第7章~グランヴェルト大僧院の秘密(G7η11ゾーン領域)~【前編】
僧院での生活といったものは至って単調なものだ。・朝課――午前五時から六時頃まで(ただし、グランヴェルト僧院においては常に夜明け頃がこの朝課に当たる)。・一時課――七時半頃。・三時課――九時ごろ。・六時課――正午。・九時課――午後二時から三時まで。・晩課――大体のところ日没時とされる(グランヴェルト僧院においては、この前後に食事の準備と夕食を終える)。・終課――日没後、修道院では礼拝ののち、それぞれが就寝時間を迎える。・深夜課――深夜二時半から三時くらいまで……この時間になっても眠らず、引き続き起きている僧侶たちもいる。それぞれ蝋燭の下で聖典を精読していたり、長く神への祈りを続けていたり、あるいは彼らの信仰する光と正義の神<メサイア>の祭壇で寝ずの晩をしているかのいずれかであった。
リナルド・ライナーがこのVRゲームをはじめるにあたり、僧侶の職業を選んだことに、それほど深い意味はない。最初に選んだジョブがクレリックであれ、ある程度レベルが上がれば修道僧となり、回復魔法系が使えるのと同時、バトルにおいても即戦力になれる戦士として成長していけるだろう。またさらに賢者として成長し、魔法使いのスキルも身に着け、フィールドにおける各種イベントを順にクリアし、その過程でパーティを組んだ連中とラスボスを倒しゲームクリア……おそらくはそんなところだろうか。
とはいえ、目を覚ました時、あたりが真っ暗だったことには驚いた。他のゲームではそれがホラー系のものであれ(ちなみにリナルドはクトゥルフ神話の大ファンだ)、こんなスタートは経験したことがない。
「しかも、なんだこのベッド。ゴツゴツして寝心地が悪いったらないな……」
その上、チュウチュウというネズミの声が聴こえたかと思うと、部屋のどこか隅あたりを走っていくような気配がする。最悪である。
「ま、ゲームだからな。伝染病だなんだ、気にする必要はないんだろうけど……」
リナルドはその後も暗闇の中、あたりの様子を手探りで探らなければならなかった。途中、木製の椅子らしきものを倒したらしく、カターンと床を叩く硬質な音がする。
(椅子があるなら、テーブルだってあるはずだよな。そしてテーブルの上には蝋燭があるはず……あるいは、ベッドの枕元あたりを探すべきなのか?)
もしゲームを管理しているAIが赤外線カメラか何かで今の自分の様子をモニターしていたとすれば、自分はさぞかし間抜けな姿を晒していることだろう……そうリナルドは思った。そのうち手が冷たい石造りのテーブルに当たり、突然明るいブルーの画面が出たかと思うと、>>『蝋燭とマッチを発見した!!』とウィンドウに表示される。
「やれやれ。中世にはまだそんなマッチなんていう便利な代物はないはずだぞ。まあ、そんな細かいことはべつにいいけど……」
リナルドは錫の台座の蝋燭にマッチで火を点けると、その炎によってあらためて周囲を見回した。そして驚く。
「なんだこれは……まさか、岩屋の牢獄か何かか?」
とりあえず鉄格子のようなものはなかったが、それにしても、である。四方は固い岩壁に囲まれており、どことなくカビ臭いような匂いがした。ドアらしきものはどこにもないが、ちょうど人がひとり通れるくらいの縦に長い長方形の窪みのような場所がある。
(ははあ、なるほど。べつに僕はここへ閉じ込められてるってわけではなかったわけだな。ところで今、この僧院では一体何時という設定なんだ?深夜か?)
リナルドは手燭を片手に、暗闇の窪みの先へと進んだ。そこは地下廊下であり、左右には暗闇だけが同じように垂れこめている。
「さて、どうする?……」
思わずひとりそう呟いてしまい、リナルドは失笑した。なんにしても地上へ続く出口を探し、夜明けを待つべきだろうか?
