第4章~モルモットの冒険【1】~神秘のジャム工場~(D4δ7ゾーン領域)
森の奥深くに隠されたその工場では、たくさんの種族の者たちが、ただひたすら黙々とジャムの瓶詰作業を行っていました。まず、モモや黄桃、ストロベリー、みかん、ブルーベリーなど、たくさんの果実が籠いっぱいどっさり、馬の荷車に乗せて運ばれてきます。そしてそれらを工場の勤め人たちはみかんならみかん、モモならモモ、イチゴならイチゴといったようにそれぞれ分け――今度はキッチンで煮詰めていくのです。どの果物も大抵は傷モノだったりして、売り物にならなかったものを工場では安く買い取っているのでした。
こうして煮詰められたジャムは、今度は煮沸後の瓶に詰められていき、最後にはそれがなんの果物のジャムか、ラベルが張られ、蓋にちょっとした布とリボンをかけて完成といったところです。ジャム工場の勤め人たちは、煮詰める係や煮詰めたジャムを冷まして運ぶ係や、ビンの煮沸係、ジャムの分量をはかる係、瓶詰用員、リボンを最後にかける係など……大抵は毎日同じことを繰り返しています。それぞれの監督官は大抵人間でしたが、ジャム作りのなんらかの工程に携わっているのは、トラだったり馬だったり牛だったりライオンだったり――半獣半人の生き物たちが数多くいました。
みんな、いつもは地上フィールドのどこかにいて、普通に暮らしています。でも、美味しいジャムを一口でもいいからどうしても食べたくて、一日の労働後、賃金がわりになんらかのジャム瓶をひとつだけ選べることになっていました。大抵の頭が動物の人間たちは、二本足で立っていて、それが猫でも豹でもトラでもライオンでも……何故か大人しい人がほとんどでした。そして、人間の監督官が鞭を床に向けピシッ!と振るい、「さぼるんじゃない!そんな奴にはジャム瓶をひとつだって与えないぞ」と叫ぶと、身を縮めて震え上がり、ただそのまま黙って仕事を続けようとするのでした。
おかしな話、ある意味この<神秘のジャム工場>では時が止まっていました。毎日、この世界に陽が昇ると、森の奥のジャム工場に向かい、あちらこちらから半獣半人の鳥やうさぎやオオカミやキツネやタヌキや羊や山羊、熊などが自分の住み家を出てやって来ます。みんな、すっかり美味しいジャムの味に夢中になっているため、オオカミやクマなどの一般に獰猛と考えられている動物ですら、突然うさぎに嚙みついたり、襲いかかって八つ裂きにするといったことはありません。むしろ、みんなどこか気弱で繊細で、礼儀正しいくらいでした。ですから、どんな種類の美しい鳥たちも、クマさんを見つけるとその肩にとまりたがりましたし、オオカミは山羊や羊たちと仲良くおしゃべりしながら出勤する……そんな光景があちらこちらで毎朝見受けられたものです。
みんな、こんな平和な毎日が続いていくと、信じて疑いもしませんでした。また、一日陽暮れまで働いた代価がたった一瓶のジャムなどとは!と考えるでもなく、毎朝会って一番に話すことといえば、「今日は何味のジャムを持って帰ろうか?」と口に唾をため舌なめずりするという、何かそんな感じだったのです。
そして、そんな年も月もないような、同じ繰り返しの日々の中でも――時折「奇妙なこと」というのは起きるものです。彼らの間にも新入社員というのか、<新顔>の動物というのが時折現れることがありました。たとえば、それがネズミだったり、犬や猫だったとすれば……かなり珍しい種か変わった斑点でもない限り、それほど驚きはしなかったことでしょう。けれど、アリクイが新顔として工場に加わった時にはみんな驚きましたし、動物的本能というやつで、暫く慣れるまではアリクイが長い舌でジャムをつまみ食いでもするんじゃないかと心配して――働きながらそちらをちらちら盗み見ずにはいられなかったものです。他に、スカンクがやって来た時もそうでしたし、内気な彼がじろじろ見られることに耐え切れず、大きなおならをしてしまった時には……動物たちは仕事をやめ、すぐ工場の外へ一目散に逃げていきましたし、それは人間の監督官にしても同様でした(ちなみにその後、工場内はこの強烈な匂いが消えるまで丸一日かかり、さらには三日間工場は作業停止を余儀なくされました)。
ところで、その日も突然<神秘のジャム工場>に新顔がやって来ました。こういう時、人間の監督官のほうから新入社員の紹介といったようなことは一切しません。それはパンダがやって来た時でさえそうでしたし、カワウソやビーバー、シマウマ、ミーアキャットなどがやって来た時もそうでした。みんな、彼らが自分たちの仲間の誰かに似ている……と思いつつ、何かか微妙に違うことを不審に感じつつも、働いている間は私語厳禁なので、休み時間にそんな話をするということに当然なります。
そして、その日やって来たのは一匹のまるまる太ったモルモットでした。その黄土色と白の混ざった毛並みのモルモットは、ここまでやって来るまでの間に三つ葉のクローバーをむしゃむしゃ食べながらやって来たので、働く直前までまだ口をむぐもぐ動かしていました。同じげっ歯類としてのよしみで、近くにいたうさぎやネズミなどが注意しようとしましたが、人間の監督官が彼女たちを押しのけると、床に鞭をピシッ!と打ちつけ、厳しくこう言いました。
