゃん」は僕の生徒だ。
僕達を初めて見る人は、兄妹だと思うらしい。僕は、そう思われるのは嫌だった。母親は、そのことを知らない人に説明することはなかったし、そのおかげでずっと一緒にいることができたし、僕の気持ちは両親がわかっていたみたいだった。
「かおちゃん」は僕を「しんちゃん」と呼んでいた。「かおちゃん」はもうすぐ一年生になる。たまに演奏会に行くことはあったが、本当は一年生からしか演奏会に入れない。いけないことをしている気持ちだったし、年齢を聞かれたら「かおちゃん」に「聖花女学院初等部の一年生です。誕生日はまだなので六歳です」と嘘をつかせることが嫌だった。早く、本当の一年生になって、演奏会に連れて行きたかった。
そのためにも、母親のリサイタルで演奏会を聴きに行く練習ができることはよかった。かおちゃんはリハーサル中も静かに座って聴くことができたし、化粧室にも一人で行くことができた。
おうちで自由に過ごすかおちゃんもかわいいし、お外でお口を結んでいるかおちゃんもかわいくてかわいくてたまらなかった。
リハーサル中、僕達は客席で演奏を聴き、本番中は控え室のソファで一緒に座って演奏を聴いた。僕は、この時間がとても好きだった。
かおちゃんは後半になると眠くなる。眠くなると、かおちゃんは僕にぴったりくっついてもたれてくる。控え室は僕達二人だけだったから、僕はかおちゃんの頬を撫でた。ふっくらして、すべすべした白い肌。小さい唇、閉じた目の長い睫毛。眠っている時はずっと見つめていた。
かおちゃんがもっと小さい頃、僕のことを「おにいちゃん」と言った。僕は「お兄ちゃん」じゃない。僕がかおちゃんを叱ったのはその時だけだ。僕はかおちゃんのことを「妹」だと思ったことはない。他人にそう思われても仕方のない関係なのはわかる。かおちゃんのお母さんは病気で、かおちゃんのお母さんと仲良しの、僕の母親が僕と同じように可愛がって育てているのだ。社宅だから、家もマンションの上下だ。僕は寝る時に、真上の部屋に寝ているだろうかおちゃんのことをいつも想っていた。
控え室のモニターから、母親と共演者がアンコールに応えて小品の演奏が始まった。そろそろ僕の父親か、かおちゃんのお父さんが車で迎えに来る。僕がかおちゃんを見つめる、秘密の時間が終わってしまう。僕はかおちゃんの頭や背中を撫でた。かおちゃんのパパや、僕の父親がするように、優しく撫でた。
母親が控え室に戻って来た。大きな花束を持っていた。母親は声が大きいし、かおちゃんは起きてしまった。かおちゃんはすぐに寝るし、起きてしまっても不機嫌になったりしない。少しぼんやりしているのもかわいい。
「かおりちゃん、お花だっこして!」
母親はかおちゃんに花束を持たせた。かおちゃんは両手で大きな花束を抱えた。母親は、花束を少しななめにして、かおちゃんの顔が見えるようにした。
「シンイチ、ほら、ここに立って!」
母親が僕をぐいっとかおちゃんの横に立たせた。
母親は、僕とかおちゃんの写真を撮ってくれた。かおちゃんはカメラの方を見ていなくて、花束を上から覗いている。その口許は微笑んでいたし、目許は優しい眼差しで、かおちゃんの女の子らしさが出ていた。その写真は、僕の宝物になった。
僕は、早く大人になりたかった。かおちゃんに心から信頼される存在になりたかった。
かおちゃんのパパが迎えに来て、僕に「ありがとう」と言ってくれた。僕こそ「ありがとうございます」と言いたかった。
僕は、お父さんにだっこされたかおちゃんの目が閉じるまでを見つめた。「かおちゃん、おやすみ」と小さく言った。
帰り支度をした母親と皆で車に乗って帰る。
僕は、だっこされたかおちゃんの寝顔を見ながら、もう一度頬を撫でたかった。




