第七話 逃避行
「なあんだ、つまんないの」
まだら模様の翼を広げたり閉じたりしながら、セイレーンたちはぶつくさと文句を言った。
「あんたの種族のせいで私たちがこんなところで待ちぼうけを喰らってるのに、1人くらい人間連れて来なさいよ。」
びしょ濡れの身体で立ちすくんでいた蓮は、勇気を出して異形に向かって問うた。
「どういう事だ。」
セイレーンは隣で羽を繕っていた個体と目配せをしてクククッと嗤った。
「私達は黒船について来た高貴なセイレーンなのに、土着の河童どもが人肉を横取りするから、獲物がなくなっちゃったのよ。」
グワッ!
いつのまにか背後に降りて来ていた別のセイレーンが牙を唸らせて威嚇する。
蓮が驚いてよろめくと、そいつは愉快そうにケタケタと笑った。
「俺はただ、ここに昔来た男が何処へ行ったか知りたいんだ。」
「知らないわよそんなの。私たちは柔らかそうな子供が来た時しか構わないの。」とそいつは言った。
「俺の種族って言ったよな?」
セイレーンは面白くなさそうに鼻に皺を寄せると、
「美しくなりすぎて自分の出自もわかりません、か」
「シンカのタマモノ」うんざりしたというように目をぐるっとまわす。
「そのまま泳げなくなればいいのよ」
彼らは口々に喚き始めた。
少し年老いたセイレーンが舞い降りて来て、厳しい眼差しで諭すように言った。
「わかるだろう?あの滝壺で溺れないのは人ならざるものだけだ。見てくれからしてお前はここに住んでいた河童の一族の血を引いている。」
「あの忌々しい一族の進化のせいで、若い奴らは矜持を保てなくなったのさ。」
「河童…」
「あぁ。だがお前の想像してるようなやつじゃない。あいつらは肉体があるから、代々進化して人とほぼ変わらんような姿を手に入れたんだよ。」
鼻先が触れるほどの距離で捲し立てる。
「大きな瞳に濡れ羽の髪!乾燥まで克服しおって。」
「新世代をただの美しい娘と勘違いしてのこのこやってくる男たちも見たさ!」
「お前らが人喰いだと知らずにな!!!」
岩の上から別のセイレーンが言う。
「でも純粋な河童じゃないならこいつはなんなんだ?」
年老いたセイレーンの顔に醜い笑顔が広がる。
「おぉ…そうか…そういうことか…」
「お前の父親は誰に喰われたんだろうなぁ!」
「お前、まだ二十歳になってないんだろう。え?せいぜい自分の本能に怯えて暮らすがいいさ!」
それを聞いてセイレーンたちは一斉にカァカァとけたたましい笑い声を立てると、バサバサと群れをなして飛び去っていった。
……いや、こんなの妖怪の戯言に決まっている。
ばあちゃんがことあるごとに濁した言葉。意味深な眼。水泳部でのメダルの数々と、得意なのになぜかやめるように言って来たばあちゃんの必死な形相。
この場所に通ってた父。
母と出会ってすぐの失踪。
視界が歪んだ気がして眩暈がする。
帰ってまずは色々調べてから、
いや何を馬鹿なこと考えてるんだ、
しかしもし本当だったら。
もし父が母に喰われていたとしたら。
家の中は十分漁ったつもりだ。
ばあちゃんがもし追いかけて来ても骨張ったばあちゃんは多分襲われない、いやそういう問題じゃない、
本当にもし本当だとしても同じように人喰いになるとは限らない。
信じてないけど。
信じたくない。
ほんの数時間前に見た写真がフラッシュバックする。
無邪気な父。優しそうな母の笑顔。
くしゃくしゃっとした、ばあちゃんの笑顔。
「くっそ……」
俺はどうしたらいいんだ。
蓮は、沼地で拾ったカードに視線を落とす。
E.B.E.R.O. BR-D 15647
それ以外に印字はなく、一様な銀色に光っている。
ごめん、ばあちゃん。待ってて。
蓮の誕生日は今日だった。
———彼は、その瞬間、17:45でちょうど二十歳だった。
つづく




