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君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一


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35病院



 今日は先生と病院デート。


 病院デートって、聞いたことがない。でも、演奏会デートをしたことがないお友達もいたから、デートにもいろいろあるのかな。


 病院デートの日までにこれを書いてきてって、質問ばかりの紙を渡されていた。学校の勉強ともピアノとも違って難しかった。一番難しかったのは、『死』について書くところ。


 私は、『教授にもう会えないのかもしれないけど、思い出すと笑顔が思い浮かぶし、ピアノを弾くといつも一緒に弾いてくださっているような、そんな気がする。だから、ずっとピアノを弾いていきます。』と書いた。


 病院には、先生が車で連れていってくれた。病院の受付も先生がしてくれた。私は病院の中って、行ったことがなかった。生理痛で保健室のベッドで寝たことがあったけど、何処も痛くないのに病院に来るなんて。もしかしたら、もうすぐ痛くなるのかもしれない。


 病院の中は広くて大きくて、天井が高くて、見上げてしまった。迷路みたいだった。




 先生は、私をエスカレーターに何回か乗せて、化粧室がここにあるよ、と言いながら廊下の角をいくつか曲がって目的地まで連れていってくれた。もう、入り口も出口もわからない。


 静かな部屋が並んでいるところに来た。廊下にはベンチがたくさんあったけれど、座っている人はいなかった。


 先生は、私を診察室の入り口まで連れていってくれて、

「僕は診察室には入らないけれど、必ずドアの向こうにいるからね」

とベンチを指して、私を安心させてくれた。あ、私はそれで安心できたわけではなかった。


 診察室に入って、病院の先生に聞かれたことを答え、病院の先生に言われたことをやり、病院の先生が見せてくれたものを見て、様々な質問に答えた。


 どうして私にそんなことを聞くんだろう?って思うことばかりだった。とても簡単な質問もあったし、全くわからない質問もあった。難易度の幅が広い、というわけでもなく、質問の意味がわからない問題もたくさんあった。どうとでも解釈できる問題もあったし、選択問題では、私が考えた答えは選択肢になかった。かと思うと、全ての選択肢に対して全ての過程の説明ができるような問題もあった。私は、それを正直に、全てお話した。


 問題の数も種類もたくさんあった。いろいろな種類の質問をされて、少しずつ傾向がわかってきた瞬間があった。同じ内容で、5問ずつ、こちらにはあまりわからないように少しずつ難しく変えていることに気づいた。なのに、3つめから全くわからなかった。同じ形式が5問続くはずなのに2つしかわからないなんて。そのうちに、2つめから全くわからなくなった。そんなことが延々と続いて不安になり、泣きそうになった。


 学校のテストは予習して授業を聞いて、宿題と課題をやれば必ず満点が取れた。わからないことは質問して、わかった瞬間が自分でわかり、その後同じ問題を出されても、わからないことはなかった。


 病院のテストは2時間以上かかった。厳しかった教授の、6時間連続のレッスンよりも何倍も疲れた。それでも私は短い方で、同じ問題を何時間もかかる人もいると言われた。かかった長さは関係ないと言われた。



