第1話 復活
「……ふむ。成功か。」
男はゆっくりと目を開いた。
木々のざわめき、湿った土の匂い、鳥の声。そこに広がっていたのは、見知らぬ森だった。
「場所も時代も分からぬ、か」
口に出してみても、返るのは風に揺れる葉擦れの音だけだ。
その静けさは不気味でありながらも、久しく忘れていた現世の感触を思い出させ、奇妙な安堵すら覚えさせた。
まずは現状の確認。
己の身体に視線を落とす。
「肉体は……かなり若いな。二十歳か、いや、十七、十八といったところか」
白く細い腕。筋肉は薄く、皮膚は柔らかい。かつての漆黒の鎧に包まれた肉体とは比べるべくもない。
身にまとっているのは粗末な布服に黒いマント――まるで旅人のような地味な格好だ。
「……生成されただけでも良しとするか。それよりも――」
軽く身体を動かす。肩を回し、足を踏み出す。
だが、すぐに違和感に気付いた。
「若返ってはいるが……身体能力はかなり落ちているな。この年齢の平均よりも下か?」
かつて人類の頂点に立ち、神敵すら屠った己と比べるのも愚かだろうが、それでも落差に苛立ちが滲む。
「身体がこれということは……」
右手を掲げ、低く呪文を紡ぐ。
「我が言葉に応じて甦れ――エンシェント・ダークドラゴンよ」
沈黙。
森の空気は揺れず、土も木々も反応を見せない。
「……やはり、ストックは消えたか。魔力だけはそこそこ残っているようだが」
深い溜息をつく。
無限に続く戦いを望んだわけではない。だが、己が誇りでもあった「力」が、これほどまで削がれていることに小さな喪失感が胸をかすめた。
それでも今は受け入れるしかない。
――
森を歩き始めると、やがて一本の大木の根元に横たわる人影が目に入った。
「……死体か」
近寄ると、まだ若い少年だった。年は今の自分と同じか、やや下。
粗末な革鎧に短剣一本。腹部は深々と裂け、血はすでに黒く乾いている。死後一日は経っているだろう。
「新人冒険者……か」
しばし黙って見下ろした。
自分もまた敗れ、死に、そして甦った身。
この少年にはそれが叶わなかった。
「……見ず知らずの少年よ。貴様の荷物、貰い受けるぞ」
それ以上の感傷を抱かぬのが魔王の性分だった。
少年の腰からナイフを一本、そして小さな布袋を取り上げる。袋の中で硬貨が数枚、寂しく触れ合う。
「見たことのない貨幣だな。……ふむ。やはり人のいる場所を探すべきか」
歩みを再開しようとした、その時。
――ガサリ。
茂みが揺れた。
耳が捉えた小さな物音に、思わず視線を向ける。
「……魔物か」
次の瞬間、緑色の小鬼――ゴブリンが飛び出してきた。
血走った目をぎょろつかせ、粗末な木の棍棒を振りかざしている。
「さて……今の俺で倒せるか?」
全盛期なら指を鳴らすだけで塵も残さず消し飛ばせた相手。
だが今は、ただの人間以下の身体能力、武器は拾ったばかりのナイフ一本。
――ギギィ!
甲高い咆哮と共に、ゴブリンが飛びかかる。
「ちぃ……!」
舌打ちしたのは、敵にではない。
動きが鈍い。反応が遅い。思い描いた通りに身体がついてこない。苛立ちと焦燥が胸を締め付ける。
棍棒をかろうじてかわし、間合いを詰める。
ナイフを横薙ぎに振り抜き、ゴブリンの首筋を浅く裂いた。
――ギギャ!
断末魔が漏れる。血を散らし、一瞬怯んだその隙を逃さない。
渾身の蹴りを叩き込み、浮いた小柄な身体にさらに刃を振り下ろす。
刃は首を深く抉り、今度こそゴブリンは絶命した。
「……ふぅ。ゴブリン如きに苦戦するとは」
荒い息を吐きながら、死骸を見下ろす。
情けなさと同時に、奇妙な高揚感があった。
久方ぶりの戦い――その実感が、確かに身体を震わせていた。
男は右手を死骸にかざした。
「言葉無き屍よ――我が軍門にくだれ」
低い声が森に響く。死骸の周囲に黒い渦が巻き起こり、肉体を飲み込んでいく。
やがて消え去った渦は男の身体へと吸い込まれ、内側に馴染んだ。
「……成功だな」
続けざまにもう一度詠唱する。
「我が命に応じて――顕現せよ」
闇が形を成し、黒ずんだ肌のゴブリンが姿を現した。
先ほど倒した個体を素材にして生まれ変わった存在――従属する「配下」。
「懐かしいな。我が力よ」
全盛期に比べれば、今はかすかな片鱗に過ぎない。
だが確かに、魔王の力が蘇りつつあることを実感した。
――ギギィ!
前方で、新たな影が蠢く。三体のゴブリンが茂みから現れ、唸り声をあげた。
「……三体か。ならば――行け!」
配下のゴブリンが吠え、棍棒を構えて突進する。
野生のゴブリンたちは一瞬戸惑ったが、すぐに敵と認識し、牙を剥いた。
棍棒と棍棒がぶつかり、木片が飛び散る。
痛みを知らぬ配下は怯まずに斬り込み、押し返していく。
「……よし。まだ戦える」
男はナイフを握り直し、配下と連携して敵を挟み込んだ。
鋼の閃きと黒い影の突撃。
やがて三体のゴブリンは次々と血に沈んだ。
「……ふぅ。何とかなったな」
全盛期の威容とは程遠い。だが、確かな手応えはある。
配下一体を得ただけで戦いの幅は大きく広がった。
男は森の風を胸いっぱいに吸い込み、久しぶりの勝利を静かに噛み締めた。
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