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君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一


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36カウンセリング



 かおりには、想像以上に辛い思いをさせてしまった。


 そんな状況でも我儘を言わず、僕のことを信頼してくれているのがわかり、不謹慎だけどますます愛しく思った。


 検査の結果は僕一人で聞きに行った。お父さんには、聞かれたら答えるつもりだ。いくつかの傾向に分類すると一般的なレベルと言える項目はほとんどなく、逆にほとんどの項目が支援の必要なレベルと言われた。


 ただ、かおりは恵まれた家庭環境で育ち、学習環境も良く、得意なことがあり、努力することで専門分野を伸ばしてきた。同じ症状を持つ他の方々よりも生き甲斐があり、生きていくこと自体を辛いと思わないのではないかと、病院の先生は話した。結婚することは、彼女も望んでいて、彼女にとって精神的に安定することなので、可能であれば早く実現させてあげてくださいとも言われた。


 書類を受け取りながら、今後のカウンセリングや公的な支援を受けたい場合はすぐに手配するので希望があればいつでもどうぞということだった。


 かおりのお母さんも、きっと同じような性質があるだろう。だから、かおりのお父さんは、かおりをお母さんの母校に入学させたのだろう。


 徒歩10分で、幼稚部から高等部までの女子の一貫校。ずっと同じ制服、ずっと同じお友達と先生方。落ち着いた学習環境。穏やかで、素直で礼儀正しく、真面目な女の子たち。かおりはケンカも知らないだろう。かおりのお母さんも、この学校で幸せだったのだろう。元気なマヤちゃんとおとなしいかおり、僕の母親とかおりのお母さんが重なる。


 かおりは子供の頃から毎朝困っていることがあった。リボンが結べないのだそうだ。かおりの学校の制服は不必要に買い替えなくて済むデザインで、リボンだけが変わっていく。幼稚部のリボンが幼児の指の太さと同じで結びやすくなっている。初等部、中等部、と体の成長と共に幅広いリボンになり、折ってから結ぶリボンになり、高等部は大人のサイズと同じスカーフなのだそうだ。


 実際、中等部から高等部に上がる春休みに、泣きそうになりながら毎日スカーフの練習をしている姿は、見ていて気の毒なほどだった。大人サイズのスカーフを広げて見せてくれた。実際に結ばれた状態しか知らなかった僕は、こんなに大きなスカーフを、襟元で結んでこんなにコンパクトにしていたのかと驚いた。


 大きな長方形のスカーフを、広いテーブルに広げて3つか4つに細く折り畳み、細長い状態にしてからリボン結びをするのだそうだ。しかも、途中途中でふわっとするように形を整える。それを毎朝。考えただけでも……。かおりにとっては大変そうだ。


「スカーフをもうひとつ買ってもらって、形を作って、見えないところでゴムで止めるとかはダメなの?」

と聞いたら、なんとかおりは実践済みだった。かおりは、お裁縫は時間制限さえなければ得意で、先生にリボンをなくしたと言ってもう1つ調達し、キレイに形を作ってブラウスの下にくるようにゴムと組み合わせて、本物と遜色ない程の代物を作ったのだそうだ。それも幼稚部の時に。


 しかし、体操の時間には体操服に着替え、終わればまた制服に着替える際、かおりがリボンを結んでいる姿を、どの先生も一度も見たことがないということになり、ばれてしまったのだ。


 今はそのスカーフを結ぶのに、毎朝30分もかけて結んでいるらしい。今は、体育の時にどうしているのか聞いたら、先生方が見ていない隙に、マヤちゃんがささっと結んでくれるのだそうだ。マヤちゃんが何かで欠席した時に、他のお友達が結んであげようとしたら、自分のリボンはできても、他人のリボンを逆向きに短時間で美しくふわっと結ぶことは、大変難しかったらしい。そして、かおりのリボンがおかしい時はマヤちゃんが不在という因果関係まで発覚したが、高等部まで成績優秀なかおりにも、1つくらい苦手なことがあるのだと、先生方は見なかったことにしてくれているそうだ。



 しかし、リボン結びは日常生活に必要なことなので、毎朝1回は練習のために、自分で何とかするようにご指導されたと教えてくれた。だから、朝だけは時間をかけて頑張っているらしい。他のお友達は自分のリボン結びに1分かからないらしいが、かおりは、30分でもうまくできなくて、45分かかる時もあるのだそうだ。 


 その事実を知った時、お嬢様はお嬢様なりの大変さがあるのだなと判った。それから、かおりの制服のリボンで悪戯するのは絶対にやめようと心に誓ったのだった。冗談の通じないかおりに、無駄に嫌われたくない。


 そんなことを思い出したり笑ったりしながら、今日はかおりのソロリサイタルの会場の下見に来た。




 1997席ある人気の大ホールで、演奏会を開催しない日はないくらいなので、他の公演の準備の最中に見学がてら確認させてもらうことになっていた。


 確認したいのは1つだけだ。かおりの演奏中と、お辞儀をする時の通常の演奏会でのライトの眩しさを確認して、何段階のいくつまでの明るさにするか、メモしておいて当日伝えられるように控えておきたい。


 前回は演奏後の事件だったが、演奏前にそんなことにならないように。演奏中に意外な方向からライトのが当たらないように。幸い、照明担当者は理解してくれた。ありがたい。これで当日の心配が減った。


 それから、CDジャケットの撮影をしてもらったカメラマンから来てくれと連絡があった。


 フォトスタジオに着くと、若い男性モデルが楽しそうに撮影されていた。僕は、あまり楽しいと思えなかったので、『好きかどうかが才能』という意見を思い出して納得した。カメラマンは集中して仕事をしていて、僕が来たことに気づいていなかった。そして奥へ行った。僕はそのまま待つことにした。


 僕に気づいたモデルが、撮影の後でこちらに来た。

「こんにちは。写真集の人だね?」

と言った。

「こんにちは。写真集じゃなくて、CDジャケットを頼んだ」

と答えたら、

「そうなの?すごくいいの出来てたよ。俺、このカメラマンの作品がすごく好きで好きで、おかげで俺も結構売れたんだけどさ。勝手に見せてもらった君の写真集も良かったから、きっと売れるよ?ほら、サンプル……えぇっと、これでしょ?彼女とか、めっちゃ喜ぶよ!」

 なるほどね。

「そうなんだ、ありがとう」


 僕は、写真集……僕だけが載っている不思議な本をパラパラとめくった。ピアノを弾いているバージョンと、大学内でのスナップ写真バージョンの2冊あった。正直、よくわからないな。


「あ、槇くん、せっかく来てくれたのにごめん、手が離せなくなっちゃった。その2冊、出版しよ?持って帰っていいから考えといて!」


「いいな~あの人にあんな風に言ってもらって。なかなか予約入れてもらえない人なんだよ?槇くんていうの?格好いいもんね。ピアノ弾く人なんだ?プロなの?」

「そうだね。今は学生だけど、4月から大学の講師。」

「カッコいい!絶対うまくいくから、彼に任せな?じゃね~!」  


 僕は、かおりが喜ぶのかどうかを確かめるために、持って帰ることにした。
















 

    



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