第八話 潜伏
「……今日は2日ぶりの暖かな陽気となりそうです。上着はいらないかも知れませんね……」
「お箸」
ヒマリの母はお箸をいそいそと渡す。
「ご飯よそって」
父親は、甘えた声で母になんでも要求する。
母は、いつも言いなりで、笑顔でなんでもいうことを聞いた。大和撫子ってやつかもしれない。
普段からテレビか家事しかしていない母は、意志薄弱で、私はもう歳だから、が口癖だった。
ヒマリは、そんな母が不憫で、嫌いだった。
小さなイヤホンを取り出してこっそり耳にはめる。
朝食をさっと済ませてカバンを抱えると、
聞こえるか聞こえないかの大きさで
「行ってきます」と言うと階段を走り降りた。
ヒマリのいなくなった食卓は、静寂が支配していた。
「夏菜子」
「なんですか」
「精神統治、本当にやれると思うのか?」
焼き魚を突いていた夏菜子が顔を上げる。
「私を信じてくれないの?」
「いいや」
黒澤将吾は、妻の憂鬱な瞳を愛おしそうに見つめた。
「君がやるというなら、俺は何処までもお供するよ。」
ただ、既に沢山の仲間が犠牲になっていた。
E.B.E.R.O. は厄介だ。地球外生物体研究機関。
研究者の集まりのような顔をして、実態は宇宙人やら人外など予測外の敵戦を予期した軍人の集まりだ。
夏菜子の計画を叶えるために、手を出してはいけない生体資料にアクセスしてしまった。
このままでは奪い返されるついでにFBIやらを引き連れての組織解体、全員滅亡もありえた。
くそっ。
歯磨き粉が切らしている。
「夏菜子!」
だがしかし。
世界平和のためにも、一強組織に技術を渡すわけにはいかないのだ。
夏菜子の計画で、先手を打って同期的世界平和を創り出すのだ。戦争も、喧騒も、ない世界。
そうすれば、昔の笑顔が見れるかも知れない。
ふと浮かんだ願望をやれやれと振り払い、黒澤はスーツに身を包んだ。
夫のネクタイを締めてあげながら、夏菜子は思った。本当に、仕方のないヒトね。
衛星辺縁の寂れた歓楽街の地下で、廃された軍事基地の残骸の中では、大帝の迫害にあった避難民が身を寄せ合っていた。
タンファの血液からとった黄色い発光物質が、無機質な金属の壁を少しだけ暖かく照らしている。
チェーグスは、祖父がくれた艶々のモノクルを、付けたり外したりしながら、ちょこまかと人々の間を走り回っていた。
人々に毛布や食糧を配っているのは、志願して集まった戦闘員だ。お揃いのスーツはないけど、困った時に助けてくれるヒーローだった。
この単眼鏡は、一見旧時代の遺物のように見えて、そんじょそこらの代物ではなかった。
チェーグスには、これを通して見つめた相手の強い気持ちがすけてみえるのだ。
おじいちゃんの友達がくれた物を、僕がもらったんだけど、使う機会もなかった。
こんなに人がいっぱい居るのは初めてだから。
兵士さんにぶつからないように気を付けながら、チェーグスは基地を自由自在に駆け抜ける。
体が床に打ち付けられる大きな音がする。この階は兵士さんたちの訓練場所だ。
この人は、今の大帝はクソだと思っている。こっちの人は、家族さえ無事ならなんでもいい。
チェーグスは透け透けの足場を幾つも駆け上がる。
この階には、別の兵士さんたちの仕事場がある。
この人は、先帝にお供して命をかける気でいる。すごいな。
この人は、わあ、お仕事退屈なんだな。背を低くして、隠れんぼみたいにするすると厳ついデスクの前を通り過ぎる。
上官はのこのこ通り過ぎる小さな尻を見やると、眉をあげて仕事に戻った。
廊下は狭いけど、隠れ家みたいで面白い。
デバイスを指先でクルクル回しながら、技術者が歩いてくる。
「坊や、こんなとこで何してるんだい。」
可愛いやつめ。
人懐っこい笑顔を浮かべて、走り去って行く。
チェーグスは、真っ白な運搬用のポッドエレベーターに滑り込んでレバーを引く。
「ちょっと待ちなさい!」
一気に地下の地下まで降りて行く。遊園地みたいで楽しいから、やめられない。
この人は、持病の薬が手に入らなくて困ってる。
あっちの人は、うわー、なんの話か全然わかんないや。
いろんな機械を剥き出しにしていじっている。おじいちゃんと似たような感じの人達だな。
「君、そのグラス、貸してくれないか?駄賃はやる。」
紳士っぽい優しそうな見た目の男の人が声をかけて来た。
「チェーグース!」
「ごめんなさい、また今度ね。」
吹き抜けから母の声が聞こえて、彼はパタパタとスロープをのぼって自分のカプセルへと駆けて行く。
「艦長、ダメでした。でも彼自身抱き込めば問題ないかと。」
「まあいいわ。あの子は復国軍に悪い印象はないようだから。彼が勝手に走り回ってるうちに、危ない人を見つけてくれることに賭けるわ。」
「御意」
廃帝は、復国軍の仲間に艦長と呼ばれていた。
たまに宇宙艦のような窓がある自室にこもって出てこないこと。そして廃帝の大胆なじゃじゃ馬気質からついた愛称だった。
数週間かけて、集まった人数はほんのわずかで、軍と言えるほどではなく、どちらかと言うと自警団やボランティアと言った形であった。
それでも、迫害される人々や前政権の要職についていた者たちにとって、彼女は唯一の希望の星だった。
彼女は筆記具を回し、転落防止柵に足をかけながら思った。
どうせ革命するなら、もっとマシな政治をしてくれたらよかったのに。
ネックレスに通した竹細工のリングが胸元で揺れる。
大昔、へっぽこプロトタイプで精神体を投射して、ホシに竹の概念を具現化して「留学」した頃の残渣は、ブルーの光を放っていたせいで神物と勘違いされ、海を渡って大切にされていたらしい。
彼女が背負った業と後悔の念のエネルギーが、悲恋に散った新しい器と、偶然に共鳴して絆を結んでしまったのだった。
彼女、旅行楽しんでるかな。
重いブーツの音を響かせ、艦長は食堂へと向かう。
自己満足の償いかも知れないが、悲恋のせいで彼女の人生を台無しにさせたくはなかった。
つづく




