第十一話 河童
第11話 河童
水路からむくっと這い出した生物に驚いて、牛蛙がのそのそと飛んで逃げていく。
九十九蓮は、父の写真の滝を後にし、山の麓に降りてきていた。歩くたびカタツムリのように水浸しの跡が残る。
山の傾斜はぬかるんで危なかった。
「お前、まだ二十歳になってないんだろう。え?せいぜい自分の本能に怯えて暮らすがいいさ!」
セイレーンの言葉が脳裏でこだまする。
二十歳になって2時間。
蓮は、「人喰い河童」としての自分を恐れていたが、半信半疑でもあった。
真偽を確かめるまで連絡はできなかったが、ばあちゃんを不安にさせるのはできるだけ短い時間にしたかった。
人間ならば本来より致命的であろう雨後の川を泳ぎ、蓮が目をつけたのは轟々と流れる地下水脈だった。
水泳部で毎年非公式タイム最速を叩き出した彼にとって、水路の方がよほど近道だった。
どうにかネットカフェに辿り着く頃には、肌が水を吸収し、服がすっかり乾いていた。
暇な地元の大学生のフリをして個室へ上がる。
彼がここにきた目的は、沼で拾ったいかにもなIDカードから身元を割り出す事。もし河童を研究しにきた者なら、接触すれば何かわかるかもしれない。
自らがプレパラートに乗る可能性もなくはないのだが、好奇心に勝つことはできなかった。
銀色のカードの刻印を触って確かめる。
E.B.E.R.O. BR-D 15647
EBERO、特に何もヒットしない。そりゃそうか。
こういう時一文字ずつ削るに越したことはない。
ふた文字削ったところで気になる文字が目に入る。
EBEとは、1960年代米軍により使用された呼称で、地球外生物体のこと……
いや、待てよ河童と何の関係があるんだ。
BR-Dは流石にでてこないか。
突然パソコンの画面が真っ黒になり、フラグが立った。
逆探知……
警告; 研究員15647のIDカードの違法所持を発見。
該当者は直ちに出頭すること。
画面カメラに赤い光が灯る。
思わず立ち上がった蓮は、部屋の中で一瞬狼狽えてから、パソコンの電源を抜いた。
やばい。なんかやばいことになった。
本格的に逃げなきゃいけないだろうか。カード置いて行こうか、いや、指紋がついてるな。
こういう時ってどうするんだ。そうだ。まずは銀行で現金を下ろそう。
近くにあったはずだ。
足早に銀行へと走る。
彼が持つ銀行口座には、海外からいつも大金が振り込まれていた。
順番待ちしながらペラペラと通帳をめくる。
ばあちゃんサウジアラビアなんて、いってたっけな。
よく見ると言ってたと聞いてない場所がいくつかある。ちょっと待てよ、そこだけ見ると5ヶ月毎だ。
日本から振り込んでいるものも多い。
振り込み人のところは、数字になっている。
怪しまれないよう気を配りながらカードで数万円を引き出す。
気分は重罪人だ。
一応、記帳しておこうか。
「引き出す時は必ず記帳しなさい。でないと、金銭感覚が狂っちまうよ。」
ばあちゃんに耳にタコができるほど言われていた。
一度カードだけで引き出したら、二度と記帳しない気がする。
通帳を確認すると、直近に振込がされている。30分前。
場所は現在地の隣町の支店だった。
振り込み人は数字だ。200173
写真の裏に書いてあった日付。
脳裏に疑いがよぎる。
もしかすると父かもしれない。
罠かもしれない。
それでも。
蓮は思わず走り出していた。
彼の脚力は人間のものではなかった。
駅前の地図で場所をさがし、目的地手前の路地で、彼はフードを被った男とぶつかった。
「あっ……すいませn」
男は無言で足早に立ち去った。
落とした封筒を渡そうと追いかけたが、姿はもう見えなかった。
困ったな。今の俺は交番にこれを届けることはできない。
封筒を裏返すと、そこには見慣れた文字があった。
200173
鼓動が早くなる。
封筒を慌てて隠す。
監視カメラのない路地を探して、中身を開けてみると、手紙とusbが入っている。
C端子。
何で俺のスマホがC端子だって知ってるんだよ。
ネットカフェで充電しておいてよかった。
紙には何も書いてない。火で炙ったら文字が浮き出るとかなのか?生憎そういうものは持ってない。
ファイルを開くと、「家族の歴史と未来ここにあり」のword ファイル、そして古びた建物の画像と住所が書いてあった。ご丁寧に地図まで。
もう一つのファイルは、所内の物理キーが必要です。
そして、スマホは読了後今すぐに電源を切りなさい。
うん。これはどっちなんだ……。
罠にしても本物にしても出来過ぎじゃ無いか?