(まあ、もしここが地下なら、深夜とも限らなかったりするわけだが……しかし、そもそも初期装備はどうなってるんだ?もし『モンスターが突然暗闇から現れた!』なんていうことになったとしたら……)
リナルドは心配になり、あたりの様子を不気味に感じながらも装備のほうを確認した。防具のほうは、『そうりょのふく』ただ一点きり、しかも武器としてはナイフひとつ携帯しているわけでもない。
「やれやれ。この先一体どうなるやら……」
一歩あるくごと、ジャリッと木のサンダルの音が妙にあたりに響いて聴こえる。リナルドは慎重に周囲の闇を蝋燭の明かりによって照らしつつ、先へと進んでいった。すると、突き当たりに廊下があることがわかってほっとした。とはいえ、それは左側にあるのが上に上がる階段で、右側にあるのがさらに地下へと下っていく階段だったのだが……。
(それに僕は岩屋から出たあと、なんとなく通路をこちら側へやって来たというだけで……もう一方に続いていたであろう廊下の端が行き止まりだと確かめたというわけでもない。むしろ反対側にも同じような階段が存在するのだとしたら?)
リナルドはとりあえず、上階へ続いているのだろう階段を上がっていくことにした。VRゲームをやるのはこれが初めてではないが、武器の装備もなく、さらに下へくだっていく勇気は流石の彼にもない。
だが、こののちもリナルドには不気味な気配が張りつき続けた。どこか遠くのほうで(音の感じからして、上からとも下からともわかりかねる)、ギィーッという気味の悪い扉の軋る音がしたかと思うと、人が泣き叫ぶような声やハァハァという荒い息遣い、それに何か罵るような大声が聴こえた気がした。言葉のほうははっきりとはわからない。とはいえ、それは僧院のような場所には似つかわしくない下品な笑い声を伴っていたのである。
――やばいっ!!こっちへ来る!!
地下からズリズリという何かを引きずるような音がしたかと思うと、その後その足音は何故か、ひたひたというしめやかなものに変わった。しかも、それが目に見えないながら、恐ろしい速度によって自分の背後に迫ってきているような気がして……リナルドは我知らず階段を上がる足が速くなった。
そして姿が見えないながら、(追いつかれるっ!!)とリナルドが思った瞬間、黒鉄と鋲によって留められた扉に行き当たった。もしこの扉の鍵がかかっていて開かなかったらと思っただけでゾッとしたが――幽霊なのか悪霊なのかもわからぬ存在は彼に追いつくことなく、扉の向こうへ締め出される格好となったようである。
リナルドが黒い鉄製の輪に手をかけ、それを内側へ向かって大きく押すと、そこには暖かい気配が満ちており、驚いた顔をした修道僧がふたり、どこか善良そうな顔できょとんとこちらを見ていたのである。
「どうしたんだね、リナルド?」
そこは、僧院の厨房だった。石造りの建物の窓からはうっすらと陽が射し込みつつあり、夜明けが近いことを小鳥の声とともに教えていた。
リナルドは以前、何かの本で――中世では朝食というものがなく、僧院でも祈りに専心したり、その後田畑で働いたりしてから正午に礼拝を行ってのち、その日最初の食事をしたと読んだ記憶がある。だが、やはりそのあたりはゲームなのだろう。木製の古びたテーブルの上にはバジルソーセージやチキンパイ、ルッコラのサラダや卵料理など、美味しそうな料理がいくつも並んでいた。すべて料理係ルイが作ったものである。また、その傍らではパン焼き係のサヴォイがいて、竈でパンを焼きつつ、その合間にスープの味かげんを確かめているところだった。
「……いえ、まさか地下通路が厨房に繋がっているとは思っておりませんでしたので」
「ハハッ。変なこと言うなよ、リナルド・ライナー」と、サヴォイはスプーン片手に笑った。「僧院から地下の祈り場へは、色んなところから通じてるって知ってるだろ?にも関わらず、なんでわざわざ厨房へ出る出口を選んだのかって、ルイの旦那はそう聞いてるんだぞ」
