第4話 初依頼とCランクの男
森の奥は夕闇を孕み始め、空気はひんやりと張り詰めていた。
その静寂を切り裂くように、轟く咆哮が森を揺るがす。
ゼオンの眼前に立ちはだかるのは、体長三メートルを優に超える巨躯。
全身を岩のように硬質な筋肉で覆い、手には丸太を削ったような棍棒を握っている。
――ハイオーク。
ただの上位種ではない。その中でも特に統率力と戦闘力に優れる個体――ジェネラル種だ。
「おいおい……よりによってジェネラルか」
苦笑が漏れる。
今世で遭遇した魔物の中では、間違いなく最強の存在。
「……さて。俺も多少は強くなったが、奴は格上だな」
召喚を駆使すれば勝利は揺るぎないだろう。
だが、ゼオンは首を横に振った。
「ここは――召喚に頼らず、やろう」
理由は明白だった。
長い眠りで錆びついた戦闘勘を呼び覚ますため。そしてなにより――この胸を高鳴らせる感覚を、純粋に味わいたかった。
「グォオオオオオオオオオオ!」
ハイオークが大地を震わせながら突進してくる。
ゼオンは即座に詠唱した。
「――『ファイヤボール』!」
ゼオンの掌から赤い火球が放たれる。
盗賊の魔法使いを配下に加えたとき、その力の一端――〈遺力〉が己の中に刻まれていた。
配下の技や資質は、〈黒き軍勢〉として蘇るだけでなく、その一部がゼオン自身の力となるのだ。
それが今、火属性魔法として発現している。
火球は一直線に飛び、ハイオークの巨体に直撃する。
だが炎を纏ったまま、巨体は怯むことなく突進してきた。
「……やはりな。初級魔法では牽制にもならん」
ゼオンは口角をわずかに吊り上げた。狙いは最初から時間稼ぎ。炎で視界を覆った隙に、すでに間合いを詰めていた。
――ガキィン!
ナイフが火花を散らし、鉄塊のような皮膚に弾かれる。
手首に重い衝撃が走り、ゼオンは素早く後方へ跳躍した。
「……硬いな。だが、速さなら負けん」
軽やかに身を翻す動きは、人間の域を超えていた。
それもまた、〈遺力〉によるもの。
かつて取り込んだグレイウルフの俊敏さと反射神経が、今のゼオンに宿っている。
己の肉体と、〈黒き軍勢〉から得た〈遺力〉の融合。
それこそが、ゼオンの真の強さだった。
グレイウルフの能力を取り込んだことで、機動力は大幅に増している。
力と硬さでは劣るが、戦術次第で勝機はある。
「弱点は――下半身だな」
鋼のような上半身に比べ、ふくらはぎや膝の辺りは肉質が柔らかい。
そこを狙うしかない。
⸻
戦いは熾烈を極めた。
大木をなぎ倒す棍棒を、寸前でかわし続ける。
頬をかすめる風圧が肌を焼き、土煙が視界を曇らせる。
だがゼオンの心は昂ぶっていた。
「――いいな」
身体のすぐ脇を掠めていく棍棒の重さ。
生を実感する刹那の緊張感。
気づけば口元に笑みが浮かんでいた。
「やっぱり……これだ。これこそ、俺が求めていた自由だ」
配下を盾に戦うのではない。
自ら命を賭して、全力で格上に挑む。
その瞬間こそが、彼を生かしていた。
⸻
一時間にも及ぶ死闘の末――。
ついに巨体が崩れ落ちる。
地面が揺れるほどの衝撃と共に、ハイオークは絶命した。
「……ふぅ。強かったな」
肩で息をしながら、ナイフを握る手に残る震えを見下ろす。
だがその表情には満足げな笑みが浮かんでいた。
「だが――これでまた配下が増える。そして俺自身も、さらに強くなる」
死骸に手をかざし、呪を唱える。
闇が渦巻き、巨躯は新たな力として取り込まれた。
確かに感じる。筋肉の芯から力が湧き上がり、視界が鮮明に広がっていく。
