72内緒話
祝賀会の後で。
平山との話は止まらなかった。
本来の平山は悪戯好きで、皆に愛される弟キャラでもある。僕に対しては先輩という遠慮があるのか、悪戯は控えめにしている様子ではある。
「結婚式に来てくれた健……槇先輩と小学校の同級生と伺いました。槇先輩のお父様も同じように仰っていましたが、槇先輩、中学生あたりから女の子が苦手になったんですか?」
僕は久しぶりにあの時のことを思い出した。
あれか……。
人はまばらだったが、誰か知り合いがいないとも限らない。
ここからは平山に対してロシア語で話した。
国立の教育大学附属小学校から、同じ系列の中学校に進学したとたんに、中学の先輩からも高校の先輩からも声をかけられるようになった。中高と制服は同じだが、中学も高校も外部から入学してくる生徒がいて、声をかけてくるのは知らない人ばかりだった。身長を生かしたスポーツ系の部活の誘いはともかく、遊びの誘いもあった。それもナンパしに行く誘いだったりした。何故、僕が知らない先輩方からそんなものに誘われるのかわからなかった。
しかし相手は先輩だ。断り方にも角が立たないように注意した。僕は学内でも成績がまあまあ上位で掲示板に名前が張り出されていたから、勉強を理由に断るのは彼等には効かないみたいだった。
僕は自分のピアノの練習とかおりのレッスンがあるから、部活もやるつもりはなかった。進学校だったし、ピアノを真剣にやっていることはわざわざ人に話していなかった。小学校の時は遠かった為、友達を家に呼んで遊んだこともない。中高は通学時間が多くても通うため、行動範囲も広がる。僕の通学時間は、どちらかというと近い部類になった。
「マキシンイチって、お前だろ?」
帰ろうとした時だった。その頃、毎日のように違う先輩方から声をかけられ、教室から逃げ出すように帰宅しようとしていたところを、教室に来られて捕まえられた。今までで一番手強そうな先輩方だった。それまでの経験から、普通の断り方ではダメだろうと感じた。
何のために声をかけたのかを言われる前に、
「彼女のところに行くので帰らせてください」
と言ってみた。
自分で『彼女』という言葉を使っておきながら、内心落ち着かなかった。まるでかおりに嘘をついた気持ちになり、後悔した。
先輩方はすぐには信じなかった。まぁ、そうだろうな。先輩方は、僕の彼女が同じ学校か知りたがり、どこの学校かとか、会わせろと何度もしつこく聞いてきた。ここで負けられない。
「他校です。会わせる必要はありません。……じゃあ電話するから、静かにしていてくれますか?」
僕は毅然として言ったら、皆は了解した。
学校に携帯電話は持ち込み禁止だったし、当時は校内にも公衆電話がいくつもあった。時計を見た。かおりの学校から家までは徒歩10分だ。この時間帯ならかおりはもう帰宅して、僕の家のリビングでピアノを弾いている筈だ。
僕は先輩方の前で電話をした。僕の自宅なので、番号を覚えられても構わなかった。
電話をすると、予想通り留守番電話になった。留守番電話にメッセージを入れる時に、かおりが自宅に居ればメッセージが聞こえる筈だ。かおりがそれを聞いて受話器を取ってくれればいいが……。
「かおちゃん?僕だよ。電話を取って?……かおり?」
「……はい」
電話に出た。僕は心の中でにやっとした。僕の周りを取り囲むようにして静かに聞き耳を立てていた先輩方が、一気に興奮したのがわかった。
「かおり、何してた?」
「きのうのつづき。ひとりでしてた。かえったらみて?それからつぎをおしえて?」
「いいよ。いい子だ。帰ったら見るよ。今日はその先を教えてあげるから、一人でゆっくり練習してて」
「はい。はやくきてね」
「わかった。今から帰るから……まってて」
「はい」
それまでは、いつも「かおちゃん」と呼んでいたのだが、先輩方に囲まれて自分も大人になったような気がした。この時が、初めて「かおり」と呼んだ瞬間だった。ちょっと照れたけれど先輩方の手前、態度に出さないようにした。
リーダー格と思われる先輩が、
「槇、おまえ……すごい奴だな。頭もいいって聞いてる。中一で彼女とうまくやってるなんて。……もし今後気が向いたら、俺達と遊びに行こうぜ。じゃあな」
と言って背中を向けた。
他の先輩方も去っていった。穏便に済んでほっとしたが、変な感じだった。
翌日は遊びの誘いではなく、男子の先輩が一人で話しかけてきた。昨日いた先輩のうちの一人かな?いつもと全然違うなと思ったら、先輩の彼女の悩み相談らしかった。
最初は何のことだかわからなくて、聞くだけ聞いてしまった。うっかり全て聞いてしまって意味がわかった頃には、自分には答えられない恋愛の、しかも体の関係の悩みだとわかった。
先輩も僕に話すのは躊躇しただろうし、お互い無駄に恥を晒すわけにはいかない。僕は先輩を立てるために一生懸命、努めて冷静に、小さな声で伝えた。
「お互いに慣れていないだけですから、言葉で伝えて。ゆっくり時間をかけて。大丈夫です」
など、尤もらしく適当なことを言って逃げた。
そんなことが増えていった。
しばらくすると、その先輩方の彼女なのか、彼女の友達なのか、「お礼」とか「相談」とか称したよくわからない用件で呼び出されるようになった。それから呼び出された用件が嘘で、僕の貞操が危なくなることもあり、女が怖くなった。もちろん、そんな女子はほんの数人だろう。数人どころではなかったが。
男子の先輩には、面子を潰さないよう配慮したが、女子には同じ学年だろうが先輩だろうが、もちろん後輩にも、呼び出された内容と本当の目的が違うなど、裏切られた感が強く、余計な言動で誤解されることも後々まで面倒だった。それで、用件だけ短く伝えるだけに留め、笑顔で対応するのをやめた。
活発な生徒が多い共学の進学校だったのに女が苦手になった僕は、年齢よりも子供っぽくて、素直で、いつまでも純粋なかおりのことが好きだった。その時かおりは小学三年生で、まだ8才の子供だった。かおりの年齢は誰にも言わなかったけど。
ふう、……久しぶりにロシア語しゃべったな。
平山は、笑いもせずに日本語で言った。
「……先輩、それなのに22才でキス2回だったんですか……」
「うん、そうだよ」
僕も日本語で答えた。