「おい、そこのモルモット!実験動物になりたくなければ、早く手を洗って所定の位置につくんだ。おまえにはアライグマの隣でビンの煮沸消毒をしてもらおう。わかったら、その手に持った三つ葉のクローバーをゴミ箱に捨てるんだ!!」
「これは、ただの三つ葉のクローバーじゃない」
モルモットがそう監督官に口答えするのを見て、まわりの半獣半人たちは「おおっ!!」とどよめきました。「なにィっ!口答えをする気か、貴様!!」と、灰色の作業服を着た平均的な身長に体重、それにどこか平均的で平凡な顔立ちの若い男が叫びます。
「四つ葉のクローバーだよ。ここへやって来る途中で見つけたんだ。良かったら、あんたにあげてもいいよ」
若い監督官の男は「ほい」と四つ葉のクローバーを渡されて、一瞬ためらったようでした。けれど、次の瞬間には「なんだこんなもの!!」と言い捨て、長靴の底でぐりぐり幸運のクローバーをにじり潰し、モルモットについて来るよう命じました。
『勤務初日からカワイソウに……』
『何も幸運のクローバーを踏みつけたりしなくたっていいのにさ。ねえ?』
『ビンを煮沸するのも結構大変なんだぜ。それに、あそこはアライグマ一族が取り仕切ってるに等しいから、違う種族の奴はこき使われて大変なんだ』
『けどおれ、あのモルモットの奴が妙に気に入ったな。ネズミでもうさぎでもねえ、なんとも愛嬌のある、微妙におかしなとぼけた顔をしてやがるじゃねえか』
タヌキやキツネやうさぎやクマがそんなふうにヒソヒソ話していると、いかにも平均的で平凡な顔をした中肉中背のおじさんが、その横っちょで鞭を振るって怒鳴ります。
「おまえたち!勤務中、私語は厳禁だぞ。さっさと所定の位置について働けいっ!!じゃないと、ジャム瓶から今日の分の目方を減らしてしまうぞっ!!」
この日、夕方になって仕事が終わると、ジャムひと瓶を賃金がわりにもらうのに、動物たちはベルトコンベアーのところへ順に並びました。すなわち、いちごジャムの欲しいものはいちごジャムの瓶が流れてくるベルトコンベアーの前に、ブルーベリージャムが欲しいものはブルーベリー専用のベルトコンベアーの前に、モモジャムが欲しいものはモモジャムの流れてくるベルトコンベアーの前に、リンゴジャムが欲しいものはリンゴジャムの流れてくるベルトコンベアーの前に……といった具合にです。
「やあ、モルモットくん、こんにちは。君は今日が初日だけど、どの種類のジャムにするんだい?」
みんな、朝見かけたモルモットがふらふら足をもつれさせつつ、ビンの煮沸場からやって来るのを見て……彼のことをとても気の毒がりました。そこはアライグマのように清潔好きというのでなければとても務まらない重労働を課せられるのでした。ですから、人間の監督官の機嫌を初日から損なってしまったモルモットのことが気の毒でならなかったのです。
「う゛~ん。そうだな……実はぼく、ジャムって食べたことないんだ。でも、野原でいつものように牧草をもぐもぐやってたら、ニンゲンがやって来て『君も我が工場で働いてみないか?』って誘われたんだよ」
「『我が工場』?」と、うさぎがルビーのように赤い瞳を丸くして言いました。「そりゃきっとシャッチョーさんだね。この工場のケイエイシャで、一番エライ人さ。エイギョウの人はボクらを誘う時、『我が工場』なんていう大それた言い方はしないはずだから」
「ふうん。そうなんだ……」
ずんぐり太って、どこか図々しそうに見える顔立ちのモルモットは、迷いに迷った挙句、最終的にみかんジャム……マーマレードのにしていました。ビンの中にはみかんの皮の部分が残っていて、なんとも美味しそうに見えたのです。それに、ラベルには『だれもが夢中!みかんのジューシーさと微かなほろ苦さのバランスが抜群のマーマレード。<神秘のジャム工場産、品質保証印>』などとあります。ちなみに、みかんのイラストのほうは、みかん島に住んで年中みかんを収穫しているさるたちが描いたものだそうです。
ところで、モルモットは自分で造った森の小舎のほうへ戻ると、このマーマレードジャムをちょっとだけすくってなめ、残りについては秘密の隠し場所――えにしだの木の中――へ隠しておきました。
モルモット、というのは一般的にいって、もしかしたらあまり賢くない大人しい生き物……といったように見されているかもしれません。けれど、彼は普通のモルモットとちょっと違いました。まず第一に、帰り道で他の半獣半人の動物たちが――夢見るように自分たちが毎日食すジャムの素晴らしさについて語るのを聞き、真っ先に不審に感じていました。確かに、ほんの一口ぺろりとなめただでも、マーマレードは大変美味しいものではありました。けれど、モルモットはまだ草のほうが美味しいと感じていましたし、自分が食用としている草であれば、野原中どこにでも生えていて、しかもそれは自然の産物なのであくまでただなのです!
