どうやら終わったぞ。やれやれ。
雨粒が身体に落ちるたび、削られた力が少しずつ戻ってくる。
とはいえ微々たるものだ。さっきの炎をあと一発まともに貰えば、多分死ぬ。無策では突っ込めない。単純な能力なら相手が勝つ。
「おーい、ぷに太郎? 聞いてるぅー?」
その言葉にピクリ、と反応した俺を見て男が嗤う。
「おお〜! 凄いねぇ、やっぱり分かるんだ。流石メイちゃんのお友達だねえ! こりゃあますます楽しみだわ!」
その言葉に呼応したように俺は動き出し、男との距離を詰める。その姿を見て男がニヤリとしたのを俺は見逃さなかった。
そうだ動け。考えろ。そして相手に考えさせるな。力で劣るなら知恵で勝て。一つずつ負け筋を潰せ。
俺は先程と同じく男に飛び掛かるフリをして、付かず離れずを維持しながらメイと距離を取る。
どうやらこいつは俺たちを連れて帰る気らしい。なら、すでにボロボロのスライムに火魔法は使わない。何か他の方法があるはずだ。
それも魔法か? じゃあ何でさっき使わなかった? 距離じゃない。体力か、或いは……
男も慎重だった。ヘラヘラ笑っているくせに片手で顔を覆っている。成程、俺を倒すくらい片手で十分ってわけか。
……待てよ。逆に考えろ。口を警戒してるってことは、まさか詠唱か? ベタだが、強い魔法は呪文が必要ってことか?
「なあお前、もしかしてメイちゃんと離れようとか思ってる?」
咄嗟に足が止まる。しまった、動きに出た。男が嗤う。
「あはっ! ぷに太郎は私の、自慢の友達なのー!」
狂ったように身を翻してスキップする。その先にはメイがいた。俺は叫びながら、反射的に飛び掛かった。殺してやる。十分回復した。詠唱が弱点なら、振り返る前に後ろから絡みついて口を潰してやる。
「やっぱ、そうくるよなぁ」
男は冷静だった。俺の行動を予測して横に跳ぶ。躱された。こんな奴に。負けた。読み負けた。
着地際、男が手を向ける。掌が白く光る。避けられない。メイ。
「隷属魔法!」
終わった。そう思った。
しかし、何も起こらない。
「…………え?」
「えっ?」
お互いの時間が止まる。何だ、何かされたのか?
「……っまたかよおぉっ! クソ、クソっ! クソがぁ! 何っでだよおおおっ!」
よく分からないが失敗したらしい。なら、機を逃すな。これが最後のチャンスだ!
俺は地面を這って体を伸ばした。伸ばした先は男の足元。そこにメイの鎌が落ちている。柄に身体を巻きつけ、伸び切った身体を縮める。
「うわああっ!」
狙う場所は既に決まっている。俺が治した。クソったれ。
「ぎゃあああああぁーーーっ!!!」
そのまま反動をつけて、刃先を男の膝の傷へ突き立てた。浅い。だがこれが俺の精一杯だ。
治りかけの傷から血が吹き出して、男が地面に転がる。
「いやあああっー! 痛いイタい痛イィーっ!」
うるせえぞ。それともまた演技か?
俺は鎌を離し、そのまま男の身体を駆け上がった。
「や、やめ――」
目と鼻と口を覆うだけ。必要最低限。本体は服の下から胸と背中に。
「んーっ!!」
噛み切ろうと口を開く。良いぞ開け。だが、口の中には入らない。あくまで隙間を覆うだけ。膝の痛みもある。それで十分、苦しいはずだ。
「…………ッ!!」
男の肩から力が抜けた。火魔法が来る。
だがその手が今度はピタリと止まる。やれやれ、散々やってくれたな。だが、今度はこちらが嗤う番だ。
男の手が不安そうにフラフラと揺れる。そりゃそうだ。そのために身体を散らしてるんだから。顔か? 腹か? 首か? 好きな所を焼いて良いぞ。
だが男は慎重に手の位置をずらして的を絞る。今度は手のひらではなく指を向けた。どうやら、口と鼻だけを狙う気らしい。見かけによらず本当に器用な奴だ。
「…………」
狙いが定まる。熱を感じる。……‥今だっ!
