第4話 聖女とドッペルゲンガー
「……アナ、リリアナ!」
暗い夜。獣さえ息を潜める夜の森に透き通るような声が響いた。
その人が呼んでいるのは自分の名であって、自分の名ではないもの。
暗い夜の森を駆け抜けてきた人は、荒い呼吸にもかかわらず、どことなく楽しそうに自分と同じ姿のモノに話しかけた。
「 はあ!はぁッ!リリアナ、今日はどんな一日でしたか?」
その問いかけに、さっきから湖の外側で水に足をつけていたもう一人のリリアナが穏やかに答えた。
「今日もとても素晴らしい一日でしたわ。ここは本当に素敵な場所なんですよ。朝には小鳥がさえずり、夜にはこうして蛍が群れをなして目と耳を楽しませてくれるのですから」
そう言う湖のリリアナの繊細な指先に蛍がそっと舞い降りた。
その姿を見たリリアナが「まあ!」と感嘆の声を上げた。
「とても綺麗ですね!どうすればそんなことができるのですか?」
「ふふ。ただの偶然なんですよ」
「まあ、素敵な偶然ですね!」
そう言いながらリリアナは走ってきて汗ばんだ髪を片側にまとめ、先に座っていたリリアナのように湖に足を沈めた。
チャプン。
「あっ!意外と冷たいですのね!」
「そうですか?」
「ええ、でもなんだか気持ちいい冷たさですわ!」
そうしてしばらくおしゃべりをしていた二人は、いつの間にか口を閉ざし、同じ顔で空を見上げていた。
「「……」」
きらきらと輝く空を見上げる二人の姿は、どちらが本物でどちらがドッペルゲンガーか分からないほどそっくり似ていた。
普通なら互いに敵対するはずが、原本が聖女だからか、それとも単にここにいるドッペルゲンガーが特殊なのか、二人の間に敵意はなかった。
二人の間にあるのは、ただただ穏やかな沈黙だけ。
そしてその沈黙を破ったのはドッペルゲンガーの方だった。
どこか躊躇うように、唇を震わせたドッペルゲンガーが独り言のように言った。
「……実は」
「実は?」
「……時々、少し心細くなることがあるんです。ここはとても美しいところですけど、いつも同じですから。何もせずボーッと過ごしていると、このまま景色に溶け込んで行きそうな……」
どこか夢見るような口調のドッペルゲンガーの言葉とともに、彼女の姿がほんのりと崩れた。
まるで泥でつくった人形が崩れるように、固まっていたナニが水に解けるかのように。
それを見た聖女が慌てて叫び、ドッペルゲンガーを抱きしめた。
「……ダメ!!」
何かを考えるよりも先に口から出てしまった言葉。
その言葉にドッペルゲンガーが驚いたように目を大きく開いた。
それから短い沈黙。
遅れて自分がドッペルゲンガーに声を上げたことに気づいた聖女は、慌てて自分の唇を塞ぎ、後ろに下がった。
「す、すみません。驚かせてしまって。で、でも……」
「ああ、いいえ。そうですね。この世に生まれた以上、その命を大切にすべき、ですものね。それが光の女神の教義ですから」
「そ、その通りです!だから、もうそんなことは言わないでください、リリアナ」
ドッペルゲンガーの言葉に聖女は震える瞳と声で答えた。
どこか気がかりな部分があるような表情と姿。
「ええ、そうします。ありがとうこざいます、リリアナ」
しかしそれを目にしながらもドッペルゲンガーは何も言わず、ただ穏やかな微笑みで感謝の言葉をするだけだった。