(他のみんなはたぶん……自分たちじゃ気づいちゃいないが、すっかりジャム中毒というやつになっているのじゃあないか?あのジャムの瓶の中には、りんごのにもブルーベリーのにもモモにも――おそらく何かが入っているに違いない。それが『何か』ということまではぼくにもよくわからないけれど……)
「君子、危うきに近寄らず」という言葉があるように、「モルモット、危うきに近寄らず」という言葉を信条として生きてきた彼でしたが、やはり彼もまた<神秘のジャム工場>の神秘に魅入られたかのように、やはりその翌日もジャム工場へ行って働くことにしました。アライグマ一族に「なんかアイツは気に入らない」と嫌われたことで、今度はジャムの煮詰め係となり、こちらも大変な仕事でしたが、一緒に働いているうさぎやネズミなどがみな親切でしたので、感じる苦労も少なくてすんだかもしれません。
けれど、モルモットは同じげっ歯類の仲間たちに感謝しつつも、「このジャムの中には本当は何が入っているのか」の秘密を探るため、ある時人間の監督官にこう頼むことにしていました。「ジャムの煮詰め方やビンの煮沸の仕方については大体わかった。他に、ビン詰め作業など、一通りすべて経験したいのですが、いいでしょうか?」と……。
平均的で平凡な人間の監督官たちは驚きました。というのも、そんなことを自分たちに頼んできた動物は、ただのひとりもいたことはなかったからです。彼らは平均的で平凡な頭を突き合わせると、相談してのち、こんなふうにモルモットに答えました。
「いいだろう。ビン詰め作業でもチェックの布にリボンをかける仕事でもなんでも――一通り経験してみるといい。だが、何かちょっとでもおかしな行動をしてみろ。おまえのことは実験動物として売り飛ばすか、ジャムの支給を減らして、毎日お腹がぐうぐう鳴るようにしてやるからな」
「それで、ようござんす」
モルモットは平均的で退屈でつまらないニンゲンたちにぺこりと頭を下げると、次の日から瓶詰作業員として二か月ほど働き、その翌月からはラベル張りの作業を一か月、次の一か月はビンの蓋に布をかけてリボンを結ぶ作業をして過ごしました……その過程において、特に不審な点は何もありません。それでも、たったひとつだけ気になることがあることにはあったのです。ジャムの瓶詰が完了すると、当然その次にはギュッと蓋がかけられることになるわけですが、その過程というのは動物、あるいは半獣半人たちには隠されていました。ベルトコンベアーで見えない場所へ運ばれていくと、秘密の部屋で蓋が締められて、それから今度はラベル張りをする場所へジャムの瓶は移動してゆくのです。
その<隠された部屋>で一体何が行われているのか……モルモットは気になるあまり、夜もぐっすり眠れるほどでしたが(一日中働いて疲れていますから)、それでもやはりまわりの仲良くなった動物たちにこう聞いてみずにはいられなかったのです。
「ビンにジャムを詰めたあと、蓋のほうはどうやって締めてるんだろう?ぼくがジャム作りの製造工程でよくわからないのは、あとはそれだけなんだけど……」
お昼休みにお弁当の牧草を食べながら、モルモットは他のみんなが休憩室でお弁当を広げる横で、ぼんやりそんなふうに聞いてみました。途端、お肉を挟んだサンドイッチを食べていたライオンも、ラディッシュを食べていた馬も、たんぽぽの葉っぱと花を食べていたうさぎも、チーズを齧っていたネズミも――ちょっとギョッとしたような顔をしました。
「君、モルモットくん、そんなふうに色々知りたがるのはあまり感心しないな」
ごほんごほんと、トラがお弁当箱の中のハムやソーセージをぺろりと平らげながら言いました。ちなみにトラの奥さんはハムやソーセージ作りの名人なのです。
「前にね、こんなことがあったよ」と、自家製カマンベールチーズをパンに挟んでネズミが言います。「キミみたいに好奇心旺盛なキツネがさ、シャッチョーさんやカントクカンたちに媚びを売って、その蓋をキカイが締めるところを見たいと言ったんだな。ところが、それ以来そのキツネは二度と戻ってきやしなかった……オレたちにもよくわからんが、カーツカネサッキンだっけな?とにかくあのジャムの中のビンとジャムのやつぁ、そんなふうにされて安全・長持ち保証がされるってことらしい。ラベルにも工場のはんこが押してあるだろ?品質保証のしるしの……」
「ネズミくん、たぶんそれ、加圧加熱殺菌じゃないかな」と、うさぎが言いました。「ボクもなんのことやら、正確なところをわかってるわけじゃないけどさ」
「そうだよ」と、お弁当をすぐ食べ終わってしまい、物足りなそうな顔をしてライオンが言います。「とにかく、毎日あの中の美味しいジャム瓶をひとつもらえるなら……それで十分なのじゃないかな。オイラもよくわかってるわけじゃないけど、そのカーツカアサッキンとやらは高温のキカイが自動的にやってることなので危険なんだってさ。言わばオイラたち従業員を安全に守るためでもあるっていう、そういうことらしいし」
「うん、そうだね……」
牧草だけの詰まったバスケットしかないモルモットのことを、他の動物たちは何故か気の毒がりました。でもこの牧草は近くの農場に住む人間が牛や馬にやるために特別栽培しているのをこっそり持ってくるのでしたから、モルモットにとっては高級品でした。それに、この牧草とにんじんやブロッコリー、セロリやパセリ、大根の葉、小松菜などを交換したがる、他のげっし類の仲間も数多くいるのですから。