どちらにせよ相手は俺が好奇心に勝てないことを死ぬほどよくわかってるらしい。
まあ良い。敵だったら喰ってやる。
そんなわけで蓮は再び山に逆戻りする羽目になった。
研究所は丘を一つ超えた所の山奥の湖畔に存在していた。
地図が示していたのは研究所そのものではなく、少し離れた湖の脇の小屋だった。錆だらけのドアを蹴飛ばすと簡単に開き、中には潜水艦の入り口のようなものがあった。蜘蛛の巣のかかった電球の光に、どんよりした色の酸素ボンベが二つ照らされている。
水中から入れってことか?
入り口を覗くと奥底で水の揺れる音が聞こえた。
マスクを付けてボンベを背負うと、蓮は臆することなくするするとハシゴを伝って降りていった。
どうやら正解だ。湖の方から入れということらしい。
青い湖にはたくさんの魚が棲んでいた。キラキラと銀色の体をくねらせて、蓮の目前を通り過ぎていく。
どこかに研究所のドアがあるはずだ。
ゴツゴツした岩の影の部分に、フジツボだらけの丸い扉があった。
待てよ、キーパッド式か。
IDカードの番号を入れてみる。
なわけねぇか。
写真の番号!
200173
ビンゴ。
重い扉を開けて中に入ると、上に登るパイプのようになっている。かんぬきを掛けて地面を蹴り出すと、蓮は一気に水面に出た。
ガラス張りで研究室の中がよく見えた。
ボードに貼りまくられた写真や顕微鏡に、よくわからない器具。ゴーグルや白衣など、研究と聞いて思いつくあれこれが所狭しと散らばっている。
扉がある。開けようとしたが、開かなかった。外から鍵が掛けられている。出られないじゃないか。
蓮は背筋が冷たくなった。そうか。ここは水槽か。
研究対象が入るための。
罠か。
しかし、研究所に人気はなく、誰かが入ってくる様子も、監視される様子もなかった。
とりあえず、力づくで開くかやってみると、簡単にガラスは割れ、一気に書類と化学物質の匂いが垂れ込めてきた。
部屋の中を模索していると、写真立てに目が止まった。
祖父の姿だ。
祖父は河童を研究していたのか?
