71祝賀会
平山とのコンチェルト審査は、夢と同じくらい上手くいったし、夢以上に充実感があったし、新たな自分の課題も見つけた。教授に、BGMばかり弾いている欠点を指摘されそうだ。やはりソロの勉強を続けていかなければと再確認した。
平山は、僕とかおりに続き、一位とグランプリを獲得した。三年連続で同じ大学関係からとなれば、ますます大学の人気が高まるだろう。個人的にも嬉しかったし、大学講師の立場としても勿論だ。
表彰式と受賞パーティーでは、僕のCDとDVD、写真集も販売させてもらうことから、今年の入賞者でも関係者でもない僕はスタッフとして参加している。晴れやかな席で平山におめでとうと言える。
会場で僕と平山が一緒にいると、小学生部門の受賞者である親子連れやピアノの指導者に声をかけられた。僕たちのいる音大や附属を目指したいとか、僕たちに習いたいと言われることは、本当に嬉しかった。
平山へは、個人レッスンの申し込みもあった。連絡先を交換したようだ。都内の高級住宅地にある平山邸には、別宅がありスタインウェイのグランドピアノが置かれている。学生といえど良い環境でレッスンができる。ワンルームの音大生専用マンションに住んでいた頃の、冷淡な横顔もあった『高橋』からは想像できないくらい、控えめながらも感じの良い堂々とした態度だった。
僕への問い合わせもあったが、かおりのいる自宅でレッスンをするつもりはない。音大と大学附属音楽教室の講師を始めたばかりなのでこちらを案内するに留めた。
土曜日の夜だが、今日はレストランBGMのシフトを予め外してもらっていた。パーティーの終了後は、平山と二人で新宿のバーに行った。教授と高橋と三人で、何回か訪れている。これからが僕たちの祝賀会だ。
「平山、改めておめでとう!これ以外の想定はしていなかったけれど、よかったね」
「ありがとうございます。槇先輩のおかげです。先輩の時、表彰式は如何でしたか?」
「表彰式…………あぁ、僕の時は結果発表と表彰式が今日みたいに別日程ではなくて同じ日だった」
「平日でしたよね。来られない人もいたのでは」
「そうだな。僕も行かなかったから後でいろいろ届いたよ」
「行かなかったんですか。確か近くのホールでしたよね」
「あぁ。本番終わって一旦帰るのも面倒だし、行くつもりだったんだけど、待ち時間が長すぎてさ。かおりを呼び出してケーキを食べさせてたら遅くて…………。表彰式どころか店が閉店になったよ」
こんな時にこんな事を思い出させるなんてな。僕は不要な表情を出さないよう、慎重に言葉を選んだ。まぁ、平山になら多少いいかと腹をくくっているが。
「何もしていない頃のお話ですか」
「鋭いな。その一週間前に初めてキスした」
なんだその笑みは。いいけどな。
「女の子って可愛いんだな」
僕は些か唐突に呟いてみた。
「先輩がそれを言いますか。かおりさん以外には氷の対応してるじゃないですか」
「まぁな。マヤちゃんには笑顔で対応していますよ。何しろかおりが特別お世話になっている。初対面の時から礼儀正しくて、僕が聞きたいことを察してくれる、頭のいい子だ」
「そうですね。僕は遊びの女の子じゃなく、本気になれる女の子に出逢いたかった。マヤは最初から僕に真剣だった。僕もそれを同じだけ返したかった。槇先輩には感謝しています」
「マヤちゃんは………かおりに優しくて、でも何でもしてあげるわけでもなく、そのあたりを、僕は一目置いている。ちゃんと怒ってくれたりもしているみたいで」
「へぇ、そうなんですか。流石、担任」
「え、今何て」
「あぁ、すみません。マヤは学校のお友達から『担任』と呼ばれているそうです」
「そういうことか。想像つくな。ぴったりだ」
僕は笑った。酒も回ってくる。いい気分だ。
「かおりは?かおりは何て呼ばれているの?」
「知りませんね」
「嘘だ。知ってるだろ?教えて」
「かおりさんだったら、どうやって答えさせますか?」
そんなの簡単なこと。僕は手を伸ばして、カウンターの左にいる平山の左の頬をちょんと突いた。
「かおりだったら、これで僕の方を向くし、見つめていれば白状する」
「やはり『幼稚部のマリア』だ」
「なるほどな」
「かおりさんは、僕が知る限りずっと先輩と両想いだと思っていましたが、先輩はまだ伝えてもいないし、時期が来るまで伝えるつもりもないって…………それはおそらく切なく、辛いことで、節度があって崇高な関係だなと思いました」
