生きていて、良かった。
(ああ、どうして俺はいつもこうなんだろうな……)
少女に手を引かれながら、男は自分の不甲斐なさを歯噛みした。
思えばこれまでも不遇な人生だった。親父はそこそこな商人で、家は裕福だったが、そのせいで周囲からは妬まれた。ガキの頃は魔術適性があったお陰で神童と言われ、将来に箔が付くからと、頼んでもいない魔術学校に入れられた。
その結果得られたのは、自分より上はいくらでもいるということ。残念ながら俺は一握りの人間ではなかった。唯一良かった事は、そこで二人の親友に出会えた事だ。
二人は俺の支配の魔法をいつも羨望の目で見ていた。心が強ければ簡単にレジストされるし、隷属の魔法は弱い魔物くらいにしか効かない。
だがそれでも、学校にいるときは色々やった。魔物を使って金を盗んだり、気に入らないやつを襲わせたり。女だって攫い放題だった。思えばあの時が人生で一番輝いていた。
だが親父のせいで、全部がダメになった。息子だぞ、俺は。普通見逃すだろ。おかしいよ。だから出所してから、真っ先に殺してやった。
今さっきだってそうだ。最初はいつもの遊びのつもりだった。子供のゴブリンを操って、親ゴブリンを殺す遊び。あの時の親のびっくりした顔は傑作だった。あの時まではあいつらもゲラゲラ笑ってたのに。まさか怒りで催眠が切れるなんて。本当についてない。俺がもっと上手くやれていれば、あいつらも死なずに済んだのに。許せねぇよ、あのゴブリン。この怪我が治ったら、親父みたいに全身ズタズタに刻んで、真っ先に殺してやる。
(……それにしても)
右足を引きずるたびに痛みは走るが、歩けないほどではない。
男は時折、不思議そうに自分の膝へ視線を落とした。
「……本当に凄いな、あのスライムは」
「うん……私の、自慢の友達なの」
「友達……か」
男は今しがた失った、自分のかけがえのない友たちを思い出していた。自然と声が震え、嗚咽が漏れた。
「痛いの? もっとゆっくり歩く?」
「違うんだ……。ありがとう……お嬢ちゃんは優しいな」
「ううん。きっと、大事な人たちだったんだよね」
ああ……何て優しい、良い子なんだ。人生、悪いことがあれば良いこともある。全てを失ったが、悪いことばかりじゃない。俺にはわかる。少し小さいが、身なりを整えて、あと五年もすればかなりの美人になるだろう。それにあのスライム。下手な治癒魔法よりもよっぽどすごい回復能力だ。
どう考えてもあれはやばい傷だった。もしかしたら刃に毒も塗られていたかもしれない。それがまさか、この短時間でここまで歩けるようになるとは。
間違いない。
これは神様が俺に与えてくれた奇跡だ。
あいつらの代わりに、俺にこの天使と最高の金づるを運んできてくれた。人生、頑張ってさえいれば良いことがある。こればっかりは親父の言うとおりかもしれない。ああ、俺だけでも生きていて良かった。
「なあ、お嬢ちゃん」
ふいに男が歩みを遅らせる。メイは手を引いたまま振り返ると、男は優しげに笑いかけた。
「なに?」
「あのスライム、お嬢ちゃんは友達って言ってたよな? もしかしたら魔物使いの才能があるかもしれないよ」
予想外の言葉だった。
その瞬間、メイは思っていたよりずっと自分が焦っている事に気づいた。もうこの手を離して、一刻も早く助けに戻りたい。
だが、メイが手を緩めても男は一向に離そうとしなかった。
「おじさん、メイ今急いでるんだけど!」
「待ってくれ、メイちゃん。大事な話なんだ。だってもしそうなら、君は俺と同じ才能を持ってるって事なんだから! それがこんな森で偶然出会った。それがどれだけ凄い事か、メイちゃんも分かるかい?」
「え……」
様子がおかしい。普通じゃない。メイはもう明確に男の手を振り払おうとしたが、男はさらに強く、メイの手首を締め上げるほど強く握った。
「ちょっと、やだ! 離してよ!」
もう片方の手で必死に男の手を剥がそうとするが、ブンブンと手を振ってもびくともしない。力が強すぎる。
驚くべき事に、その様子を見た男は信じられないといった風に困惑していた。
「なんで? 俺のことが好きだから助けたんじゃないのか?」
「なに、何なの!? 気持ち悪い……この、離してよ!」
「やれやれ、仕方ない子だ。……まぁ良いさ。スライムを拾ってこの森を抜けたら、俺の家に行こう。そこでゆっくり、二人でお話ししようね」
そう言うと、男はもう片方の手をメイに向ける。手のひらを向けて、ゴニョゴニョと小さく呟いた。
「催眠魔法」
「ま、魔法?」
思わず目をつぶって身を縮めるメイ。しかし、いっこうに何も起こらなかった。
目をうっすら開けてみると、男は見るからに困惑していた。
「あれ? あれ?! なんで、ちゃんと発動したのに!」
「……っこの、死ね! ヘンタイ!」
その隙にメイはポケットから鎌を取り出し、勢いをつけて男に切り付ける。
「ヒィッ!」
浅い。身体に向けて振り切るべきだった。鎌はメイの腕を掴んだ手首の先を少し切り裂いただけだった。
「刃物はダメーッ!!!」
逆上した男が悲鳴にも似た叫びをあげてメイを平手で打つ。華奢な体は一メートル程吹き飛んで、メイは地面に倒れ込んだ。
一瞬、視界が白けた。何が起きたのか分からなかった。視界が揺れて、頭の中に殴られた方の耳からキーンとした音が鳴り響いている。口の中にも血の味が広がった。
「酷いよ……さっき刺されてたの見てなかったのかよっ! おかしいって、メイちゃんさあ! さっきからおかしいって!!」
何か捲し立てているようだが、頭がぐわんぐわん揺れて聞こえない。分かっていることは痛みと恐怖で足がすくんで動けないこと。そしてこれでもう、ぷに太郎を助けに行くことは出来なくなったということだけだ。
こうしている間にもぷに太郎はたった一匹でゴブリンと戦っている。行かなければ。でも、身体が動かない。
……どうしてこうなったのだろう。本当なら今頃、秘密の場所でぷに太郎と一緒に木苺を食べているはずだったのに。
今思えば男を助けに行くと決めた時、何となくぷに太郎が反対しているような気がしていた。それを無視して自分が行ったから、罰が当たったんだろうか。
(助けて……)
誰に祈るでもなく、メイはそう思った。
その時だった。
茂みから小さな影が飛び出して、男の顔にへばりついた。
「うわあぁーっ!?」
男が情けない声を上げる。だがそれも束の間。顔にへばりついたスライムは男の顔どころか首全体に覆い被さり、ヴヴヴと唸るような鳴き声を放っている。
「ぷに太郎っ……!」
良かった。生きていた。メイの目に涙が溢れる。安心した途端、力が抜けて彼女は意識を手放した。