近くには椅子に白衣が掛かっている。
白衣のポケットから垂れ下がっているチャームを見て、蓮は驚いた。
俺がばあちゃんにあげたやつじゃないか。アクアビーズで作った犬。無くしたとか言ってたのに。
まさか……ばあちゃん……
チャームを手に取ると、ついてきたのは赤いusbだった。これはA端子。パソコンがいるな。
HPのパソコンを開くと、ギューンという起動音がした。
赤い方のUSBを挿すと、未知のセキュリティデバイスを検知、と出た。よくわからん。とりあえず抜いておく。
USBドライブは、C端子の反対側がA端子になっていて、無事差し込むことができた。
物理キーが必要だな。
まあ良いや。二つあるしどうせだから両方挿しておこう。
テロンと音がして、ファイルがアンロックされる。
お、お前鍵だったのか。
ファイルを開いた蓮は青ざめて言葉を失った。
そこにあったのは壮絶な歴史の証拠だった。
彼の祖父は旅行で訪れた沼で河童の一族と出会い、友好関係を結んでいた。
父は度々祖父について沼に通い、そこで母と出会ったようだ。
――マジかよ俺って本当に河童なのか。
互いの繁栄のために協力することを前提に、この研究所で、遺伝子解析などを行い、科学の発展に貢献しようとしていた。
だがE.B.E.R.Oと呼ばれる軍事組織が介入し、河童の生態資料を求めてきた。
祖父は断固として譲らなかったが、共同研究者だったジェームズはそうではなかった。
彼は大金を受け取って自身の研究結果を売り渡すとどこかへ逃げてしまった。
湖に逃げきれなかった河童は彼らに連行されることになった。
父と祖父は別のラボを買い取って密かに研究を続け、希望を抱く数名の河童も共に移り住んでいた。
新たな研究所が血みどろの廃墟と化したのはその数ヶ月後だった。
父や祖父が襲われた惨事直後の写真と敵組織での非人道的研究の計画のデータも入っている。
低賃金の研究員がヘッドハンティングされ、彼らの研究に必要なサンプルを見繕え、とテレグラムで命令されていたらしい。
割れたガラスに生々しい血溜まり、銃弾の跡……
彼らは連行されて今頃研究材料の肉片として扱われているのではなかろうか……
蓮はさすがに身の危険を感じた。
書類の最後に、この研究所は安全だから、黒電話を使って外部と接触するが良い、と書いてある。
ばあちゃんに黒電話で連絡することにした。
「……ばあちゃん?」
「なんだい」馴染みのある声だ。
「勝手に出てってごめん。」
蛍光灯がちかちかと今にも消えそうに瞬いている。
「なあに、あたしだってあんたを置いてったこと何遍もあったじゃないか。お前みたいな強い子が誰かに連れ去られたり行き倒れたりするなんてちっとも思わなかったよ」
少しは心配してくれよ、こっちはちゃんと死にかけたんだと言い掛けて、張り詰めていた緊張が一気に解けるのがわかった。
勝手に涙が出てくる。くそ、こんなんで泣きたくねぇよ。
「ばあちゃん、俺、人外なんだよな?」
「何言ってんだい。お前は立派な人間だよ。誰に何を言われたか知らんけども。」
あぁ、思った通りだ。沼の写真がないからそんなことだと思った。
「ばあちゃん、研究してたの?」
「あたしじゃあないよ。ダディがやってたのさ。あんたは今研究所にいるんだろう。」
「あたしよりもうよく分かってるんじゃないか?お前の親戚のこと。」
「……人喰いじゃないって本当なの?」
「あぁ。それはセイレーンが河童に着せた濡れ衣だよ。」
ばあちゃんはほとんど全て知っていた。じいちゃんが研究してたこと、それに父がついてって、母と出会ったこと。
母がEBEROの研究員に捕まって、父が潜入して助けたこと。
河童の母は父の助けで命からがら抜け出せたものの、逃げ戻って鳥取砂丘の小屋に潜伏していること……
そして、
河童の先祖はアトランティス計画で作り出された水中人のことで、宇宙人による大規模な実験の犠牲者だった。
水中人は進化したが、エネルギーが枯渇したため陸に上がると本来の地球人から排斥され土地の買われていない河辺や海辺に隠れ住むようになった。
そのうちの栃木に棲みついたものが、蓮の親戚だった。
蓮は、それだけの事実を突きつけられながら、大して動じていない自分に驚いた。
……慣れって、すごいな。
その時、コツコツと窓を突く音がして、
ふと見ると、あのシジュウカラが愛らしく首を傾げている。
窓を開けると、何かを投げ込んで、パサパサと飛んでいった。
なんだろう。
黒光りする物体を手に取ると、それはまた別のusbだった。
つづく