とにかくモルモットとしては、(ジャム瓶の中に何か入れられるとしたらその瞬間だけだ)との思いから……ある時、自分を工場にスカウトしたシャッチョーさんのことを見かけると、ただストレートにこう聞いてみることにしたわけです。
「あのジャムには、ジャム以外に一体何が入っているのですか?」と……。工場の敷地内には、動物たちや半獣半人の従業員たちが運動するために、広い庭があります。みんな、食堂でお弁当を食べたりした休憩時間の残りは、木製のベンチに腰掛けたり大きな岩に座っておしゃべりするか、あるいは鬼ごっこをしたり、それか野球やサッカーなど、何かスポーツをして過ごすのでした。
シャッチョーも人間の平凡カントクカンたちも、囚人でも見張るかのように遠くからそんな様子を眺めてはいますが、動物従業員たちの仲間になろうとする者はひとりもおりません。そんな中、シャッチョーさんが工場へと続く渡り廊下のところで、ライオンとトラがレスリングをし、他のみんなが「トラくん、がんばれー!!」、「ライオンくん、そこだぁ~!!」などと興奮して応援するのを、どこか愉快そうな目で見つめているのに気づき――モルモットはそっとそちらへ忍び寄っていくことにしたのです。そして社交辞令の挨拶ののち、シャッチョーさんに思い切ってズバリそう聞いてみたわけです。
「ハハハッ!!ジャム以外に一体何が入っているものかね。バカも休み休み言いたまえ」
シャッチョーさんはグラスコードの付いたまんまる眼鏡をくいっと上げると、そんなふうに笑っていました。シャッチョーさんは丸い顔をした、ぷっくり丸く太った感じの、五十歳くらいの人でした。いつもツイードの背広を着て、中のチェックのベストのポケットから懐中時計を取り出しては時間ばかり気にしている……何かそんな感じの人です。あと、立派な口ひげをひねるというクセがこのシャッチョーさんにはありました。
「では、ビンの蓋を締めるところを見たいのですが……よろしかったでしょうか?」
「フム。そんなところを見て一体どうするというのだね、モルモット君。あの部屋ではただ、言うなれば機械が殺菌消毒しているといったところで、見学したところでなんの楽しいところもあるまいよ」
「じゃあ、もし仮にぼくや……他の従業員の誰が見たところで何も問題ないのではありませんか?」
「前にも君みたいな知りたがり屋がいたがね、結局解雇されて終わりさ。モルモットくん、君もジャム瓶の恩恵に与り続けたければ、自分の部署で与えられた仕事に精をだすことだ。君みたいに、この工場のジャムの美味しさの秘密を知りたがったキツネやナマケモノなんかがいたがね……みんな、ろくなことにはならなかった。もう従業員でもなんでもないのに、ジャム瓶だけ欲しいと言って工場の外でだだをこねてうるさいので――縛ってトロールの住み家へ置き去りにしてきたことさえある。その後、彼らがどうなったのかはわしも知らんな」
「ナマケモノが働きに来たことがあるのですか!?」
トロールの住み家云々よりも、モルモットはそちらのほうが驚きでした。ゴブリンやトロールといった存在は、森などに住む動物や半獣半人たちに対し、普段それほどひどいことはしません。彼らが牙を剥くのは大抵、経験値を稼ぎにきた人間プレイヤーである場合がほとんどでしたから。
「ああ。毎日、誰かがナマケモノのことを背負って出勤してきたもんだったわい。しかも、一番簡単な仕事をやらせても、他の動物の四分の一以下のスピードでしか動かん。とはいえ、痺れを切らした監督官が鞭を振るったりすると、いかにも弱い者いぢめをしているようで後味が悪い。しかも、ナマケモノの奴はそのたびに『うう、うったえてやる……』と、ガクリと死んだ振りまでしおってな。まったく、とんだ食わせ者だったわい」
「ですが、そのナマケモノにもキツネにも、他の動物たちや半獣半人たちにない鋭い観察眼があったのではありませんか?シャッチョー、ぼくはあのジャム瓶の中にはジャム以外に間違いなく何か入っていると疑っています。じゃなかったら、誰もあんなふうにジャム中毒になって毎日工場へなど働きに来るものでしょうか?」
「フン!モルモットよ、貴様――いや、やめておこう。貴様をロープでぐるぐる巻きにしてトロールの住み家へ置いてきたところで、大して面白くもなんともないわい。それに、これは貴様なんぞを親切心から工場へスカウトしたわしの責任でもあるからな。よかろう。どうしてもというのであれば、この<神秘のジャム工場>の秘密、おまえに教えてやろうではないか。そのかわり、貴様は金輪際この工場の敷地へ近づくことはならんぞ。これはあくまでそれでいいならという話だ」
「はい、わかりました」
モルモットは迷うことなくそう答え、るんるん気分で午後の長い作業時間を過ごしました。モルモットが上機嫌に口笛さえ吹きながら、ベルトコンベアーから運ばれてくるジャム瓶を箱詰めする姿を見て……まわりの他の動物従業員たちは驚きました。毎日午後の三時にはおやつとしておまんじゅうがひとつ配られるのですが、その日は配送業者の不手際で、おやつ抜きで働かなくはならなかったので、みんながっかりしていたのです。
「ぼくはきょう、シャッチョーさんとちょっとお話があるんだ」