「日も傾いてきた。……そろそろ帰るか」
薬草採取やゴブリン討伐は、配下に任せておいた。
既に充分な量が集まっている。配下化が間に合わなかった魔物もいたが、それを踏まえても戦力は飛躍的に増した。
初依頼としては、申し分のない成果だった。
⸻
街へ戻り、ギルドで報告を済ませる。
「お疲れ様でした! ゴブリン十五体、薬草三十個、確認しました。初日からすごい成果ですね!」
受付嬢は目を丸くし、思わず声を弾ませた。
ゼオンは肩をすくめ、涼しい顔で答える。
「……まあ、運が良かっただけだ」
報酬を受け取ったゼオンは、軽く肩をすくめながらギルドを後にした。
周囲の冒険者たちの視線が一瞬こちらに集まる。初日でこれだけの成果を上げたのだ、無理もない。だがゼオンは気に留めることなく歩き出した。
街の通りに出ると、冒険者たちの噂話が耳に入った。
――Cランクの冒険者が街に戻ってきたらしい。だが依頼の成果よりも素行の悪さで名を知られている、と。
「……まあ、関わることはないだろう」
ゼオンは小さく呟いた。
だがその言葉は皮肉にも、この先の因縁を示す前触れとなる。
⸻
街路は夕暮れの喧騒に包まれていた。
人々の笑い声と、屋台から漂う香ばしい匂いが入り混じり、活気に溢れている。
小腹が空いていたゼオンは、宿に戻る前にふらりと屋台へ立ち寄った。
炭火で炙られる肉の匂いが鼻をくすぐる。串に刺された肉は、焼けるたびに脂を滴らせ、香草の匂いが漂ってくる。
「一本だ」
銀貨を渡すと、屋台の親父が笑顔で熱々の串を差し出してきた。
ひと口かじれば、肉汁が弾けて舌を満たす。炭火の香ばしさと香草の爽やかさが絶妙に絡み合い、旅の疲れを癒してくれる。
「……うむ。これも悪くない」
噛み締めながら、ゼオンは思った。
魔王であった頃、食事はただの燃料に過ぎなかった。だが今は違う。
自由を求めるこの生では、食事は生きる喜びそのものだった。
⸻
屋台を後にし、宿へ戻る道すがら。
ふと薬草屋の軒先が目に入り、ゼオンは足を止めた。薬草は今後も役立つ。多少の知識を仕入れておいて損はないだろう――そう思った、その時。
「――あ、た、助けてください!」
甲高い声が店先に響いた。
声の主は薬草屋で働いているらしい、まだ若い少女。怯えた瞳がゼオンをまっすぐに見つめている。
「ん?」
視線を向けると、少女の前に立ちはだかる粗暴な男の姿があった。
無駄に張った胸板、飾り立てた武具。その顔は昼間耳にした噂と一致する。――ギルドで悪名を轟かせるCランク冒険者、イグナス。
「ちょっとぶつかったくらいで謝りもせずに逃げようとはなぁ! 俺を誰だと思ってんだ!」
イグナスは大声で怒鳴り散らしていた。
少女は必死に頭を下げる。
「す、すみません……! 本当にわざとじゃなくて……」
だが男は聞く耳を持たず、むしろ周囲の視線を気にするかのように声を張り上げる。
ゼオンはひとつ息を吐いた。
面倒は避けたい。だが、放っておけば少女がひどい目に遭うのは明白だった。
「……やれやれ。仕方ないな」
歩み出たゼオンに、少女が縋るような視線を向ける。
同時に、イグナスの目が鋭くゼオンを射抜いた。
「てめぇ……誰に口出してんだ? Cランクのこの俺に逆らうってのか?」
ゼオンは冷ややかな笑みを浮かべた。
「俺にとっては、CもEも大差ないがな」
一触即発の空気が流れる。
こうしてゼオンとイグナス――二人の因縁が始まった。
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