ルイは丸々と太った男で、あまり修道僧といった感じのしない男だった。まるで、僧院へ特別の料理を作るためだけに雇われている村人のNPCといった雰囲気だが、灰色の修道服の上にエプロンをつけているところを見ると違うのだろう。また、サヴォイのほうはにこやかなルイとは対照的に、どこかずる賢そうに見える若い男だった。これはリナルドのただの直感に過ぎぬことではあるが、厨房の手伝いをしていれば何かとちょっとした食べ物にありつけるということが、彼が調理助手をしている理由ではないかという気がした。
「すみません。おそらく、祈っている間に眠ってしまったんでしょう。何かの拍子に蝋燭の火も消えてしまい、その後ちょっと気味の悪い経験をしましたもので……」
ここで再びサヴォイが「ハハハ」と笑い、ルイも料理助手につられるようにして「ワハハ」とぽっちゃりした顔に微笑みを浮かべている。
「きっと寝ぼけていたのさ、リナルド。なんにせよ、もうすぐ朝食の時間だよ。祈ってる途中で眠ってしまっただのなんだのいうことは、修道院長には黙っておいやろう。ついでに、朝食の手伝いもしてくれたってことにしておくから、食堂へ料理の皿を運ぶのを手伝ってくれ」
ルイのこの言葉を聞くと、サヴォイは何故か面白くなさそうな顔をした。そしてこの時リナルドはこう思った――(このサヴォイという男は何か注意が必要な感じのする男だぞ)と。
朝食が済むと、リナルドは皿洗いを手伝い、その後畑のほうへ出て種蒔きの手伝いをした。季節のほうはまだ春のはじめであり、牛や馬を使って開墾したり、鍬を振るって畝づくりに精を出したりと、やるべきことは数え切れないほどたくさんあった。その間も、薬草園にて『やくそう』やら『きずぐすり』やら『どくけしそう』、『きつけやく』などを手に入れ、農作業によって力がついたからであろうか、レベルが2に上がってもいた。
(やれやれ。使えそうな武器といえば、厨房で見た包丁やフライパンくらいなものだぞ。ここの僧院で地味にレベル上げして倒せるモンスターがいるとすれば……それには一体どういったシナリオが想定される?)
リナルドはなんとなく嫌な予感がしていた。つまり、夜になるまでに地下の岩屋やそこに通じる廊下や階段などで見聞きしたこと――ああした存在から身を護る、あるいは戦って勝つべくなんらかの方策を昼間のうちに立てておく必要があるのではないか?
ゆえに、リナルドは時間を無駄にしなかった。祈りの時間や礼拝の時間がやって来るたび、忠実にそれを守ると、今度はレベルが3に上がったが、ステータスを見る限り、知力や賢さなど、上がった数値はそれぞれ微々たるものである。(かくなる上は……)と思ったリナルドは、僧院の各場所を時間の許す限り順に巡りゆき、どこかに隠れアイテムでもないかと探して歩いた。
(レベルが3になった時、回復魔法のキュアを覚えたが、これでたったの30しかない体力が全回復するにせよ、これだけではなんとも心許ないな……)
グランヴェルト修道院は人里離れた山の上に建っており、一番近い村里まで辿り着くにも一昼夜かかるという話だった。しかも、人を寄せつけぬ天然の要害のような場所だというのに、高い塀に囲まれているのみならず、入口はひとつしかなく、そこもまた大門によって閉ざされているのだった。簡単にいえば、僧院内で何かあった場合、それは逃げ道がまるでないことを意味しているに違いない。
RPGゲームの基本中の基本として、当然僧院内にいる人物たちに聞けるだけ話を聞いて情報収集する必要があったろう。また、自分が地下で経験したことについて、それとなくでも聞けそうな人物がいたとすれば、リナルドは当然そのことも尋ねてみようと考えていた。
正午の礼拝が済むと、リナルドは聖堂を出てまずは家畜小舎へ向かった。午前中に田畑を耕している時から、鶏小舎や豚小舎などでエサをやっている少年がおり、ずっと気になっていたのだ。
「なんだい、おじさん。オイラになんか用?」
