表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/148

27教授の想い出



「ハラショー!!」

 教授の声が聞こえてDVDを見たものの、画面に教授はいなかった。


 教授はいない。

 教授は、もういない。


 かおりは、まだそれを知らない。



 僕は体を起こした。だめだ。

 止まった画面から目を離せなくて、僕はしばらく呆然としていた。先生の「ハラショー!!」がここに残っているなんて。僕でさえ現実を受け入れ難い。せめて、かおりにはもう少し後に教えて、その時には丸ごと受け止めたい。でも、まだ僕がだめだ。知らないうちに涙が伝って、かおりが僕の頬にキスしてきた。わかっているのかいないのか、かおりは慰め上手だ。乱れたスカートも直してあった。


 かおりはまだ知らなくていい。


 それだけ決めた僕は気を取り直して、もう少し時間を伸ばすことにした。

「ありがとう。デザート食べよう。生菓子だから早く食べないといけないんだ。かおりに頑張ってもらわないと。コーヒー入れ直してくるね」


 僕は、キッチンに行ってお湯を沸かした。


 かおりといると忙しいな。あんなにおとなしいのに。それにしても、女子高生たちは賑やかだった。僕は女子が苦手だった。僕が通った国立大学の附属では、とにかく利発な女子が多かった。もちろん一部だろうが、女子は嘘をつくのも上手く、本当は何をしたいのか、何を聞き出したいのか、本音がわからなかった。その裏を探るのは面倒だったし、深読みする時間も興味もなかった。


 母親は、快活でよくしゃべるから長い時間一緒にいると疲れる。それ故、ピアノのレッスンでは母親に何も言われないように、母親が望むような練習をした。かおりにレッスンしていると何も言わなかった。


 そのうちに僕も真剣に弾く時間が多くなり、母親の背を抜かさないまでも、母親よりも手が大きくなる頃、母親のレッスンは完全になくなった。


 日本で演奏活動を始めた教授のプライベートレッスンを受けることになった。僕が合格したタイミングで、教授は音大で教えるようになったが、当時は僕以外のプライベートレッスンをしていなかった。


 それから何年だろう。多分、日本で一番長く教えてもらったのが僕で、次が後輩の高橋か。彼も大学に入る前から、関西から僕と同じようにプライベートで習い、同じ音大に入ってきた。高橋は僕とはタイプが違う。知的でセンスがある、いいピアニストだ。


 長さは関係なく深さでいうと、おそらくかおりだろう。期間ではなく、教授が一番情熱を注いで教えたのはかおりだった。きっかけは僕が教えていたから、というのもあるだろう。


 僕は小学5年生から教授のレッスンを受けていたが、それなりに反抗期もあった。僕は何故か、親ではなく教授にぶつけていた。ピアノが上手くいかない苛立ちも大きかった。


 中学の頃だった。


 何かの折に、

「そんなシンイチは良いピアニストにもなれないし、良い教師にもなれない」

と言われた。僕はここぞとばかりに

「僕にも生徒がいます」 

と言ったら、戯言だと思ったのか、

「今すぐ連れてこい!」

となり、教授の家を飛び出し、僕の家で一人で練習していたかおりを電車に乗せて、教授のところに連れて行った。


 教授は、まさか僕が本当に連れてくるとは思わなかったのだろう。しかも小さい女の子で驚いていた。かおりに、僕が教えた『愛の夢』を弾かせた。初めてのコンクールが間近で、僕がもう何も言うことがないくらいに仕上がっていた曲だった。教授はその場ですぐにかおりにレッスンした。


 その時間は、ただただ、悔しかった。

 ただでさえ、かおりの才能にコンプレックスを抱えていた僕は、教授の手腕で遥か彼方に連れて行かれてしまうような気がした、辛い想い出だ。


 教授のレッスンの数日後に行われたコンクールでは、かおりの音色の豊かさが誰よりも素晴らしかったと、高学年部門の一位と、審査員特別賞をもらった。かおりが小学5年生のことだった。


 かおりのそれは僕の指導力の結果ではないことはわかっている。だからこそ、僕自身がより一層ピアノに真剣に取り組むようになった。教授の言うことを素直に聞き、かおりにも今まで以上に真剣に教えるようになった。かおりも僕と同じペースでついてきた。かおりとは、片想いとか両想いとか、つき合うとは違う、真剣な相手だった。


