俺の飼い主は凄いらしい。
森に入ってからしばらく経った。日没までまだ時間はありそうだが、段々と雲行きが怪しくなってきた。もう薬草も十分に採れただろう。そろそろ引き返した方がいいと思うんだが。
だがメイは俺の心配をよそにどんどん森の奥に進んでいく。まあ俺はここでは新参者だ。大人しく現地人の判断に従うぞ、やれやれ。
チゥチゥ
――レベルアップしました。
はあ、いちいちうるさいぞ。
「ぷに太郎、さっきからずっと私の背中に張り付いてるけど、そんなに気に入ったの? やっぱり女の子の身体を触るのが好きなだけのえっちなスライムなの?」
やれやれ、人聞きが悪い。
「まあひんやりして気持ち良いけど。あとなんか、髪もベタベタしないし。服も臭くないのよね。この感じならもう二、三日いけるかも?」
ふん。そのうちもう一着くらいどうにかしてやるから待ってろやれやれ。
「もうちょっとで木苺の茂みがあるから、それ摘んだら帰ろうね。ホントは秘密の場所なんだけど、ぷに太郎がお家に来たお祝いに特別に教えてあげる。明日はご馳走だよ」
…………
その時だった。ふいにメイの足が止まる。そして次の瞬間、身を屈めて近くの茂みに入り込んだ。
「しっ! 動かないで」
いきなりどうした。
物音を立てないようにメイの背からスルリと降りて、視線の方へ目を凝らす。見ると、茂みの少し先に太った中年の男が膝を抱えてうずくまっている。
遠目からではよく分からないが、様子を見るに怪我をしたらしい。起きあがろうとしては倒れ、それを幾度となく繰り返している。
メイを見た。警戒を続けながらも、顔は真っ青だ。恐怖ではない。ただ見てしまった。だからこそ、もう選択は避けられない。
「どうしよう……」
声が震えていた。
俺はまっすぐに彼女を見つめる。
相手が分からない以上、迂闊に関わるのは危険だぞ。見なかったことにしても誰もお前を責めないぞ。
「ぷに太郎……」
やれやれ、任せておけ。まあ何とかなるさ。
メイは俺を見てから、男の方を見てコクリと小さく唾を飲み込む。そしてゆっくりと歩き出した。俺もその後をつける。
茂みが揺れる音に男は一瞬ギョッとした顔を向けたが、相手が十歳やそこいらの少女だと見るや、フーッ、と大きくため息をついた。
「おじさん、大丈夫?」
メイは男から十メートルほど距離をとったところで立ち止まり、できるだけ落ち着いた風を装った。
「……ああ、驚かせてしまってすまねぇな。お嬢ちゃん一人かい? 悪いけど見ての通り足をやっちまってな。誰か近くにいたら、助けを呼んできてほしいんだが……」
男は唸るように声を吐き出す。脂汗をかきながら、警戒を解こうと恭しい笑みを浮かべた。向こうも必死らしい。
無理もない。
男の右膝は赤黒く染まっていた。右の太ももをズボンの上からロープできつく縛っているが、まだ止血できていないだろう。
「その傷どうしたの? 誰に刺されたの?」
そうだ。それでいい。
「……ゴブリンだ。いきなり襲われて、仲間が二人殺された。俺も戦ったがこのザマだ。頼むよ……まだ奴が近くにいる。このままじゃ殺されちまう。お願いだから助けてくれ……」
嘘をついているようには見えない。ただ、それなら余計に面倒なことになってきたぞ。
「残念だけど、ここに大人はいないわ。私はたまたま薬草を取りにこの森に来ただけだから……。でも、手を貸してあげる。一緒に逃げよう、おじさん」
メイは白い顔のまま、だが意を決したように声を吐き出すと、男に駆け寄って手を差し出した。
「うう……すまねえ。本当に、本当にありがとう……!!」
……やれやれ。ご主人にここまでさせたんだ。どこまでできるのかは知らんが、俺も一肌脱いでやるか。
俺は男がメイの手を取るより先に、ぴょーんと前に飛び出す。
「ヒィッ! す、スライム!?」
草むらからいきなり出てきたことに驚いた男が、思わずズゾゾッ、と仰け反った。
「大丈夫だよおじさん。この子は私の友達だから。どうしたの? ……まさかぷに太郎、おじさんの怪我、治せるの??」
分からん。でもやるだけやってみるぞ、やれやれ。
「スライムが友達……って、お嬢ちゃんまさか魔物使いなのか?」
「魔物使い?」
やれやれ。黙って治療されろ。
俺は怪我をした男の膝に巻き付き、すぐさま傷口を洗浄する。
「ギャーッ! イタイイタイイタイ!! 染みる染みる染みる!!」
うるさいぞ。
メイの足を保護した時の要領を思い出して、洗浄と消毒、それと自分の体を少しだけ千切り、傷口の保護をする。レベルアップを繰り返したことで薄々できるような気がしていたが、今はどうやら回復効果も付いたらしい。
数分もすると男の傷口から血が止まり、全快とはいかないまでも、立ち上がってゆっくり歩けるくらいまでは回復した。
男はさっきまでの脂汗も嘘のように引き、目をぱちくりさせながら俺を見る。
「信じられない……こんなことができるスライムがいるなんて……」
「凄い……! 凄いよぷに太郎!!」
メイはまるで自分の怪我が治ったくらいの勢いではしゃぎながら、俺に抱きついてきた。
やれやれ。悪くない気分だ。
「お嬢ちゃん、このスライムは一体……?」
男が食い入るように俺を見た。あまりに驚いたのか、自分の怪我やゴブリンのことなど忘れてしまったかのようだった。ジロジロ見るな。やれやれ。
だが、その様子を見てメイはますます誇らしげだ。
「凄いでしょー? この森で出会ったのよ。でもおじさん急がなくちゃ。ゴブリンがいるんでしょ? 私の肩に掴まって良いから、さっさとここから離れましょ」
「あっ、そうだな。すまん……」
ふん。この治療費は高くつくぞ。
そうして三人で来た道を戻ろうとした途端、後ろからガサガサと無遠慮な物音がした。
その音の正体を俺たちが振り返る間もなく、ギギィーッと黒板を爪で引っ掻いたような嫌な鳴き声が響く。
十五メートルほど先の茂みから、血のついたナイフを片手に持った小柄なゴブリンが一匹。こちらを見るやいなや、走り出した。
やれやれ。
最悪だな。