大体のところ仕事のほうが一段落したのだろう。ジャンはそばかすだらけの顔でニカッと笑うと、どこからくすねてきたのか、ビスケットを齧りつつ、小舎の窓枠部分に腰かけ、足をぶらぶらさせている。
(おじさんって……鏡で見た限り、とりあえずお兄さんといった容姿だったと思うんだがな。ま、そんなくだらないことはどうでもいいか)
「ジャン、君は一体いつごろからこの僧院にいるんだい?」
「つい去年くらいからかな。近くの村で両親がおっ死んじまってー、兄貴や姉さんや妹なんかは親戚に引き取り手がいたんだけどー、オイラだけなんかあぶれちゃってさ。それで、村長さんとアジール修道院長が相談して、オイラはここへ来ることになったってわけ」
「その、奇妙なことを聞くようで恐縮なんだがね」と、リナルドは鶏小舎の窓から見える墓地を遠く眺めて言った。「僧院の地下へなんて、ジャンは行ったことあるかい?」
「ああうん、まあね。行きたかないけど、地下の僧房のほうでそれぞれ祈らなきゃならない期間ってえのがあってー、それで、時々いくよ。だけどオイラの場合、まだ年若いってこともあって、誰かしらと一緒に岩屋に入って一晩中祈ったりとか、そんな感じかな」
「そこで何か……幽霊とか悪霊とか、あるいは現実に生きた人物にしろ、何かおかしな経験をしたことはないかい?」
「いやあ、ないよ」と、ジャンは屈託ない顔で笑った。「そりゃ、なんかあのあたりって薄気味悪いし気持ち悪いけど……修道院長や他の僧侶たちの話じゃさ、そーゆーのは人間のソーゾーリョクの産物なんだって話だよ。オレも変な化物のでる夢見て目を覚ましたことがあるけど、結局それもこうして地上へ来てみれば夢だったってことがわかるだけってゆーかさ」
「それって、どんな夢だったんだい?」
リナルドは我知らず、ごくりと喉を鳴らしていた。心の中では(あれがただの夢なものか!)とそう感じていた。
「なんか……暗闇の中をヌメッとした化物がハァハァ言いながら這い寄ってきて……追いかけられるんだけど、結局闇と同化してるから、そこに本当にいるのかいないのかもわからぬまま、そのままハッと目を覚ましたりとか、そんな感じの夢」
「…………………」
(間違いない)と、リナルドはそう確信した。おそらく、そのような恐怖の産物と遭遇して負けたとしても、再び僧房で目覚め、事実をありのまま他のNPCである僧たちに話したところで――『ハハハッ!夢でも見たんだろうさ』で片づけられてしまうのではないか?
(まずいぞ。なんにしても、これ以上時間を無駄には出来ない。今の僕のレベルでアレを倒せるようには感じないんだが、それでもおそらくはこのように初期イベントとして組み込まれている以上……この僧院をくまなく調べたり情報収集すれば、なんらかの方策は見つかるということか?)
リナルドが鶏小舎を出ると、そこには羊小舎や牛小舎など、家畜全般を管理している責任者のルヴァントという名の修道僧がいた。かなり年配の、妙に皺の目立つ顔をした垂れ目の男である。眼瞼下垂なのかもしれない。
「あの子も可哀想に……」
アヒルがガアガアと横切っていくのを見ながら、ルヴァントは言った。白髪頭に深い皺の刻まれた顔をしているところから見ても、僧院暮らしのほうはもう相当長いのだろう。
「肌のほうが浅黒かったことから、ここらあたりまではるばる行商にくるムーア人と母親が浮気したんじゃないかってことで、喧嘩が絶えなかったらしくてね。その後、村で流行った病いが原因で両親ともに亡くなって……あの子が悪いわけじゃないんだろうに、悪魔の子だのなんだの言われて、結局ここへ来ることになったわけさ」
「そうだったんですか……」
(こんなジジイと無駄話しているヒマはない)と最初は思ったが、ルヴァントの今の話は何か大切なことであるような気がした。振り返ってみると、ジャンは黒い猫を撫でているところで、リナルドはこの時奇妙な印象を持った。(悪魔の子、か。まあ、地下世界のあの不気味な存在がジャンのような少年に取り憑ついているとか……いや、シナリオとしてありうるか?)
