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あなたを失うのが怖かった


 聖女の力と真帆の笑顔に、やっと私も同じような表情をできるようになった。そして、ハッとする。


「先生大丈夫ですか?!」


 腕の中にいるウールドリッジの金の髪はくすんで、綺麗な頬にはいくつもの傷がついている。いつも完璧な姿が砂埃と怪我に塗れていて、私の心は心配と動揺で泣きそうになっていた。

 けれど、彼は痛む体を起こして私をしっかりと見ている。


「大丈夫だ」

「よかった……」


 彼の安否を確認して、私はホッと安堵の息を吐いた。すると体の力が抜けて肺が大きく空気を吸い込み萎んでいく。


「吉乃、立てるか?」


 「ぐ、」と呻きながらもしっかりと立ったウールドリッジから差し出された手を取るが、体は動かない。恐怖と安堵で足に力が入らないのだ。


「ちょっと、難しそうです」

「…………」

「先に行っててください。すぐ追いつきますか、ら?!」


 腕を引っ張り上げられて首に回されると、彼はグッと力を入れて私を抱き上げた。


「せ、先生?!」

「少し黙っていろ」

「でも」


 彼は私を横抱きにして、そのまま歩いていく。避難したといえ、周りには生徒がいる。衆目を前にお姫様抱っこされて、私は恥ずかしさにどうにかなってしまいそうだった。


「それに、先生も怪我してるのに」

「問題ない。それより養護室へ行くぞ」


 全快ではないはずなのに、私を難なく抱いてしまえる彼の体にドキっと心臓を飛び上がらせる。


「このまま学園を闊歩しても良いんだぞ?」

「や、やめてください……」


 冗談を言っているはずなのに、本気に聞こえる。

 観念した私を見て、彼はスタスタと歩いていく。あれほどの戦いがあったというのに、通常に戻ったようなウールドリッジを見て安心したようだ。好奇の視線を送って、中には笑う者もいた。生徒たちに元の笑顔が戻ってきて嬉しいのに、私は羞恥で穴があったら入りたくなった。


 足早に入った養護室には誰もいなかった。きっと養護教師も現場へ駆けつけているのだろう。室内に置かれている救急セットや他にも備品が散らかっている。どれだけ急を要していたのか見てとれて、学園がいかに危険な状態だったのか再確認させられた。


「ここに座ってろ」


 ウールドリッジにベットへ下ろされ、彼は散らかった黒檀の棚から薬を取り出す。その度に割れた薬の瓶を踏む音が静かな養護室に響いた。


「どこを怪我した?」


 必要そうな薬たちを持ってきた彼は私の隣に腰をかけた。優しく私の手を取って怪我を確認するが、重症なのはウールドリッジの方だ。


「それより、先生が……!」

「大丈夫だ」

「大丈夫じゃありません!」

「問題ない」

「でも……!!」

「黙れ!」


 声を荒げたウールドリッジに肩が跳ねる。


「なぜ俺の前に出た!? 魔法も使えないお前が俺を庇ったらどうなるわかるだろう!?」

「……っ!!」

「お前が死ぬかもしれないと思った俺の気持ちが分かるか!?」

「……だって……」


 彼の言葉はもっともだった。私が彼の前に出たって何の意味もない。ただ死人が一人増えるだけだ。でも、あの時はなにも考えられなかった。


「先生を、失いたくなかったから……!!」


 理性より大きな感情が体を動かした。彼が死ぬ予感を察知した時にはもう走り出していたのだ。


「先生こそ私の気持ちを分かっていますか?! あなたが死んでしまうと思うと、わたし、わたしは……!」


 ポロポロなんて可愛らしい涙ではない。熱い滂沱の水滴が頬を濡らして、うまく空気が吸えない。鼻がツンと痛んで、目の前の彼の姿が揺らいでいく。こんな悲しみと恐怖は生まれて初めてだ。


「……吉乃」


 先ほどとは違う優しい声が耳に触れる。でも泣き止めなくて、押し殺したはずの声が漏れてしまう。脳内に浮かぶのは命の燈が消え、ぐったり四肢を投げ出した彼の映像だ。それが、現実にならなくてよかったという安堵と、真帆が間に合わなかったら本当になっていたという恐怖で体の震えが止まらない。


「大丈夫だ」


 滝のように流れていく涙を堰き止めるように、頬を撫でる彼の手は素肌だった。傷だらけだから見せるのを嫌がっていたのに、私の涙を拭うために晒してくれている。


「俺は生きているだろう?」


 涙の間から緩やかに上がった唇が見えた。その表情が、また私の視界を歪ませた。


「……抱きしめてもいいか?」


 コクコクと頷いた私にそっと触れて、ギュッと抱きしめてくれる。香水の匂いは消し飛んでいて、土と砂の匂いがする。その中に汗の匂いがして、確認するように首筋に顔を埋めた。


「よかった……先生が生きててくれて、よかったぁ……!」


 震える手が彼の背中に縋る。温かい体温が伝わってきて、私の感情を揺れ動かす。


「吉乃……」


 目尻を指先で触れる彼は少しだけ震えていて、失う恐怖はお互い様なのだと実感した。

「先生……」


 これは、気のせいじゃない。

 私と同じように、彼の心の中に、私がいる。

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