 僕が大学3年で大学内でのコンチェルトオーディションでチャイコフスキーを弾いた時は、留学間近の大学院二年の先輩がオーケストラパートを弾いてくれた。先輩も学部生時代にチャイコフスキーでソリストに選ばれた実力の持ち主だった。


 先輩のおかげで自信をつけた僕がコンクールのグランプリを獲った時は、同じチャイコフスキーのコンチェルトのオーケストラパートをかおりに弾かせて、教授に二人セットでレッスンしてもらった。


 僕たちは、母親がもらった招待券で、たくさんのオーケストラを聴いて育った。招待券があるとはいえ、子供が二人遊びに来たと思われないように気を使った。とくにかおりが初等部に上がるまでは、当たり前だけど僕も子供だったから、少しでも歳上に見える洋服、歳上に見える振る舞いをし、おとなしいかおりにコンサートのマナーを教えながら、あちこちのホールに連れて行った。

 かおりが初等部1年生になった時は僕は小学5年生で、ようやく二人で堂々と演奏会に行けるようになったと安堵したのを覚えている。教授のレッスンに通うようになったのは、そのすぐ後だった。



 教授……。


 もうしばらく、僕とかおりに時間をください。

 教授と、お別れをするまでの時間を。






 温かいコーヒーを入れて僕の部屋に戻ると、かおりは何か言いたそうな顔をしていた。


「なに? キスの続きをしてほしい?」


 首を振られた。

 かわいいな。


「……あの、これが少し見えて……これはなあに?」


 CDとDVDのジャケット写真のために撮影してもらった見本の写真の束だった。カメラマンは写真集を作りたいとも言っていた。


「あぁ、見ていいよ。さっきのDVDとCDの表紙にするんだ。僕はこだわらないからカメラマンのおすすめにしたんだ。どれにしたんだっけ……たくさんありすぎてわからないな……」

 写真にはあまり予算を掛けなかったが、それでも軽く100枚以上はあった。かおりは、似たような構図、似たような表情ばかりのそれらを、一枚ずつ丁寧に見ていった。この調子では明日までかかりそうだ。幸せそうに見える。嬉しいな。


「かおり、僕の写真が好き?」 

「うん」 


 即答。かわいい。


「全部あげるから、今は僕を見て?」

「……それは恥ずかしいからいや……」


「じゃあ、これなら恥ずかしくない?」

 かおりを抱きしめた。かおりは僕の胸の中で頷いた。


「ただいまー! あら? かおりちゃんの靴? かおりちゃん来てるの? あれ? リビングにいない! レッスン室? いなーい! 慎一の部屋? 狭いのに大丈夫?」


 母親が帰宅したようだ。本当にうるさい。いいところだったのに。一部屋一部屋開けながらこっちに来た。

 ついに僕の部屋のドアを開けて、

「かおりちゃん、いたー!」


 かくれんぼかよ……。


「こんにちは。お帰りなさい。お邪魔しています」

「相変わらず礼儀正しくていい子ねー。あっ、そのお菓子、食べて食べて。かおりちゃん好きでしょ? 何してたの? 何、このDVD! CDも? 何この写真! やだこれ慎一? いつ撮ったのよ? 学校?」


 本当にうるさい。かおりにこそっと言った。


「ねぇ、ちょっとマヤちゃんに似てない?」

「同じです。大好きです」


 即答したかおりに、僕は苦笑した。やっぱりそうなんだ。


「……あの、でも、先生もお母さんに似ています。大好きです……」

 また直球がきた。


「なんかあなたたち、いい雰囲気になってきたわねー。恋人同士みたい。きっと、結婚してもずうっとこんな感じなのかもね。素敵だわー!」

「そう思ってくださるのなら、気を利かせてください」

「はーい! さようならー。あ、慎一。後で話が」

「後にしてください」


 僕は遮ってきっぱりと言った。通じたようだ。

 かおりは今日も知らずに過ごすことができそうだった。



 翌日は土曜日。

 レッスンはないから、たまにはお友達と遊んでおいでとかおりに伝えた。













評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