第2話 自由への歩み
「――『蘇れ』」
男の低い声が響くと、倒れたグレイウルフの死体が黒い渦に呑み込まれ、淡い闇の気配を帯びて再び姿を現した。
既に配下に加えた三体のゴブリンと合わせ、男の周囲には四体の魔物が立ち並ぶ。
「ふむ……少しは俺自身も強くなったか?」
握った拳にわずかな力が漲る感覚を確かめながら、男――元魔王は呟く。配下が増えるたびに、確かに自身の肉体も強化されていく。だが、それは全盛期の力に比べれば塵にも等しい。
彼はふっと息を吐き、思考を切り替えた。
「さて、今後の行動指針を決めるか」
まずは情報だ。
――ここがどこなのか。
――自分が死んでからどれほどの時が流れたのか。
――世界はどう変わったのか。
それを知らねば、動きようがない。
「……目的か」
自嘲気味に口元が歪む。前世で掲げた大義は、既に灰のように消え失せている。
争いをなくし、平等を実現するために掲げた「支配」という理念。結局は誰も救えず、ただ血と怨嗟を撒き散らしただけで終わった。
「……特に、無いな」
しばしの沈黙ののち、ぽつりと答えを口にした。
「そうだな。今世では――自由に生きる。何にも縛られず、ただ俺の望むままに」
その言葉を吐いたとき、胸の奥にわずかに広がった解放感が、彼の進むべき道を決定づけた。
「そうと決まれば、まずは街を目指すか。自由のためには金がいる。そして力も……全盛期とまでは言わんが、ある程度は取り戻す必要がある。まだまだ配下を増やさねばな」
その瞬間――。
『グルァッ!』
警戒の声が、森の奥から響いた。配下の一体を偵察に出していた方向だ。
「……襲われたか」
男は足早に駆け出す。木々の間を縫い、草を踏み分けると、そこには血と牙が交錯する光景が広がっていた。
『グルルゥ……』
低く唸る獣の声。
森の影から現れたのは灰色の体毛を持つ獣型魔物――グレイウルフ。三体。
そのうちの一匹が、配下のゴブリンの首筋に食らいついていた。
「グレイウルフ……」
牙は鋭く、動きは俊敏。群れで行動し、素人の冒険者にとっては命取りとなる魔物。
「こっちはゴブリン四体か。まあ……やれ」
男の指示と同時に、配下のゴブリンたちが一斉に飛びかかる。
二体が左右から回り込み、逃げ道を塞ぐ。首を噛まれていた一体も、黒い力により即座に回復し、逆に牙を喰らったまま狼の体を押さえ込んだ。
「……一体ずつ確実に仕留めろ」
命じる声は冷ややかだ。
死を恐れず、痛みを知らぬ兵たちの突撃は、じわじわと狼たちを追い詰めていく。
棍棒が振り下ろされ、骨が砕ける音とともに、一匹のグレイウルフが絶叫を上げた。
『ギャンッ!』
動きが鈍った瞬間、他の配下が畳みかけ、狼は抵抗する間もなく地に沈んだ。
残る二体も時間の問題だった。俊敏さはあっても、知性は乏しい。容赦ない包囲の前に、やがて三体とも倒れ伏す。
「『――蘇れ、グレイウルフ』」
闇が渦巻き、死肉が新たな配下へと変わる。黒みがかった毛並みを持つ異形の狼が男の前に跪いた。
「これで俊敏さも手に入れたか。順調だな」
口元に小さな笑みを浮かべ、森の奥へと歩を進める。
⸻
森を抜けるまでの間に、さらに魔物を狩り、配下は増えた。
ゴブリン六体、グレイウルフ四体。そして人間と同じほどの体躯を持つオークまでも。怪力を誇るその魔物が膝を折ったとき、男の筋肉は明らかに強化されているのを感じた。
「……だいぶ“使える”力に戻ってきたな」
やがて木々が途切れ、道が現れる。街へ続く街道だ。
⸻
だが、その道の途中で――。
街道を歩く男の前に、四人組の盗賊が現れた。
鎧をまとった戦士風の男がリーダー、短剣を持つシーフ、背後に弓を構える者、そして魔法使い。小隊として動ける構成だ。
「おいおい、にいちゃんよ。命が惜しけりゃ、有り金置いて立ち去りなぁ」
男はわずかに眉をひそめるだけで、動かない。
「……金なんて大した額は持ってないが」
リーダーがニヤリと笑い、ぐっと剣を握り締めた。
「クク……手ぶらに見えるな。だがこの道を抜けたってことは何かしら道具かスキルを持ってるに違いない。大人しく渡しな!」
「断ったらどうする?」
「殺すに決まってる」
男は静かに右手を掲げた。
「――来い、我が配下たちよ」
闇が裂け、黒い影が次々と現れる。
十体のゴブリン、七体のグレイウルフ、そして巨躯のオーク。
盗賊たちは一瞬、言葉を失った。
「な、なんだこりゃ……!?」
リーダーの声が震える。彼の胸に恐怖が染み込むのを、男は静かに見守る。
「……やれ」
冷徹な指示が、森の空気を凍らせた。
⸻
戦士が突進してきた。
剣を振り下ろすその刹那、男は動かずとも片手を振った。
地面に伏していた配下のゴブリンが素早く跳び上がり、戦士の足元を押さえ込む。
刃は空を切り、戦士はバランスを崩したままゴブリンに押し倒される。
「なっ……!?」
背後から弓矢が飛んだ。矢はゴブリンに刺さる。
だが痛みを感じぬ配下は動じない。魔力で即座に回復し、再び戦士を押さえ込む。
別のシーフが素早く近づき、短剣を振りかざす。
「――!」
だが、男は片手を少し横に動かすだけで、死体から蘇ったゴブリンがシーフの腕を掴み、投げ飛ばした。
鈍い音と共にシーフが地面に叩きつけられる。
弓使いが叫ぶ。
「何者だ!?」
魔法使いが火球を放つ。
オークが盾のようにその攻撃を受け止め、一瞬の隙をついて戦士に突撃する。
男は一歩も動かず、指示だけで戦況を掌握している。
「全員、包囲しろ。確実に仕留めろ」
黒い渦に吸い込まれた死体から、次々と配下が現れる。
成長した配下たちは、敵の動きを読み、無慈悲に襲いかかる。
戦士が必死に剣を振り、弓矢が飛び交う。
だが、再生するゴブリン、俊敏なグレイウルフ、怪力オークの連携の前に、次々と倒れていく。
「ぐぁあああっ!」
盗賊の悲鳴が、風に掻き消される。
リーダーだけが最後に残った。
全身傷だらけ、剣を握る腕も震え、震撼する目で男を見つめる。
「お前は……一体、何者だ……!」
男はふと、自分が今世での名を決めていないことに気づく。
魔王として名を知られる必要はない。自由を求めるのに、過去の名前は鎖にすぎない。
「俺は……ゼオン。自由を求める、ただの亡霊だ」
リーダーの目が恐怖で見開かれた瞬間、オークの棍棒が振り下ろされ、戦いは終わった。
⸻
こうして街道の盗賊は壊滅し、ゼオンの存在は再びこの世界に刻まれた。
自由を求める歩みは、まだ始まったばかりである。
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