リナルドはそんなことを考えつつ、僧院の本堂に付属している図書室のほうへ向かった。聖堂が中央に位置するこの大きな石造りの建物は、修道院長室や副修道院長室含め、各修道僧の部屋や集会所、会議室、厨房や食堂の他、聖具室や懺悔のための特別な祈り場他、食料保管庫やワインといった飲料を保管する場所、病人の治療室や薬草庫など、多くの部屋があった。図書室もそのひとつで、驚くほど多くの蔵書が収められているようだ。
(α(アルファ)、β(ベータ)、γ(ガンマ)、δ(デルタ)、ε(イプシロン)、ζ(ゼータ)、η(イータ)、θ(シータ)……本棚の上に記号のように記されているのはギリシャ文字か?だが、本の内容のほうは……)
『光と正義の神メサイアと暗黒神ルシファー』、『農耕神アーガイルと商業の神へリストス』、『混沌神カオス』、『地水火風を司る精霊なる神々』、『英雄神セヴァストーン』、『時の女神ユリスノア』、『冥府の神デュマイオス』、『法と秩序の神ソリテュード』……どういった索引による分類なのか、リナルドにはよくわからなかったが、本を一冊一冊抜いてはぱらぱら読んでみることにした。
ところが、このゲーム世界特有の言語によるものか、本にはわけのわからぬ記号のようなものが列記されているだけで、意味のほうはまったくわからなかったのである。
(いや、だが何か……読めないし、意味もわからないながら、感じるところがある。この感覚は一体なんだ?)
あとにしてみれば、それはコンピュータ言語によく似たものを神聖文字やルーン文字として組み換え、コード化したような配列だったようにリナルドは思い至るのだが、この時の彼に大切だったのはもっと別のことだった。引き抜いてぱらぱら捲った本のすべてではなかったが、時々>>『アミュレット(護符)を手に入れた!!』と表示が出ることである。
(護符か……とりあえず、今のところ一つの本棚から十七枚見つかったが、こんなもので地下世界の悪霊か幽霊みたいな奴らから本当に身を守れるのか?)
とはいえ、夜の訪れに備え、リナルドがアミュレットを取れるだけ取ろうとし、その文章を読めもしない本をぱたんぱたんと開いたり閉じたりし(彼に読めるのはタイトルだけであった)、そんなことにも疲れ、一度休もうと本棚ごとにひとつの割合で設置された椅子に腰かけようとした時のことだった。壁に掛けられた絵にギョッとしたのである。
(これは……預言者ヨハネの斬首の場面か何かか?)
とはいえ、その絵画の中には首から血を噴き出させている筋肉質の半裸の男が大きく描かれ、斬首された首を手に持つ処刑人の腕がその横に存在しているだけで……人間の顔の正面についてはひとつも描かれてはいない。だが、それゆえにこそ不気味だった。
(まさか……)
リナルドは図書室にある他の絵についても確認したくなった。もし他の絵画もすべて、何か空恐ろしい事柄か、伝説上の化物でも描かれていたとすれば――この地下には間違いなく悪しき何者かがおり、それを倒すか何かしなければイベントクリアーといったようにはならないのだろうと、そんな気がしてならない。
(いや、これはもうほとんど疑う余地なく間違いないな……)
ミノタウロスが人間を足蹴にし、手にした斧で何人もの人間を一度に斬首する場面や、ひとつ目のキュクロプスがふたつの手の間で人間の男を引き裂く場面、あるいは凶悪な顔つきの巨人が頭から人間にかぶりついて食べる場面など……見ているだけで気が滅入ってくるような、陰惨な絵ばかりが飾られていたからである。
(やれやれ。もし地下にいるのがこれと同じか、あるいはこれに類する怪物ばかりだったとしたら、今の僕のレベルの低さでは勝てようはずもないだろう。それとも何枚となく入手した護符によってどうにか身を守りつつ逃げろとでもいうのか?)