俺は一気に身体を縮めた。
勢いよく、指先から炎が走る。そして剥き出しになった鼻と口を焼く。
「ぶあああああああっ!!!」
男が絶叫した。
顔を覆いながら、その場を転げ回った。
「熱いっ! 熱いぃっ! ああああああっ!!」
自分の魔法でも熱いものは熱いんだろ。ザマァみろ。やれやれ。
男は顔を押さえたまま地面を転がっている。鼻の周りが赤黒く焼け、唇が爛れて不自然に傾いている。呼吸する度に激痛だろう。立ち上がることすら辛いはずだ。
勝った。
「…………」
気絶したのか? そう思った瞬間。俺は目を疑った。
男がゆっくりと立ち上がったのだ。目は虚ろなまま。しかし、その手には鎌が握られていた。
まだやれるのか……?
男は目の焦点が定まらないまま、ふらふら片足を引き摺って向かってくる。
やはり、殺すしか無いのか。そう思って、俺が飛びかろうとした瞬間、男は地面を蹴って倒れ込むように飛びかかった。
標的は俺ではなかった。メイだ。油断した。鎌の刃がメイの首元に触れる。
「うごぐなァ!!!」
俺は身体をピタリと止める。それを見て男は再び笑う。唇はいびつに歪んで、目だけで辛うじてそれが分かった。
「凄いな……」
男が荒い息を吐く。爛れた唇がまた歪んだ。
「……本当に頭良いよ、お前」
俺は動かない。動けない。分かっている。
「ぞう。ぞれでいいんだよ」
男が手をかざす。諦めるな。雨はまだ降っている。最初のダメージはほぼ全快した。一発なら耐えられる。それに乗じて隙をつける。死んだフリをするか。鎌さえ奪えれば、まだチャンスはある。先ずは鎌を持つ手を覆ってからーー
「心配ずるな。ぢゃんど殺じでやる」
……ダメだ。コイツは分かっている。皮肉な話だが、何となく分かる。コイツはどこか、俺に似ている。
「あ゛ぁ……だのじがっだぁ……」
ガンッ
「……え゛?」
男の頭が揺れ、同時にドサリと倒れ込んだ。地面に何かが転がる。石だ。拳大の石が後頭部を打ったのだ。
「……」
そしてガサガサと茂みが揺れたかと思うと、奥からさっきのゴブリンが出てきた。
片腕はだらりと垂らしたまま、もう片方でナイフを握りしめている。だが依然として目は死んでいなかった。
「お前……」
「ゴ、ロス……!」
ゴブリンが刃物を引き抜いた。倒れた男の腹に突き立てる。
ゴポッという音と共に、男の口から血が吹き出た。
もう一度。
今度は刺したところから血が吹き出し、飛び散る。
もう一度。もう一度。もう一度。
何度も何度も刺す。男は最初の数回はビクンビクンと痙攣していたが、その内動かなくなった。それでもゴブリンは刺すのをやめなかった。
辺り一面血だらけだった。傷口だけではなく、男の目は飛び出るくらいに見開かれ、口元から血が吹き出し、凄惨なものだった。スライムでなければ間違いなく吐いていたところだ。
これが復讐……というものなのだろうか。それならばこいつとこいつの親が受けた苦しみは、想像を絶している。復讐は何も生まない、なんて言えるはずもない。
あれだけメイに早く起きて欲しかったのに、今は頼むからもう少しだけ目を覚さないでほしい、と思った。
ほんの数分のはずが、永遠に感じられた。ようやく、ゴブリンがナイフを落とす。終わったのだ。
血の匂いがする。雨は益々強くなったが、地面にこびりついているようで消える事はなかった。ゴブリンは立ち上がった。復讐を果たしたのに、顔はピクリとも動かなかった。
「……悪かった」
話しかけるべきではなかったかもしれない。ただ、そうせずにはいられなかった。
「その……よかったらケガした腕を診せてくれないか? お詫びってのも変だが、俺に治させてくれ」
ゴブリンは俺を見てから、メイを見て、それからまた俺を見た。返事は無かった。ただ、穏やかな目だった。
そして男の死体を掴み、引き摺りながらどこかへ運んでいった。俺はその背中が消えるまで、目が離せなかった。どうかこれからは彼が、静かに暮らせますように。




