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第六話 夢

眩い日差しの中、灰褐色の道には、ドレープを巻いた人々が行き交っていた。

薬壺の並んだ店からは沈香や白檀の香りが漂い、道行く牛が引いている荷車には色とりどりの絨毯が載せられている。


「旦那、お目が高い!この灯籠は永久に消えない灯籠なんですよ。」

「そんなことがあるかね。」

向かいの店が銅製の鍋を叩いている。

「本当ですよ。中を覗いてごらんなさい。蝋燭も無いのに炎があるでしょう。」

客は興味をそそられたようにしばらく値切りしていたが、交渉は決裂してしまった。

「ダーシーアンバ!磨きが足りないぞ。」


竹製の灯籠を示しながら主人が不満そうに二階へ上がってゆく。


バザールの店構えの奥は彼らの住居になっていて、中庭と呼ばれる一階の店の奥が彼女の仕事場だった。


ダーシーアンバ、奴隷の女と呼ばれた彼女は、磨いていた真鍮製の仏具を置いて返事をした。


彼女の主人は寺院に仕える宝物商だった。


主人が遠方との貿易によって仕入れた品々を、目の肥えた上客に認められるよう、懇切丁寧に手入れするのは奴隷の仕事だった。

それ以外にも、夜明け前に起きての清掃、水汲み、食事の準備や給仕まで、全て奴隷たちの存在で成り立っていた。


商工組合に入っており、それなりに豊かな家であったこともあり、主人自ら自衛のために武装することもあった。


そのような武器の手入れもまた、彼女の仕事だった。


主人の息子も同じように、戦闘の訓練を受けるため出かけていた。


そろそろ見合いの年頃で、商人同士様々な縁談が行われていたが、まるで宝物の商談のように、互いにあくまで小賢しく利己的に交渉するのであった。


青年は、腰帯につけた短刀の房を弄りながら、将来の妻候補のことを考えていた。

誰も彼も幼く、話し相手にすらなりそうもなかった。


それに比べて、

たこのできた手のひらをさする。

毎日世話してくれる、華奢な美人の方がずっと好みだった。


この家の女奴隷は彼女一人であった。


仲間の男奴隷は一人を除き皆寡黙で、硬い胸板の内側にそれぞれの過酷な歴史をひた隠しにしているかのようだった。


その一人というのは、最近主人が買い付けて来た青年で、ちょうど彼女と同じくらいの歳、奴隷に似つかわしくない肥えた体格で、なかなかに打たれ弱かった。


皆なぜここに居るのかと疑問を抱いたが、主人が亡くなった弟の面影を見たせいで抱えられたようだった。


彼女は彼のヘマに大いに楽しまされ、暗かった表情は輝く笑顔に変わっていった。


息子は、彼女の笑顔が見られて嬉しい反面、奴隷だというのに独り占めできなくなったことに不満を抱いていた。



その日の午後、広場から激しい太鼓の音が響いてきた。馬に乗った布告官が声を張り上げた。

「正義を守るため、武器を持つ者は王宮の門に集え」


どうやら北方から敵軍が攻めて来たらしかった。

王公は有りとあらゆる血気盛んな若者を募り、軍に引き入れた。

この家の息子にも白羽の矢がたった。


この時代、ヴァイシャ階級の商人が戦乱などで王公に徴兵され、功を立てることで戦士つまりクシャトリヤ階級へ昇格することも往々にしてあった。

家族は喜んで戦闘の訓練をさせた甲斐があったなどと言い合っていた。


彼女は、主人の息子の無事を祈りつつ、洗礼のための水を運んでいた。

この家で奴隷である自分に対して最も優しく接してくれたのがその青年だった。


彼がいなくなったら、それ以上に、戦乱がここまで及んだら、またどこかに売られるかもしれない。


その様子を眺めていた青年は、彼女が今日は貝殻の腕輪をしていることに気づいた。

昨日はテラコッタの腕輪。