リナルドはその後も図書室にある読めもしない本の開閉を繰り返し、そこから計百枚ほどもアミュレットを入手した。もっとも、それらは彼の僧服の胸あたりに隠してあるというのではなく、コマンドを開けば・道具として表示され、×100となっているというあたり、こうしたところは紛れもなくゲームなわけである。
(これがもしTRPGならば、結局現時点では僧院の地下ボスを倒すことは出来ず、一度この呪われた僧院を出てのち、再びどこかでこの真の敵と相まみえる……そんなことだってあるだろう。だが初期イベントとしては難易度高すぎだぞ。それにこのVRゲームは全年齢対象といったように記憶してるんだが、他の僧侶を職業として選んだプレイヤーも全員、このイベントを経験してるってことなんだろうか?)
わからない、と思い、リナルドが首を振っていると、ぽんと肩を叩かれ、彼は一瞬ギクリと身を強張らせた。
「なんだい、リナルド?そんな、恐ろしい怪物でも見たような顔しちゃってさ」
「ああ、なんだ。サヴォイか。何か用かい?」
「アジール修道院長がお呼びだよ。君、何かやらかしでもしたのかい?」
この時のサヴォイにも、どこか油断ならないところがあった。どこがどうとは説明できないのだが、人に不快さを催させる顔の表情、それに人の噂話を探ってばかりいるような気配を感じさせる、この厨房助手にはそうした雰囲気が備わっていた。
「特に心当たりはないな」
「へえ、そうかい」
サヴォイは何故か「チェッ」とでも言いたげな顔して、修道院長の部屋へ行く手前のところで通路を曲がっていた。聖堂での礼拝中もうつらうつら眠そうだったり、およそなんのために僧院などという場所に存在するのかわからぬようなタイプの男だったと言える。
『次のイケニエは一体誰にすれば良かったでしょうな?』
『ロディル、そんな滅多なことは言うものじゃないぞっ!あの怪物は以前は一年に一度、そのあとは半年に一度、そして近ごろでは……』
『そうですよ。以前は死んだばかりの人間の死体でも良かったという話なのに、今では生きた人間以外受けつけないというのも……』
『ううむ。地下の僧房にて、運の悪かった僧侶が襲われることは今までにもあったが……そろそろ我々の犠牲も限界だぞ』
リナルドはドアをノックしようとして、アジール修道院長とロディル副修道院長のそんな話を聞いてしまい、狼狽した。だが、何も聴こえていなかったという振りをするのが一番自然だろう。そこで、意を決してノックしたわけである。
「誰だ!?」――声は、ロディル副修道院長のものだった。
「僕です。サヴォイに修道院長がお呼びだと、そう聞きましたもので」
こののち、何やらヒソヒソと話しあう気配がしてから、ガチャリとドアの片側が開かれ、「失礼します」とリナルドは礼をして入室した。
「リナルド、君はきのう寝ずの祈りの当番に当たっていたはずだね」と、柔和な顔つきの修道院長は、机の上で両手を組んだまま言った。アジール僧院長の部屋にもまた両側に立派な書棚があり、中央には立派な執務机がしつらえられている。オレンジブラウンの机の上には羽根ペンとインク瓶の他、羊皮紙よりももっと現代的な紙に近い質感による巻物がいくつも重ねられていた。「サヴォイが、にも関わらず君が夜も明けきらぬうちに慌てて地下室から厨房まで上がってきたと言っていたものでね。そこでルイ料理長が親切にも、つまみ食いを少しばかり許したとか……」
「私も修道院長も、君を咎めているわけではないのだよ、リナルド」峻厳な顔つきの、若かった頃は美男子であったことが忍ばれる容貌の副修道院長が言った。「何かおかしなものでも見たり聞いたり、奇妙な経験を君がしたのではないかと、そんなことが気になってね」