季節限定のショコラジャムを一瓶もらうと、モルモットはみんなとは一緒に帰らず、そのまま工場の渡り廊下を渡った先にある、シャッチョーやカントクカンやエイギョウやジムの人などのいる、別棟の建物のほうへ向かいました。ジム室には灰色の制服を着た三十代くらいの女性がいて、名前をシャーロットさんというブロンドにブルーの瞳をした人でした。彼女は半獣半人の従業員たちの出勤管理、あるいは確かにジャムをひと瓶もらったという肉球による拇印をもらうのに工場によくやって来ますから、みんな彼女のことをよく知っています。動物たちの言い種によれば、『カントクカンといったニンゲンたちの中で唯一マトモなのはあの人だけだ』という、そうしたことになるようです。
「社長なら、二階のご自分専用の部屋にいるわ。モルモットさん、今日はショコラジャムのにしたのね。ベリーとココアとチョコレートの混ざり具合が最高な上、真ん中の白いところはバニラ味なのよ。その部分を途中でちょっと混ぜると味が変わってまた最高よね」
「ああ、それで真ん中のところが白かったんですか。気づきませんでした。教えてくださってありがとうございます」
「ふふふ。今日のおやつはおまんじゅうじゃなくて、ほんとはプリンだったのよ。でも、どこかのお馬鹿さんのプレイヤーが配送業者の馬車を襲って盗んでいったんですって。ごめんなさいね、おやつ抜きですっかりお腹がすいたでしょう?」
事務員のシャーロットさんに優しくそんな話をされると、モルモットは何故だかもじもじしました。そうなのです!これからは抹茶カステラも、バナナまんじゅうも、チョコ最中まんじゅうも、餅入りどらやきも、シュークリームも……みんなと午後の三時に食べることはなくなってしまうのです。モルモットは口の中が生つばでいっぱいになるのと同時、突然にして自分が何か間違ったことをしようとしている気がして――胸の奥がどきどきしてきました。こんなことは、納屋に二番刈りの牧草をこっそり取りに入って、熊手でジョン・スミスのおじさんに追いかけられて以来のことかもしれません。
「さ、ここが社長さんのお部屋ですよ」
ドアのほうは開いていましたが、シャーロットはあえてコンコン、とドアの横のほうを叩き、入室許可を取っていました。「従業員のモルモットさんがお見えですよ」と。
「ああ、ようやく来たかね」
シャッチョーはそれまで、センムと呼ばれる人と帳簿の数字のことについて何か話していました。ですが、モルモットがやってくるなりどこか悪賢いような顔をしたセンムは、大切な秘密でもしまいこむように帳簿を閉じ、すぐに社長室から出ていってしまいました。実をいうとこのセンムという人は数字に実にこまい人だったので、これを機会に午後三時のおやつは廃止すべきでないかとシャッチョーに進言していたのです。この日の午後は、定刻通りプリンが届かなかったことで、その責任や賠償問題の所在についてなど、センムは仕事が増えてすっかりイライラしていたのでした。
ですから、意地悪そうなセンムがモルモットのほうをどこか軽蔑したような目で見て部屋から出ていっても、それはそれで無理はなかったのかもしれません。
「まあ、そこへ座りたまえ」
シャッチョーはマホガニー材の大きくて立派な机の前から立ち上がると、そことは衝立によって仕切られている応接室のほうへモルモットを案内しました。黒い革のソファが向かい合わせになっていて、間にはガラスの灰皿の置かれたテーブルが置いてあります。
「それで、一体なんの話だったかな?」
シャッチョーは、今日の仕事終わりにモルモットと話す約束は覚えていましたが、例のプリン騒ぎによって今は頭のほうがこんがらがっていました。プリン工場では「金のほうは必ず払ってもらうぞ」と怒り、配送業者のほうでは「こういう時のために保険に入っている。保険金が出るまで待ってくれ」と言う始末です。そしてその「保険の金とやらが出るのは?」と聞くと、「そんなもの、保険会社に聞いてくれ」と言うのですから、シャッチョーやセンムでなくても神経がイライラしようというものです。
(お願いですから、午後三時のおやつを廃止にしないでください)と、モルモットはそう言葉が喉まで出かかっていましたが、その話は一度引っこめることにしました。何故といって、そんなことを言い出したとすればおそらく、本題に入る前に社長室から追いだされてしまいそうですから。
「ええと、そのう……ジャム瓶の中には特別な何かが入ってるんじゃないかという話なんですけど……」
(自分はまずい時にシャッチョー室に来たのではないか)と恐れつつも、モルモットは牧草の匂い香るバスケットにショコラジャムをしまいこみ、黒革のソファにちょこんと座っておずおずそう聞きました。
「ああ、その話か。本当はな、『そんなバカなことなどあるものか。ワッハッハッ!!』とお茶を濁して終わらせようかと思うとったんだがな……ふとそのあと、ある男のことを思いだしてな。モルモットくん、君がさっき自分のバスケットにしまったショコラジャムな、それもあやつが考案したものだったのだよ。今の工場の状態だけ見たとすれば信じられんかもしれんが、その昔は工場ではニンゲンだけが働いておるという時代があったのだ。あやつ……フン。名前をロレンゾといったかな。ただの平社員のくせして、色々なジャムを考案しては新しく作ろうとばかりするもので――ある時開発経費がかさむばかりで元が取れんということで、センムに頼んでクビを言い渡したのだよ。あやつは目の下にクマのある、なんとも人好きのしない顔つきをした奴ではあったが、確かに新しいジャムレシピを開発することにかけては才能のある男だった。