第10章 不思議と謎の彗星に乗って【Q1∑10ゾーン領域】 ―2067年、太陽系の旅―
(ここは一体、どこなんだろう……?)
体を灰色の地面から起こした時、わたしは何かがおかしいと即座に気づいていた。まず、両方の手を見おろすと、そこは胸も両手も両足も――すべて、宇宙服のようなゴワゴワした白い衣服に覆われているとわかる。(そんなバカな……)そう思い、頭をちょっともたげてみると、やはり自分の顔が宇宙服のヘルメットによって覆われていることがわかり、わたしにはもう何がなんだかわからなかった。
透明なポリカーボネート製のヘルメット部分からは、星らしきものが何ひとつ見えない暗い夜空と、周囲を囲む灰色大地、それに遥か彼方に不毛な断崖絶壁が見えるというそれだけだった。
「ここ、もしかして月なのかしら……?」
わたしが我知らずそう呟くと、一瞬ザッという音がしてのち、『違うよ。ここは水星だ』と答える声があった。
「水星ですって!?」
(そんなバカな……)とわたしはもう一度思い、周囲をぐるりと見回した。すると、自分の背後のフィールドにもうひとり、同じように宇宙服を着た人物が突っ立っている。声から察するに、相手は間違いなく男性だ。
『そうだよ。水星っていうのは不思議な星でね、水星の一日は地球の時間でいえば約176日なんだ。水星の公転周期は約88日で――つまり、これが水星の一年ってことだね――自転周期は約59日と非常にゆっくりしている。水星も、もともとは八時間くらいの自転周期を持っていたんじゃないかと推測されているけど、太陽から作用する潮汐力によって次第に自転のエネルギーを失い、現在の状態に落ち込んだのではないかと考えられている』
「え~っと、ようするに自転周期っていうのは、地球が自転するのは二十四時間だっていうあれのことよね。で、公転周期っていうのは、太陽のまわりを一周することで、これが地球の一年だってことであってる?」
(君、理科の勉強を小学四年生くらいからやり直したほうがいいんじゃないか?)などと意地悪なことは、宇宙服の男は言わなかった。何故かヘルメットの透明なプラスチック部分が深い藍色の鏡のように見えて、顔のほうがまるでわからない。にも関わらずわたしには、何故か彼が微笑んでいるらしきことがわかった。
『そうだよ。簡単にいうとね、水星は超ゆっくり一回転してるから、地球時間の約五十九日(58.65日)も自転するのに時間がかかる。それに対して、太陽のまわりを八十八日というハイスピードで一周しているから、それで一年が一日より短いんだね』
「あ、そっか。そーゆーふうに説明してもらうと、頭悪いわたしにもわかるわ。それで、そんな水星になんでわたしとあなたはいるの?見たとこ、月みたいにクレーターだらけで、なんにもないようにしか見えないけど……」
男がグローブに覆われた白い手を差し伸ばしてきたので、わたしはその手を取った。すると彼は片手だけじゃなくもう一方の手も取って、わたしと奇妙で陽気なダンスを踊ろうとしたのだ。
「ね、ねえ。こんなことしてていいの?こんな格好してるってことは、わたしたちには何かするべき仕事が……ミッションがあるってことなんじゃないの?」
『ああ、まあそうだね。けど、それはやってもやらなくてもどっちでもいいようなことさ。ただ、僕たちはここで彗星がやって来るのを待っているんだ。これからその彗星に乗って他の太陽系の惑星を順に旅するためにね』
宇宙服の男は、最初はジャズっぽい曲を口ずさんでいた気がするのに、今度は♪ターララララ~などと、出鱈目な歌を歌いはじめた。そしてわたしの腰に手をまわすと、ワルツのようなものを踊りはじめる。
「そういえば、水星の重力ってどうなってるの?こんなこと、あんまり聞きたくないような気もするけど……酸素なんかはどうなってるのかしら。あと、今わたしたちが話してる会話も、ステーションかどこかにいる人たちがモニターしてたりするんでしょ?いいかげん、真面目に仕事しないと……」