「ご質問の意味が、よくわかりません」リナルドは今この場の空気を読む限り、すっとぼけたほうが得策なのだろうというがして、嘘をついた。「おそらく――たぶん、僕は寝ぼけていたんだと思うんです。アジール修道院長、並びにロディル副修道院長、正直に申し上げますが、僕は寝ずの祈りの当番に当たっていたにも関わらず、不覚にも途中でうっかり眠ってしまったんです。起きてみると蝋燭の火も消えており、すっかり狼狽した僕は速く地上へ上がろうとしました。その後、厨房へ続く階段から出たところ、ルイとサヴォイとかち会ってしまったと言いますか……」
「いや、それならいいのだよ、リナルド」と、人の好い微笑みを浮かべたまま、アジール修道院長が言った。「だが、寝ずの祈りの番は完全に夜が明け切るまでと決まっておるのだ。これは決して罰ということではなく、君には今晩再び地下の僧房で祈りの番をしてもらわねばならぬ。わかったかね?」
「………はい」
(『懺悔室へ行って、これから一晩反省の祈りをしなさい』とでも言われるのかと思いきや……これはゲーム展開的には死亡フラグが出ているにも等しいのではないか?)
ロディル副修道院長に「わかったら、下がりたまえ」と冷たく命令されると、リナルドは再び礼をして、修道院長室を辞去することにした。彼らふたりに『地下室に存在すると思しきモンスター』について何か聞いても無意味だろう。また、これはリナルドのただの直感ではるあるが、誰が生贄としてその恐ろしい化物に喰らわれるかは、何やらロシアンルーレット的な面が存在していそうだった。
(何かの拍子に僧侶の誰かが悪しきモンスターに喰らわれようとも……神の加護がなかった、つまりそれは本人の落ち度であるということにされてしまうのか?それとも神への祈りが足りなかったからそんな事態になったとでも?)
直接姿を見たわけでもないのに、その気配を感じただけでリナルドはゾッと怖気立つものさえ感じたのだ。果たして、そのモンスターと真夜中に地下で遭遇し、自分ひとりだけでバトルを展開して勝てるものなのかどうか……。
(なんにしても、気は進まないが、やるしかないってことだろうな。ゲームのシステム的なことを考えたとすれば、僧院中を回って集められるだけのアイテムはすべて集め、情報収集もしたなら……もしそれで負けるのだとしたら、ここグランヴェルト修道院を出て、外のフィールドでレベルを上げて戻ってくればいいということなのだろうか?とりあえず、大門から出ていこうとすると、僧侶の誰かしらから『どこへ行くのだね、リナルド?』などと言われ、外へ出ることは止められるといったようになっているからな……)
この日の夜、リナルドは晩課の礼拝ののち、再び昨晩と同じ地下僧房のほうへ下っていった。サヴォイの話では、僧院中に地下へ通じる扉がいくつもあるということだったが……リナルドが発見できたのはそのうちの三つほどだった。すなわち、薬草庫と聖堂隣りの聖具室、修道士たちの集う会議室の三つである。だが、それだけでも僧院の地下が迷路にも近い広さを有していることがわかろうというものだった。
(なんにしても、結局これはゲームなんだから、どんな恐ろしい目に遭おうとも本当に死ぬってことまではないわけだからな。ただ、僧院の地下ボスを倒さぬ限り、何度も祈り当番を繰り返される……なんていうループを経験するのだとしたら、その場合はどうすればいいのかって話だ)
だが、リナルドがなんとなく当初から予感していたように、これはただのゲームではなかった。そして彼はその夜、死ぬほどの経験をするとともに――嫌というほどそのことを思い知るということになる。
>>続く。