そいでな、ロレンゾの奴はいつでも突拍子もないレシピを考えつく奴で、ある時きのこジャムなるものを作ろうとしたことがあったのだよ。その時もわしを含めたみんなが言ったよ……『うげえ~っ!!』とな。が、まあ、バナナ島に住むガンコな象どもを説得し、バナナをもらってジャムにすることに成功した男でもあったし(この説得に向かった営業のニンゲンどもは怒った象に踏み潰され、毎回紙のようにぺらぺらになって帰ってきたもんだったわい)、他にもピーナッツクリームやらレモンジャムやらなんやら、次から次へとヒットジャムを開発した男でもあったからな。とりあえず、好きなように作ってみいと、他のシャインズが全員反対する中、わしが許可を与えたのだよ」柿ジャム(レモンを隠し味で入れるのがポイント)栗のからあげ
「それで、どうなったんですか?」
きのこ入りのジャムについては、モルモットのほうでも味の想像がうまく出来ませんでした。美味しいとかまずいとかいう以前の問題として……大して味などしないのではないかと、そんな気がしたのです。
「それが、だな……」シャッチョーさんはここで、何故か言いにくそうにしていました。きのこをジャムにすると、何かまずいことでもあるのでしょうか?「その時は……そのう……ただ一度きりの偶然でなかったかとわしらも思うとった。ところがだな、そのきのこジャムを食べると、あまりの美味しさからわしらはみんな試食会でぶっ倒れてしまったのだよ」
「ええっ!?もしかして、毒きのこが入っていたのですか?」
(それならクビになるはずだ)と、モルモットは思いました。森のきのこの中には猛毒を持つものもあるということは、動物の間で知らぬ者はないくらいでしたから。
「いや、それが違うのだよ。ロレンゾの話では、きのことチーズのテリーヌ風ジャムを目指したという話でな……わしらは予想外のその美味しさにすっかり夢中になり、暫くは中毒患者のようになって毎日そればかりパンに塗ったくっておったくらいだったわい。だがそのうち、毎日そのきのことチーズのジャムを食べずにおれぬようになり、ニンゲンのシャインズの間では取っ組み合いの喧嘩までして相手の分のジャムを奪うようになったのだ……わしもセンムもとうとう、あのテリーヌ風ジャムとやらが危険な代物らしいと悟ったわけだわい。ロレンゾもまさか、たかがジャムひと瓶のために殺人事件が起きるとまでは思っとらんかったのだろう。クビというよりはな、ロレンゾはそのことに胸を痛めるあまり、自らこの工場を去っていったのだよ。ただ、あやつはその後、ジャムに使ったきのこを乾燥させて粉状にすると、ほんの少しくらいであれば……滋養強壮にもなるし、落ち込んだ人間がやる気になったり、特別これといった意味もなくハッピーになれるという意味で、本当はいい成分なのだと言い残していったのだ。そこで我々はその後、害にならない程度の分量、その白い粉をジャムに少しだけ混ぜることにしたのだ。あの隠された部屋で行れておるのは、つまりはそういうことだて」
「ええと、それはもしやようするに幻覚作用のあるキノコの成分をジャムに混ぜて販売し、他社のジャムをではなく『神秘のジャム工場』のジャムを選ばせるための販売戦略ということでよろしかったでしょうか?」
(他に、動物従業員たちにやる気を出させるというよりは、たったのジャムひと瓶でこき使い続けるための材料でもあるということだ、そのキノコは……)とも、賢いモルモットは考えました。
「しっ!!人聞きの悪いことを言うでないぞ。あれは麻薬なんぞではなく、あくまで生薬としてのものなのだからして」と、右手の人差し指を口許に立て、ごほごほ咳払いしてシャッチョーさんは言いました。それから、その人差し指を横に振ってチッチッチッと言うのではなく、何故かチョッチョッチョッと舌打ちして続けました。「まあ、実際のとこ、あのキノコの成分を調べられたところでわしらに困ることは何もないのだ。モルモットくん、君も森へ行ってわしらが使うとるキノコをちいとばかし食べてみるといい。幽霊みたいな感じのする白いキノコでな、探せばそこら中に生えとるし、動物たちの中にも食べてちょっといい気分になっとる者がおるようだぞ。が、あんまり食べすぎると今度は嘔吐しそうになるし、摂取するには適量というものがあるのだよ。また、アヘン系というわけでもないから、中毒作用といったものもない。つまり、明日から突然摂取しなくなっても、禁断症状が出たりなんだりするような危険な代物ではないのだ」
「ですがシャッチョーさん。ぼくの仲間の動物従業員たちはみんな、すっかりあのジャムに脳をやられているようなものですよ。それにあなたは先ほど、そのキノコを使ったテリーヌ風ジャムによってニンゲンですらも頭がおかしくなり、最後には殺しあいまで演じることになったとおっしゃったばかりではありませんか!!」
「ごほん、ごほん、ごほんっ!!」と、シャッチョーは激しく咳き込みつつ言いました。「だから、先ほども言うたであろうがっ。テリーヌ風ジャムについてはな、キノコを丸ごと入れたりしとったから、成分のほうがちと濃すぎたのだて。その点さえよくよく注意すれば、気分はポジティヴ前向きになれる、あれは実に良いキノコなのだよ。つまり、モルモットくん。君もそうした意味で心配は御無用なのさ。我が社のジャムを明日から食べないようになったとて、暫くの間ちょっと何か物足りないなというくらいのもので、一週間もせずに<神秘のジャム工場>のジャムなしでもその前までの生活へ戻っていけるだろうからな」