『水星の重力かい?まあ、大体のところ地球の三分の一程度といったところかな。月の重力が地球の六分の一だからね。そう思ったらなんとなーく想像できるだろ?もちろん、水星も月と同じく大気はないに等しい。これはかつてその昔、隕石がぶつかったことによるものだね。だから水星はクレーターだらけなんだ。まあ、その成り立ちから説明するとだ……大体のところ今まで調査した結果から推測されることとして、遥かな昔、太陽系はまだ今のような水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星……といったような配列に決まっていたわけじゃなかったんだよ』
「どういうこと?」
『この点は説明しなくてもわかると思うから省くけど、太陽というのは他の惑星にとって絶対帝王にも等しい存在だ。ところがその後、太陽のまわりにいる惑星というのは大小様々、今以上にたくさんの惑星が存在していたんだね。こうした惑星というのは互いの重力によって引かれあうと――ドグワシャッ!!とばかり衝突を繰り返すことになる。君も、恐竜が隕石の衝突によって滅んだという話については知ってるだろう?ところがだね、このさらに遥か大昔の原始太陽系の世界においては、もっと凄まじい惑星同士の衝突も珍しくなかったんだ。今の火星くらいの大きさの惑星と地球くらいの大きさの惑星がぶつかったり、金星くらいの大きさの惑星と天王星や海王星、あるいはそれ以上の大きさ同士の惑星がぶつかったりするようなこともザラにあった。まさしく人間の如き矮小な存在は到底介在できぬ地獄絵図のような世界だ。惑星同士は衝突しあうと、大抵はより大きな惑星へ取り込まれる形となるが、そんなことが気の遠くなるような時間繰り返されてのち、最終的に今のような太陽系の惑星配列へと落ち着いたわけだね』
「それは、想像を絶する阿鼻叫喚の恐ろしい宇宙世界でしょうね」
宇宙服の男は踊るのをやめると、今度はわたしの隣でスキップしはじめた。話の合間合間に時々、上機嫌で口笛を吹いているのがわかる。
『まったくそのとおりだ。まあ、今僕たちはたまたま水星にいるから、水星の場合はどうだったかの話をしようか。まず、水星は太陽系の惑星の中で一番小さく、地球の半分以下しかない。ところが水星の平均密度のほうは地球のそれに割と近いんだね。これが何故かというと、その誕生と成り立ちが関係している。先ほど言ったように、水星もまた――これは地球や金星、火星などの岩石惑星も同じだという意味だが――他の大きな惑星同士がぶつかりあったことによって最終的に今のような形になったんだ。水星は鉄・ニッケル合金の塊のような惑星だが、何故このような惑星が誕生したかといえば、鉄・ニッケル合金から成るコアと岩石から成るマントルを持つ微惑星がぶつかったからだろうと推測できる……結果、水星のマントルである岩石部分は吹き飛ばされ、金属が四分の三を占める惑星が誕生したというわけだ』
「あ、それはなんとなくわかるっていうか、わたしにも想像できるわ。大体似たような性質を持つ大きさの惑星がふたつ、なんらかの形でぶつかって今の水星のような姿になったってことでしょ?それで、その後もきっと地球に隕石の重爆撃期があったように、水星にも同じように隕石の雨が降り注ぐ時期があって、今のようなクレーターだらけの大地になったってことなんじゃない?」
『その通りだよ。それが今から約四十一億年前から三十八億年くらいの間に起きたことなんじゃないかと言われている。地球も、大きな惑星同士が衝突を繰り返した結果として、最終的に今のような大きさへ落ち着き、その時に月が衛星として形成されたんだね。水星には衛星はないけど、大体のところ地球・水星・金星・火星……といった岩石惑星が今のような形に落ち着こうかというその後も、数多くの隕石の衝突といったことがあった。これが一般に後期重爆撃期と呼ばれるもので、重爆撃期と呼ばれるだけあって、そのくらい数多くの隕石が容赦なくぶつかって来たことをその言葉が示している。月の表面にあるクレーターも、この時に出来たものなんだね』
