第二話 朔望月のクーデター
渋谷の隣町、大正レトロな一軒家のある一室で、
讃岐•チャンドラレーカーは、一ヶ月で再び様変わりした自らの肉体を悲しそうに見つめた。
筋骨隆々としたオリーブ色の肌は、艶やかに電球の光を反射している。
凛々しい眉と恐らくパリジェンヌカールしたまつ毛は、しかし久方ぶりに主導権を取り戻した主の憂鬱で影に染まっていた。
一ヶ月と云うのは短くて長い。
繰り返せば繰り返すほど、短いけれど、一月前の自分の肌とは違う細胞が並んでいる。
かつて憧れた人の手に触れたあの感触が懐かしい。あの頃の華奢で美しい自分が幻想のようで。
同じ細胞は一つも残って居なかった。
自我というのは不思議なものだ。
この体が私なのか、神経回路の形が私なのか。
きっとどちらも違うのだろう。
チャンドラレーカーは、もう消えてなくなった首の傷跡を静かになぞった。
彼女の自我は、脳という肉体の檻の中で灯火のように揺れて居るだけだった。
「同居人」が上げたテストステロン値は、彼女の悲嘆を打ち負かしてはくれなかったが、いきなり筋トレをやめると体の不調が襲いかかってくるのは過去千年で身に染みて解っていた。
半ば諦めた表情でトレーニングウェアに着替え、廻らないこの人生も悪くない、と無心で呟く。
1日前
上空のバリアを透過した青紫の太陽光に照らされた広場は、かつての賑わいの面影もなく、聳え立つ功績者の偶像達は、衰退の一途を辿る高度文明の未来を嘆いているようだった。
この星は丁度、数日前に革命が起こったばかりであった。
冷徹な統治者が過激派に襲撃され、捕捉されたものの、革命家の幼い息子が牢から逃がしてしまったのだ。
息子可愛さと、帝の行方を推測できるかもしれないという希望的観測も相まって身代わりに罰せられたのは、帝の右腕であった若い武人だった。
「お前さんが清廉な騎士である事は私もよくわかっている。だがな、忠誠を誓う事は、帝にとって耳を貸すほどの価値もない格下の意見だと証明することと同等ではないかね?」
若い騎士は、全身に鎖を繋がれたまま、音一つ立てず磔の姿勢で将校を睨みつけている。
「この数百ターンの間、この衛星で、一体どれだけの星民が路端で倒れてきたと思うか。
目を瞑りたいなら瞑ればいいさ。
蛍石の議席に胡座をかいてうたた寝する奴らと同じになりたいならな。」
「これは戦争なんだカルテス。」
陰険な瞳は赤黒い焔を湛えていた。
「何方を選ぶかお前の良心にしかと聞きたまえ。」
そう言ってケリヴレは乱暴に精神拷問用の器具を投げ捨てると群青色のコートをひらめかせて立ち去った。
将校が片手を挙げると、その背後で透明な練岩の扉が、滑らかに隙間なく閉じた。
カルテスはまだ若く経験が浅い。
それ故に熱く、それ故に不安定だ。
だからこそ、いつか我々の言っていたことが理解できるまで解放するわけにはいかないのだ。
この基地のエネルギーは無限ではない。
アトランティス計画のような貴族の遊びをしていた一昔前とは訳が違うのだ。事態は切羽詰まっている。この状況で目前にある資源潤沢な惑星を無視すると云うのか。答えは否だ。
行末を把握していながら大人しく溺れるのは馬鹿の所業だ。私は最後まで足掻いて生きたい。
たとえ大帝が、宇宙侵略を目論むイカレ頭であるとしても。
辺縁へと向かう処理ポッドの中で、廃帝は呆然と人のよの常ならざるを実感していた。
しばらく前に穏やかな言葉で疑義を呈してきた面々が脳裏に思い浮かぶ。
というかそれ以前に、と彼女は思った。
なぜ私は彼らの意見を聞き入れなかったのだろう。過去の自分がまるで別人のようで解せない。
感情を吸い取られた機械のように、効率しか考えず政策を打ち出していた。
「罪人」に同情して引き寄せられている間、本体がこんなにも冷徹になっていたとは思いもしなかった。
今ならできる。彼らの訴えがわかる。
だとしても、地球を犠牲にしようとは到底思えなかった。
竹の妖としてテレポートしたあの星は、理不尽で不格好な愛に満ち溢れていた。
暗闇で差し伸べられた小さな手を思い浮かべる。
琥珀色の瞳に闘志が灯った。
幼い魂に絶対に後悔などさせない。
彼女はかぐや姫だった。
つづく




