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第四話 唄声

ゴールデンウィークというものは素敵だ。ほんの少し疲れ始めた新年度にオアシスのように現れて、

満腹になる前に溶けてしまう。その腹八分目の絶妙さが、特別で良かった。


蓮は祖母が所有する栃木の別荘でオムライスを頬張っていた。

一足早い風鈴の音と、林のざわめきが爽やかで心地よい。


それ以上に、仕事で海外へ出張しがちな祖母との家族団欒は蓮にとってめでたい事だった。


蓮はGW、親孝行を兼ねて祖母の希望で2泊3日の旅行に来たのだ。


久しぶりに祖母が作ってくれた食事はシンプルだけどすごく美味しかった。


「あんたほんとに母さんによう似てきたね、でも食べ方は父親譲りだのう」と顔をくしゃくしゃにして笑うばあちゃん。


こうして見るとジブリって写実的なのかもしれないと思えてくる。

「お前の父さんもよく連れてきたんだ。」

そんなの初耳だ。

「そうだったかねぇ。」

「あんたも小さい頃連れてきたことあるの覚えてないかい?お父さんの書斎でよく遊んでいたぁよ。」

大雑把な性格はばあちゃんの代からの遺伝子だった。


「父さんの書斎、みていい?」


自分を捨てて出て行ったかもしれない父の事を、許せるようになったのは最近のことだ。


珍しいのぅ、蓮くんこれまであの子のこと、聞こうとしなかったのに。全部を教えてあげられたら良いんだけども。


「良いけど、あんまり漁るんじゃないよ。あとで昔の写真見せてあげるよ。」




水玉模様のアルバムは、少し埃をかぶって、ずっしりとしていた。


蓮はアルバムをペラペラとめくった。


誰だかわからない赤ん坊の写真から、少し成長した父。

この写真は半袖短パンで顔いっぱいの笑顔の幼い父と、若き日の祖父母が写っている。

入学式の看板の前ではにかんで写っている父。家族旅行で変なポーズを取る父。


そして唐突に、どこかの森林の滝の写真があった。

その次には蓮の両親と赤ん坊の自分が写った写真。


そして空のページがバサッと指に落ちる。


母の写真を見たのは初めてかもしれない。

幼き日の記憶は遠すぎて、母の顔立ちなんて言われないとわからない。


でもそこに写っている女性は自分と同じ大きな吊り目で、線が細く色白で。

波打つ艶やかな黒髪が印象的な美人だった。

急に喉の奥に熱いものが込み上げてきた。

自分が母親似であるということが、自分にとってこれほど大事だとは思わなかった。


存在を肯定されたような、そんな気持ちになったのかもしれない。


蓮はしばらくその写真を眺めた後、スマホでパシャリと撮ると、アルバムを閉じた。


そしてふとあの風景写真はどこだろうと思った。

アルバムから取り出してみると、裏に日付が書いてあった。きっと父の筆跡だ。

父が行ったこの場所に行ってみたいと、蓮は引き寄せられるような衝動に駆られた。



蓮は台所で蛇口を最大限に開けているばあちゃんに、大声で尋ねた。

「ここさ、何処なの?アルバムに入ってたけど」

ばあちゃんも負けじと声を張り上げる。

「あぁ、そんな写真が入ってたのかい。それはね、ばあちゃんが旅行に行った時に撮った写真だよ。」

「よくみつけたねえ。」懐かしそうにばあちゃんは言った。そう言いながら、婆ちゃんの目が揺れたのを蓮は見逃さなかった。


何か隠してる眼だ。


ここ、すごく綺麗だよね、と蓮は呟いてみる。

ばあちゃんは、何処にでもある滝だよ、ジメッとしていけすかないね、なんて言いながら、つぶらな眼を光らせる。

絶対に行くな。


「滝が見たいならあとでもっと良い場所につれてってやるよ。」


ばあちゃんとしては振りにならないよう上手く隠したつもりなのだろう。


「だけどその前に買い出しに行ってこないといけないねぇ」

別荘は山奥にあり、街のスーパーまではだいたい車で2時間弱かかってしまう。

どうしてこんな場所にダディは家を建てたかねぇ。

蓮に夕食の食材を好きに買ってこいとお願いしようにも、彼はまだ車の免許を取っていなかった。


その間ヘマをしないと良いんだけど。



蓮の中で抗いがたい好奇心が首をもたげ始める。

久しぶりの旅行だ。少しくらい冒険しても良いだろう。今更何処へ行くなと命令される筋合いはない。


蓮は写真をパーカーのポケットに滑り込ませた。

あとでGoogle Lense を使って画像から場所を特定しよう。


どうやら写真は観光地から少し離れたところにある小さな滝で、フォトグラファー界隈では有名らしいが、幾つか転落事故が発生しており、基本的に立入禁止区域らしい。

ばあちゃんの言っていたことはただのハッタリでは無かった。


別にすぐ近くまで行くつもりはない。蓮は遠くから父が写真を撮ったであろうその立ち位置を、一目拝んで帰ってくるつもりだった。


蓮が目的地まで半分ほどきたところで雨が降り始めた。

まずい。

小動物がガサガサッ、と巣をめがけて駆けて行った。

人々は雨を美化しすぎだ。

ただでさえ足場の悪い森が薄暗くなり、少しずつ体力が奪われていくのがわかる。


森の雨は、体温を奪い、ぬかるんだ地面は気を抜いた人間を死の淵へ誘おうと手招いている。


転んでかすり傷を作りながらも、滝の音に励まされ、蓮はなんとか目的地にたどり着いた。


写真で見たよりずっと大きく轟々と白く流れるその滝の元には、渦巻く滝壺が青々として。

四方に流れ出るせせらぎはまだ小さな草木に生命を与え。

滝壺からすぐのところから水深が浅いのか水面がエメラルドグリーンに変わり、そこから続く沼地にはぽつぽつとハスの花が咲いていた。


岩場の隙間風が唄うような音を立て、日本然とした風景をより幻想的にしていた。


その美しさは衣服を透過してくる雨水を忘れる程で、蓮はその清らかな水面に触れてみたくなった。

風の音は強くなり、木々はその音楽に乗せて踊り狂っていた。


蓮はふと自分が足を上げられないほどに疲れていることに気づいた。このまま湖に抱かれてみたい。

ぼんやりした頭で雨の降り注ぐ天を仰いだ


次の瞬間

蓮は、木々にとまった異形の存在を見てしまった。

体躯に不釣り合いな巨大な鉤爪で枝に捕まり、豊かな髪を靡かせて歌っている。


幻覚だろうか。そう言えば、近くに温泉があった。まさかガス溜まりに入ってきてしまったか。どうしよう。このまま死ねない。

揺らぐ意識の中で、湖に入るという選択肢のみが唯一輝いている気がして。

彼は本能的に湖に身を投げた。


湖は冷たくて、清らかで、昏かった。





九十九蓮は、5月3日15:30の自宅の防犯カメラへの映り込みを最後に失踪した。


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