「ええっと、確か……」と、わたしは一生懸命自分の記憶を呼び起こそうとした。「その隕石がどこからやって来たかってことなんだけど、冥王星を含むカイパーベルトや、さらにその外側のオールト雲って呼ばれる太陽系の端のほうにある岩石が遠く旅をしてやって来たってことなんじゃない?」
『そうなんだよ!』宇宙服の男は嬉しそうに言った。『不思議じゃないかい?遥か遠くの太陽系の端あたりにあるような岩石が、引力に引かれてずっと長い旅をしてやって来るだなんて。そしてその隕石は地球の中に溶け込み、最終的に僕らが住む場所の一部になったんだ……あ、そろそろ僕らが乗らなきゃならない彗星が到着する時間だね。そうだな、水星について他に有名な話としては、君も知ってるかもしれないけど、太陽にこんなに近いのに、水星には氷が存在するってことさ。こうしたクレーターの底の部分に眠ってるんだ。水星の温度は太陽に近い時には約430度にもなり、遠い時にはマイナス180度にも冷え込む。でも、温度がそのくらい高い時でも、水星の地軸は真っ直ぐだから、極の部分には温度差が生まれず、そこには最大で1兆トンもの氷が眠っていると推定されている。そのくらい深い地下世界では氷が解けずに保存されるんだね。だから、以前はこんな太陽に近い惑星をテラフォーミングして暮らすなんて不可能としか考えられなかったけど、今じゃ氷を溶かして水に、他にニッケルや鉄といった鉱石を利用したり、太陽光エネルギーを活用するなどして暮らすことは可能なんじゃないかと考える人たちもいる』
「まあ、地下の安全な場所に居住区を造ることさえ出来れば……理論上は不可能じゃないってことなのかしら?」
『そうだね。実際にそうしようとするなら、現実問題として色々クリアしなきゃならない難題がたくさんあるとは思うけど……あ、そうそう。忘れてたけど、ここはカロリス盆地と呼ばれるところでね、クレーターもここまで大きくなると盆地と呼ばれるようになるんだね。今は太陽に面してない時に当たるわけだけど――実は問題はそんなことじゃないんだ。これは一にも二にも、とにかく僕たちの想像力の問題なんだよ』
(想像力ですって?)と、わたしは思った。というより、熱い時には約430度にも達し、寒い時には零下180度にもなるというのに――こんな宇宙服程度で本当に身を守れるのだろうか?そもそも、彗星に乗って移動するというのはどういう意味なのだろう?どこか上空にあるのだろうステーションともなっている乗り物があるはずだ。いや、それ以前に水星に補給基地として……などと、わたしが突然にして色々なことが本格的に心配になりだした瞬間のことだった。宇宙服男がわたしの手をぎゅっと握りしめて言った。
『大丈夫だよ、僕がついてる。ほら、見てごらん。これから僕らの乗る宇宙船<不思議と謎の彗星号>がやって来たよ。あれに乗って次は金星まで一緒に旅をしよう』
見上げると、暗黒の虚空に、まるで流星のように蒼い炎を船尾から噴きだしている、一隻の小型宇宙船がこちらへやって来るのが見えた。そして白銀に輝く船体の宇宙船が着陸はせず、ヘリコプターが空中に一時静止する時のように鉄製の梯子をアンドロイドの乗組員が出すのを見て驚いた。
アンドロイドもまた白銀の金属製で、見るからにポンコツそうな顔つきをしている。けれど、宇宙服の男はうきうきとスキップしながらそちらへ近づいていく。そして「レディファーストだよ」と言って、わたしに梯子を先に上っていくようにさせた。
これがわたしと……まだ名前も顔も知らぬ宇宙服男との、太陽系一周旅行のはじまりだった。
>>続く。
・参考図書=「惑星科学入門」松井孝典先生著(講談社学術文庫より)
・参考動画=【異彩な惑星】太陽系一の“変わり者”「水星」の正体/ 解明・宇宙の仕組み S6 Ep8(ディスカバリーチャンネル)