(このことを警察に……あるいは、食品衛生管理局にでも訴えでるべきだろうか)と、モルモットは一瞬迷いました。けれど、シャッチョーのほうではモルモットの考えを先に読んだとでもいうように、こう聞いてきたのです。
「ふふん。我が社を訴えても無駄だと、さっきもわしは言うたろう。あれはなんの毒性もないただのキノコの粉末なのだ。その証拠に厳しい食品管理局が何度抜きうち検査にやって来ようとも、我が社は何も問題なしとされておるし、むしろ優良食品会社として賞状すらもろうたことがあるくらいだからな」
「ですが、あなたは報酬はジャム瓶ひとつだけなどというあこぎな方法で、他の半人半獣従業員たちを搾取しているではありませんか。これは、支給するジャムの瓶をこれから五つや八つに増やせばいいといったそうした話ではなく……」
「わしと奴らの間では、需要と供給が一致しておるのだよ」と、シャッチョーさんはセンムと瓜二つの、どこか悪賢い顔をしてニヤリと笑いました。「ま、モルモットくん、君は明日からもうこの工場へ来なくてよろしい。また、動物従業員たちの意識改革やらなんやら、やりたければなんでも好きなようにやりたまえ。『たったのジャムひと瓶で君たちは搾取されているんだ』とか、ストライキを起こすのもいい。けどな、結局のところあまりうまくはいかんだろうね。まあ、なんでも君の思うとおり、気がすむまで好きなとおりにやってみるといい」
「……………………」
話はこれで終わりでしたが、シャッチョーさんが何故ここまでのことを自分に教えてくれたのか、モルモットは少し不思議でした。ですが、簡単にいうと半獣半人の中で工場のシステムに疑問を感じるような者を、シャッチョーやセンムといった人々は今までも小さな芽が膨らんだ程度のところでちょきんちょきん剪定してきたのでしょう。そしてそのような存在にはなるべく正直に工場の実態について話すのが一番だと、今ではすでにわかっていたのかもしれません。実際、警察や食品管理局のような場所に調べられても痛くも痒くもないというのは本当のことだったでしょうから。
「最後にひとつだけ、いいですか?」
愚かで邪魔な獣を追い払おうと、シッシッと手を振るシャッチョーさんに、最後にモルモットはもうひとつ質問することにしました。
「なんだね?不当解雇についてナマケモノのように訴えようとでもいうのかね?奴さんは結局、裁判費用を支払えるような金もなく、弁護士も雇えなかったから口だけで終わったようなものだったがね」
「いえ、そのロレンゾさんという方は……今、一体どこでどうされているのだろうと思いまして」
モルモットが社長室から出ていき次第、タバコを吸いたくてたまらなかったシャッチョーは、胸のポケットから出したタバコをテーブルでとんとんしながら答えました。
「さてな。だが、ここから出ていく時には、これから諸国を放浪して色々な料理の勉強をし、様々な素材を集めてレストランを開きたいとか言うておったかな。今もその旅の途中にあるか、あるいはすでにどこかでレストランを開いておるかのいずれかではないかね」
「シャッチョーさん、今までありがとうございました。正直、今もぼくにはたったのジャムひと瓶であんなに勤勉に働こうという、他の動物従業員たちの気持ちがよくわかりません。また、ストライキを起こしてもっとお金をもらったほうがいいと説得したところで、みんな善良すぎてぼくの言うことに決して「うん」とは言わないでしょう。「いやあ、そんなのはシャッチョーさんに悪いよ」とか、「センムはやな人だけど、シャーロットさんはいい人だからなあ」とか、そんなふうにしか……ぼくは、もっと有能なリーダーとしてみんなをまとめることの出来ない自分を残念に思います。でも、せめても午後の三時のおやつくらいは――これからも支給し続けて欲しいんです。どうかその点だけ、せめてもお願いします」
モルモットは最後に、そんなふうに言ってぺこりと頭を下げました。そしてシャッチョー室を出て、ジム室で仕事をしているシャーロットさんのことをちらと見てのち建物の外へ出ました。「ええっ!?本当にプリンが強奪されたのかどうか、保険の調査員が調べにやって来るんですか。なんだか随分大ごとになってしまいましたね」、「やれやれ。たかがプリン、されどプリンだ。プリン会社のほうには保険金が出るまでは金は1デリスたりとも支払わんぞと、向こうに何か言われたらそう答えておいてくれ」……センムとシャーロットさんのそんな会話を小耳に挟みもしましたが、モルモットは悲しみで胸がいっぱいだったので、もう言葉もありませんでした。
何故そんなふうに急に悲しい気持ちになったのか、モルモット自身にもうまく説明は出来ません。ただ、もう二度とこの工場へも、敷地内の近くへもやって来ることはないのだと――そう思うと、何か悲しかったのでした。昼間、シャッチョーさんに秘密を教えてもらえると思った時には、『その代わりやめてもらうよ』と言われても、少しも悲しくなどありませんでした。むしろそれで知りたいことがわかるのであれば、こんな非人情な工場へなぞ二度と自分のほうで来たくなんぞない……そう思っていたくらいだったのです。けれど、半年にも満たない短い間、週に一度の休み以外<神秘のジャム工場>へ通ううち、よい仲間たちにも恵まれ、彼にしてもすっかり愛着というものが生まれていたのでしょう。
