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君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一


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66ずっと心にしまっていた言葉

 


 妻のかおりが妊娠してから、母親の世話になることが増えた。僕の母親は、かおりのお母さんと子供の頃からの友人だし、かおりのことが大好きだ。かおりも、僕のことを母親に似ているという。僕も、正直なことを言うと、父親よりも母親に似ていると思っていた。


 母親が、

「お父さんと話をしにいらっしゃい。喜んでいるわよ。同じ年齢でパパになるのですものね」

と言っていた。


 僕は仕事のない日の夜、実家にいる母親に、外で父親と会ったことを報告しに行った。……こういうところが、母親に似ているんだろうな。


 母親は、

「慎一が一人で来るなんて。珍しいわね~」

なんて言いながらコーヒーを入れてくれた。


「この前、お父さんと話した。ずっと、言えなかったけど……僕もお父さんみたいに格好いい父親になりたいって言ったよ」

「そう」


 母親は静かに微笑んで、テーブルの書類をまとめようとした。まぁ、父親の言う通り、女性としては綺麗かもな。


「出会いの経緯も聞いたよ。知らなかったし、何か、意外だった」


 母親の手が止まった。かおりに教えている和声やソルフェージュの答案を採点していたのか?





「えっ?……何を、どこまで聞いたの?」


 お互いに緊張が走った。母親の方が気まずかっただろう。その言葉が、何を意味するのか、もちろん僕は判る筈もなかったけれど。


「ごめん。お母さんのリサイタルで出会って、藤原さんに紹介してもらって、お母さんの連絡先を教えてもらったって、それだけだよ。何も隠すことはないって言ってた。……誰かが傷つくなら、この話はやめるよ」


 お母さんが傷つくならって言いそうになった。母親は逃げなかったし、僕に話してくれた。気を使わせてしまったか。


「……あの時は傷ついたと思ったけど……今は平気よ、慎一がいるし。マキくんがいてくれたから」


 マキくんて呼んでいたのか。普段、母親は父親のことを「あなた」と呼んでいる。母親は、父親より五才年上だ。確かに「誠一君」ではないかもな。「マキくん」、「るり子」と呼びあうのは容易に想像できる。





 母親は、静かに微笑みながら話してくれた。


 リサイタルには、国際コンクールに出すつもりのプログラムを組んだの。自分で納得できる内容にしたかったのは勿論だけど、クラシックに疎いお父様が知らないような、玄人好みの曲も集めた。


 悦子が来てくれるって言っていたから、それが励みになった。幼稚部から高等部までのお友達は皆結婚していて、良き奥様をしていたから、夜のピアノのリサイタルに出掛けるなんてことはなかった。ご主人様にお伺いを立てなければ女はお出掛けできない、それもわざわざ言わない、そんな時代だったのよ。


 悦子は女子大を卒業すると同時に藤原さんと結婚して……あぁ、結婚して名前が変わったのは藤原さんだった。悦子は昔から藤原さんだったの。


 私達……私と悦子にとって、あの女子校は、何よりもあたたかい場所だった。私の両親は厳しかったし、悦子のご両親は……自閉症の娘を拒否していたような雰囲気だった。自閉症は親の教育が悪いからだと、そう言われた時代だったの。私の両親は、大学院には行かせてくれたけれど、留学はなかなかさせてくれなかった。良家の娘が外国で独り暮らしだとか、結婚が遅くなるとか……。それで、国際コンクールの審査に通れば、海外派遣として留学できるからと思っていたの。


 多分……藤原さんが、悦子の友人である私と、誰か良い人がこの社宅に入ってくれたら、と思ったんでしょう。丁度ここの前のご家族が海外勤務でいなくなった時にマキくんが入社したの。


 藤原さんが、

「いい部下が入ったんだ。ちょっと伸び伸びしているけれど、素直でいい男だ。リサイタルに誘ったら喜んでいた。あれは付き合いとか社交辞令じゃない。芸術が好きな人間だ。連れていくから頑張ってね」