「小さい頃から可愛がっていたけれど、兄と妹みたいにならないように気をつけていた。それがそのまま師弟関係になった。…………僕が進めていいかどうか、決められなかった。だから、自分が一位を獲るまでは、獲ったら獲ったで、今度はかおりが一位になるまではと抑えていた」
長かった。嘘だ。逃げだ。自信なんてなかった。
「壮大な計画を遂行されて。…………伺ってもよければ、その…………子供のことは」
「構わない。僕はかおりが女子大を卒業したら一緒に留学するつもりで、かおりのお父さんにも話してあった。かおりのお父さんは僕に任せてくれたし、費用も心配ないからと言ってくれた。でも、かおりは」
「かおりは、自分には実力がないって言うんだ。努力はするけれど、どれだけやっても自信が持てないんだな。おとなしいし、素直で謙虚なんだけど、ただそれだけなんだ」
「そんな!それだけって!」
「まぁ、ピアノは好きだし、かおりの家庭はピアニストとかに全く興味関心がない。無欲……とも違うんだが、多分今初めてのスランプにいるんだと思う。自分がピアノを弾いていくこと、これからピアノとどうやって向き合っていくかを、……多分初めて、自分で考えている。考えて、悩んでほしい。真剣に音楽に向き合って、自分なりの答えを出してほしいんだ。そうでなければ、先生のいう通りに演奏する、ただの人形だろ。人を感動させる演奏家にはなれない。作曲家が望んだ、作曲家が求めた音楽にはならない。僕が無理矢理やらせることはできない」
僕は自分に言い聞かせた。
「僕達はそれを知っている。勿論、まだ全てではないけれど、同じ方向を向いて歩く決心をしている。かおりはまだ18歳だ。答えを出すのはもっと後で構わないからと、悩ませておいたんだ。意外にも、かおりは僕に相談したり、僕に答えを求めたりしない。甘えてもくれないし、頼ってもくれない。何を考えているか、全くわからなかった」
平山は黙って聞いてくれたから、僕は膝の上で拳を握りしめた。何もしてやれなかった、あの時の僕。
「そのうち、子供が欲しいって言うようになった。そりゃ、僕だっていつかは、と思ったけど。僕は逃げてただけなのか、何度か仄めかされて…………僕の誕生日にホテルのスウィートのチケットをくれたんだ。曲が弾けないことより、ママになれない方があきらめられないって言われた。かおりがママで満足ならそれでいい。無理矢理やらせることはできない。先に子育てして、その後かおりがピアニストになるなら、僕は自分のキャリアを捨ててでもかおりの応援をするつもりだ」
「そんな、槇先輩…………」
「僕は凡人だ」
僕は、再び自分に告げた。
いけない。祝賀会だった筈なのに。僕は思い出したように取り繕った。
「ところで、かおりが持ってきたホテルのチケットって、平山かマヤちゃんが手伝ってくれたのかな」
「いいえ、あ、卒業式の日……槇先輩のお父様がかおりさんに白い封筒を渡していましたが」
「それだ。わざと僕を怒らせたな」
「人間らしくてあたたかみのある、いい音楽だった。先輩がいい男になれたのはかおりさんのおかげだって、かおりさんに話していました。本当に、音楽的で…………教授と先輩の後を追いかけることができてよかったと思いました」
「僕もまだまだだ。でも、平山もよくここまで来たな。これからも一緒に弾こう」
「はい、ありがとうございます。そのお言葉、一位より嬉しいです」
「こっちも、頼りにしてるから。これからもよろしくな。あ、結婚式にいた健!小学校で同じクラスだった。また会えて嬉しかったよ」
「そうだったんですね。健も先輩のこと驚いてましたよ。また身長伸びたって」
苦笑。学年で一番背が高かった僕は、無駄に目立ちたくなくて、有り難くなかったな。だが、かおりは女の子の中では背が高い。このくらいあってよかったと、今は思う。手を使うのに、この大きさもよかったと思う。
「毎日、小さなかおりと代わる代わるピアノを弾いていた。かおりは言葉が出なくて、表情と音でやりとりをしていたんだ。言えなくても、音で伝えていたが、言葉以上に伝わる相手だ。マヤちゃんとも、そうだろ?」
「はい、まぁ、僕達は言葉の方が早くて正確ですね」
「何よりだ。こっちは時間がかかる。いろいろとな。お互い、妻を待たせてるし、そろそろ行こうか」
僕は時計を見て立ち上がった。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」