 病院の先生は、休憩してお昼ごはんを食べてきてねって、私を先生のところに返してくれた。


 診察室のドアを開けたら、約束通り先生がベンチにいてくれた。嬉しかった。ほっとした。


 病院の先生は、私の午後の予定と注意事項を先生に伝えていた。午後もあるんだ……。



「かおり、疲れた?」

「疲れた」


「何が食べたい?」


 そう聞かれてびっくりした。何が食べたいか?何が食べたいか……。何が……何も思い浮かばなかった。


「もしかして食べたくない?」


 食べたくない?食べたくないわけでは、ないような、食べたいかと言われても……。


「……う、……ん……」

 曖昧になってしまった。


「甘いものなら食べられそう?」

「それなら……少し食べたいかも」


「よかった。時間はあるから移動しよう」

 車で、パンケーキやデザートがあるカフェに連れていってくれた。


「何がいい?」

「……ミニプレーンヨーグルト」


 そう答えたら先生が驚いて、私にすまなそうな表情をしていた。


「どんなに厳しいレッスンでも何も言わなかったかおりが疲れたなんて……、僕はかおりに辛いことをさせてしまったね」

「疲れたけど、……これは、私に必要なことなんでしょう?」


「僕は、そう思ってる」

「……私には、何が足りないの?何ができていないの?さっき、できなかったことがたくさんあった。どうしてわからなかったか、わからない」


 さっきの不安感が押し寄せてきて、私は涙が出てきそうだった。でも、先生を困らせる。先生のせいじゃないのに。泣いたらだめだ……。私は我慢した。


「それを調べるための検査だから、それでいいんだよ。かおり、赤ちゃんがほしいと言ったね。僕は今、かおりを守っている。僕たちの赤ちゃんを最初に守るのはかおりだ。赤ちゃんはかおりのお腹の中で大きくなるからね。赤ちゃんのママになる準備だと思ってくれ。今すぐに出来なくても大丈夫。学校で習うことじゃないんだ。……かおりが出来ないことは僕がしてあげたいんだ。そして、僕はいつでも必ず助けてあげることは出来ない。かおりは出来ないことがあってもいい。それを、自分で、誰かに、何を、どう手伝ってもらいたいか、言葉で言えるようにするんだ。他の人には、……僕とかおりみたいに、目と表情だけでは伝わらないんだよ。だから病院に来たんだ。……わかる?」


 私は、マヤちゃんが私のリボンを結んでくれたことを思い出した。


 それから、先生の真剣な目と表情は、大好きっていう愛ではなくて、私が知らなかった、目に見えない、愛の姿を見せてくれたみたいだった。


 軽々しくお返事をしてはいけないような気持ちになった。それでも、私は、言わなければいけないと思って、一生懸命、伝えたいことを順番に話した。


「……わかった。ありがとう、しんいちさん。……小さい頃、お母さんに慎ちゃん、って呼ばれていたでしょう?……私も、……私の慎ちゃんのために午後、……頑張るね」


 今日は左手に婚約指輪をつけている。


 薬指につけた、冷たくてひんやりした、大きなダイヤモンドの形を、右手の指でなぞりながら、カフェのソファーで目を閉じて、深呼吸をした。









「かおり、かおり……」

 先生が私の頬を撫でた。


 ここは車の中で、外を見るとさっきの病院の駐車場だった。眠ってしまったみたい……。 


「ごめんね。かおり、起きれそう?」

 私はだまって体を起こした。先生は、倒した助手席のシートを、私に気づかいながらゆるめに起こした。


「結局、食べられなかったみたいだから、飲むヨーグルトを買ってきた。飲める?」

「……ありがとう、しんいちさん」


 私はストローをさして、一口飲んでみた。あ、甘すぎる。これはちょっとだめかも……。


「かおり、無理しなくていい、大丈夫?」

「………思ったより、甘すぎて。ごめんなさい」


「確かに。さっき頼んだのはプレーンヨーグルトだったね」

「……ごめんなさい」


「いいよ。あと5分したら病院に行くから。僕に何かしてほしいことはある?」

「……手をにぎってほしい。……頬にキスしてほしい」


 先生は、私が勇気を出してお願いしたことを、たくさんしてくれて、嬉しくて涙がこぼれた。


「かおり……泣くなんて……ごめん」

「ううん、嬉しいの。ありがとう、しんいちさん」


 午後は、病室のベッドに寝かされて、額や体に何か線をたくさんつけられたみたいだった。逃げないようにしたのかな。ちょっとでも動いたらいけないんだろうな。逃げようとしたら痛くされるのかな。


 病院の先生が、私に説明した。


「ちょっと眩しくします。目を閉じていて大丈夫です。どのくらいの光が眩しいと感じるかのテストなので、ちょっと辛いと思います」 

 うわ……それはいやかも。今、真上を向いて寝かされて、真下を向きたい。もう既にすごく眩しいんですけど、もっと?


 そこから先は、もう思い出したくない時間が続いた。強い光、短くて強い光、長くて強い光、目を閉じていても眩しい。長い時間、ギューっと目をつぶった。両手で、目を覆いたかった。線をつけられていたから、体も動かさないように、ひたすら我慢していた。





 病院の先生が、お疲れ様でした、と声をかけて、私に着けていたものを全て外してくれた。


「……ありがとうございました……」


 私は、自分の足が、思うように動かせなかった。早く先生のところに戻りたくて、必死で病室の外に出た。


 ドアを開けると、すぐに先生が来てくれて、私を抱き止めてくれた。


「かおり!かおり!大丈夫?」

 もう、大丈夫だけど、目を開けていられなかったし、頭が痛かったし、何も答えられなかった。


 病院は、これで終わりだった。ちょっと病院デートは、もう行きたくない……。


 先生はずっと優しかったけど、辛くて、疲れて、頭が痛かった。車で家まで送ってくれて、すぐに私の部屋のベッドに寝かせてくれた。私は、目を開けているのが辛くて、頭が痛くて、何も言えなかった。


 先生はずっと側にいて、手を握ってくれていた。


「……慎ちゃんのママに、なれるかな。……慎ちゃんは、私がママじゃだめかな……」

「かおり……」



 先生が手を握っていてくれたから、気持ちが落ち着いた。


 それから先は、もう覚えていない。















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