(何よりそれは、ここの工場で同じ条件で同じように働くつらさ、苦しみを共有することから来る連帯による絆といったものだったんだ……だから、ここへもう来なくなったら、せっかくみんなと築いた連帯という絆は消えてしまうんだということ、それがぼくには一等悲しいことのように思われるのだろうな)
――こうして、モルモットくんは自分の住み家のある森を離れ、旅へでることにしました。実をいうと彼は、ロレンゾという人のことがとても気になっていたのです。きのことチーズのテリーヌ風ジャムというのがどんなものだったかはわかりません。けれど、その日の夜、ショコラジャムを一口なめると、そのあまりに危険な美味しさに、モルモットはいてもたってもいられなくなったのです。
「こんなものを作れるニンゲンが、今世界中を旅して料理の研究をし、自分のレストランを開こうというんだ。一体そのメニューブックにはどんな料理の名前が並び、一体どんな味がするものなのだろう……」
そうなのです。この翌日、モルモットは工場で親しくなった半獣半人の仲間たち、それに同じ森に住む友達や知り合いなどに順番に別れの挨拶をしたり、そのような旨を伝える手紙をだすと――最後に、えにしだの陰に隠しておいたジャム瓶をバスケットに入れ、ジョン・スミスさんの屋敷の前に置いておきました。今まで数え切れないほどたくさん、栄養たっぷりの牧草やにんじん、大根の葉っぱやブロッコリーなどをもらってきたことに対する、せめてものお礼としての品でした。
モルモットがロレンゾなどという、本当の意味でよく知りもしないニンゲンを探して旅にでるというので、工場の動物仲間たちも、森の友達などもみんなとても心配しました。それでも、モルモットの決意が固いのを見ると、みんな「危険なことがあったらすぐに帰ってくるんだよ。待ってるからね」と、瞳に涙を浮かべたり、手をぎゅっと握って優しく言ってくれたものです。
そういう時、モルモットのほうでも(自分は何かとても愚かなことをしようとしているのではないか)と思うのでしたが、それでもまたショコラジャムを一口なめると、再び(やっぱり旅にでよう)という気持ちに大きく傾きました。彼は工場のほうをやめた半月後、自分の住まいのほうを甥夫婦に貸すことにして、まずは隣の国のナジェールという場所を目指すことにしました。
ところで、モルモットがロレンゾを探して旅にでるという話はシャッチョーさんの耳にも届き、シャッチョーはジム員のシャーロットさんをモルモットの木舎へ向かわせると、こんなふうに託けたのです。すなわち、『ロレンゾの行方についてはわしのほうでもずっと気になっておった。ゆえに、もしモルモットくんが発見した折には、あやつが一体今どこでどうしておるのか、もしレストランを開いておったとすれば、その所在についても教えて欲しい』ということを……そして、旅の支度金兼退職金として、五百デリスというお金まで与えてくれていたのです!!
これにはモルモットもびっくりしましたが、ありがたく受け取っておくことにしました。そして、もしロレンゾさんが見つかったらとしたら必ず知らせること、レストランを開いていたとしたら、必ずその場所を知らせることも固く約束したのでした。
シャーロットさんは馬車乗り場まで送ってくれましたが、最後に別れる時、「何か困ったことがあったらわたしに知らせてちょうだいね」と涙を浮かべて言っていました。「これは工場の勤め人としてでなく、お友だちのひとりとして頼むことなのよ」と……。
こうして最後、幌馬車の後部席に乗り込む時、モルモットはシャーロットさんと両手をぎゅっと握りあってから別れました。同じ馬車の中には、半獣半人の馬頭族や牛人族、キツネ人間やイタチ人間、人兎族などなど、その他色々な動物たちでいっぱいでした。とはいえ、大抵は隣の村や近隣の町などで降りてしまいますし、さらに鉄道に乗って旅を続けようというモルモットのようなものは、同じ幌馬車内には誰もいなかったことでしょう。
(なんにしても、センムさんが描いたというロレンゾさんの似顔絵だけが頼りだぞ)と、モルモットは肩かけカバンの中から一枚の画用紙を取り出し、そこに描かれた人相のあまりよくない男の顔をもう一度確認しました。シャッチョーさん曰く『あやつは目の下にクマがあって、いかにも厳しい魔王みたいな顔をした奴だが、根は悪い奴ではないのだ。単に料理のことになると「頭がおかしいのか」と感じるほどの狂人だという以外では……他のことはまったくどうでもいいという落差が激しいというだけで、決して悪い奴ではない』とのことでしたが、モルモットは心の中でちょっとだけ(ニンゲンは見た目が九割……)と思わなくもないのでした。また、似顔絵を見た限りにおいて(自分はこんな奴を追っていって、一体何をどうしようというのか)との迷いが生まれないでもありません。
ともあれ、モルモットくんのロレンゾさんを探す旅はこうして始まりました。果たしてこの先、モルモットくんを待ち受けるものは一体なんなのでしょう。そして、この広い世界の中で、よく知りもしない究極の料理人を探しだすなどということが本当に出来るものなのでしょうか。モルモットは不安でもありましたが、初めて遠くまで旅へ出ることに対し、実は同じくらいわくわくしてもいたのです。
>>続く。