って言ってくれたわ。


 リサイタルの後、悦子と藤原さんとマキくんが楽屋に来てくれたの。その時は、まだ名前も知らなかったけど。それがいきなり、

「素敵でした。付き合ってほしい。だめ?」

って。私はそういう時、いつも決まった言葉を返していた。


「私は普段練習があるし、男性とお付き合いしたことがありません。遊びなら、お付き合いできません」

って。だいたいそれで終わっちゃうけど、マキくんは違った。


「真面目に言ってる。あなたの解説文章も演奏も、音楽に対する姿勢も素敵だと思ったから。それに、友達思いのところも」

って言ってくれた。悦子のことを、

「お互いに、素敵なお友達なんでしょ?」

って。私のことよりも、悦子のことを認めてくれる人がいるなんて、嬉しかったわ。


 そうしたらそこに私の父が来て、それは誰だとか言って大騒ぎで……。悦子と藤原さんのことは知っていたから、マキくんのことよ。マキくんてば、

「るり子さんのお父様ですか?初めまして。私は槇誠一と申します。るり子さんとお付き合いさせていただいております」

とか言っちゃって。私もびっくりしたけど、藤原さんまで、

「お父様。私の部下で、素直ないい男なんですよ」

なんて、あの調子でにこにこ朗らかに仰るのよ。母はおろおろしていただけだし。


 父は、

「聞いていないぞ!君はるり子の何を知っていると言うのかね!音楽は判るのか!」

とか言ってすごい剣幕で煩いの何の……。マキくんの方が落ち着いていたわ。


「るり子さんとは、これから理解を深めるつもりです。音楽については……今日の曲目は、日本ではなかなかお目にかかれないプログラムです。僕は一曲も知りませんでした。るり子さんが書かれた解説文章を演奏前に読みました。聴いてみたくなりましたし、実際に聴いてみたら、すごく良かったです。バラキレフの『イスラメイ』……東洋的幻想曲、格好良かった。デュティユの『ソナタ』も。何回聴いたら判るようになるんだろう。シェーンベルクやストラヴィンスキーから影響を受けているというのは興味深いですね。同じ作曲家の他の曲や、他の楽器の曲を聴いてみたいと思いました。同じ年代の作曲家の曲も教えてもらいたいと思いました。評論家ではありませんから、上手く言えませんが……一つの音も妥協のないような、音楽への情熱が伝わりました」


 嬉しかった。私は今までの不満が爆発しちゃって。


「彼の方が、よっぽど音楽を判っているわ!お父様の方が彼に教えていただいたら?お父様が判ってくださらないから、このプログラムにしたのよ!来てくださったお客様には感謝しているけれど、お父様のお仕事の方しか来られないし、皆お世辞ばかり言うから、私は誰でも知っているような曲は弾かないわ!国際コンクールに通ったら、フランスに留学させて頂きたいです!婚期が遅れるって言うなら、結婚なんてしなくて結構です!」

「るり子程度で、通るわけがないだろう!」

「何よそれ、……応援してくれているわけじゃないってこと?」


 悔しくて、涙が止まらなかった。マキくんが拭ってくれた。


「るり子さん、……俺と結婚してフランスに行くのはどう?コンクールも受けたらいい。俺は応援する。日本でも、俺は出張が多いから、留守中に同じ社宅でお友達がいるなら安心だ。ちゃんと自分をしっかり持って音楽がある君は、人間として尊敬している」



 藤原さんの背中で、悦子が震えていてね。


「悦子、大丈夫だよ。喧嘩しているんじゃないんだ。皆、急いで仲良くなろうとしているだけなんだ。大人になると、時間がないからね」


 藤原さんが悦子に優しく諭していた。





 考えてみたら、私は女の子が産まれたら、どうしても母校に入れたかった。母校の近くのあの社宅なら徒歩で通えるし、最高だと気がついた。


「私、あなたと仲良くなりたいです」

って言ったら、マキくんは笑ってくれた。


 藤原さんが、鍵をマキくんに渡して、

「家具もあるから、直ぐに住めるよ」

って小さい声で言ったの。


「そうなの?1階なんだっけ?じゃ行ってみよう?お父様、お母様、急いで仲良くなりたいのでるり子さんを連れていきます。品川の◯◯山……マンション名は◯◯◯◯◯。1階ですから、どうぞいらしてください」



 私は手をひかれながら、

「今?今日?待って、ドレスだし!」

「着替えなくていいよ。シンデレラみたいでいいじゃない?」

あっという間にタクシーに乗せられた。






「で、着いたのがここよ」

「で、僕が産まれたわけ?」


「そうなの。男の子だったから、国立のお受験も成功したし、かおりちゃんが母校に行ったし、宝物の二人が結婚して、私は本当に幸せよ」



 















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