奴隷であっても、彼女の身だしなみは清潔で、できる範囲でのお洒落を楽しんでいるのが健気だった。


何より素の美貌が魅力的であった。


彼女は今日も素朴な綿布を纏って消えない「永遠の灯籠」を磨いている。


猫が向かいの店に入り込んでは、自分の転がした金属の音に驚いて跳ね回っている。


この灯籠は、東方の島国へ旅した僧侶から買い付けたものらしい。


竹籠の中から、神秘的な淡い光がこぼれている。

雑多な置物の間に置かれているが、彼女にとっては仏具より余程興味深い品であったので、いつも念入りに手入れしていた。


この頃は何をするにも何処からともなく視線を感じるようになっていた。


その晩、中庭で作業していると、息子が遠くから見ているのに気づいた。


彼女はしばらく気付かないふりを決め込んでいた。


いつの頃からか、ヴァスからのささやかな贈り物が届くようになってから、彼女もまた密かに思いを募らせていた。


「ターラ」

突然名前で呼ばれ、驚いて振り返るとそこには商人の息子、ヴァスがすっくと立っていた。


慌てて目を伏せたが、ヴァスは気に留める様子もなくすたすたと歩いてくる。


ヴァスは鍛え上げられた腕で後退りするターラの華奢な腕を掴んだ。


ターラが混乱して慄き動けないでいると、

彼はエメラルドのあしらわれた銀の腕輪を取り出し、優しく彼女の腕にはめた。

「一緒に逃げよう。」


身分が宇宙の秩序と同等であったこの時代、主人が奴隷の肌に触れることは不浄なものに汚染されると同義であった。


中庭の端から、何かにつまづいた音が聞こえた。まずい。誰かに見られた。

どちらにせよもうここにはいられない。

彼女は覚悟を決めて、真っ黒な目を見つめ返した。

「行きましょう」



数日後、火葬場で跪かされたターラは、

二人で見つめた星空を思い浮かべていた。


首は二股の木の杭で固定されている。


ヴァスも刑場に引き連れられていたが、その体は観覧席にあった。


戦士として家全体の希望を託された矢先、彼女との駆け落ちは家そのものの没落に繋がる凶行であった。


家族に説得され、最後まで自分を庇い、主人の息子を誘惑した罪で極刑に課される彼女を彼は守れなかった。


戦士たるもの、死を恐れず、情に流されず、法の執行を見届けることが義務であった。


ターラは彼があの灯籠を持って来ているのに気づいていた。


処刑後の死体は荒野に捨てられ、カラスや野獣の餌となる。


愛、慕情、憎しみ、憧れ、希望、後悔。

さまざまな感情が入り乱れ、彼女の周りの世界を歪ませている気がした。


頭に水をかけられ、処刑人は祈りを唱えると、濁った瞳で獲物を捉え、曲刀を振りあげた。


重い金属が鋭く風を切る音。

髄に響く衝撃。





ヴァスはその様子を血の気が引いた様子で、しかし凛として見つめていた。


転がった彼女の見開いた瞳が、一家それぞれの眼を直視していた。


彼が握りしめた永遠の灯籠は、二度と光ることはなかった。





灯籠を離れた無機質な青い光は吸い込まれるように彼女に入り込むと、悲恋を嘆くように一瞬、全身を青い光で包み込んだ。


次に覚えているのは血塗れで荒野に横たわっていたこと。

自分じゃない何かになった気がして。


もういいわ。


頭上で旋回する鷲の影を見ながら、彼女は目を閉じた。


安らかに眠った次の瞬間、私は身分のない世界で雇われの身になっていた。


随分と長く生きすぎたな。



変な時間に起きてしまった。2人ももう寝てしまっていた。カーテンを開けると大きな窓から台北の夜景が見えて美しい。


オンニは、彼らと一緒に人生を歩めたら、とふと思った。

騙している人が言うことじゃないか。


つづく

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