寝かしつけと言われましても
学園を襲った瘴気から、後始末と復旧に慌しかった日々の中で、キッチンの勝手口にやってきたのはウールドリッジだった。
「先生? どうしたんですか? 忙しいはずじゃ」
精鋭の中でも特に優秀な彼は、数日部屋に帰っていないと聞いていた。それを如実に感じさせる疲労に染まった顔に、私は戸惑う。
「……今、いいか?」
「あ、はい。もちろんです!」
疲れている中で会いにきてくれた嬉しさを隠す努力はしてみる。
「悪いんだが……」
「また、何かあったんですか……?」
落ち着いたはずの恐怖が、また体を震わせて声を小さくさせてしまった。それに気づいたウールドリッジは「違う」と首を振った。
「吉乃の部屋はどこだ?」
「え?」
「女子寮というのは分かっているが、少し休ませて欲しい」
女子寮は男子禁制。それは教師であっても同じで、キッチンが許されているのは私のテリトリーで判断を委ねられているからだ。
でも、彼は私の部屋と言った。本当なら断らなければいけない。生徒の模範であるべき寮母が、ルール違反を犯してはいけないと分かっているのだが。
「ダメか?」
疲れて覇気のないウールドリッジを見てしまうと、私の天秤はすぐに重しが傾いてしまった。
「な、内緒ですよ……?」
「分かっている」
キッチンの灯りを消して、暗い中を足音を立てないように、こっそりと部屋へ案内した。
「ここが吉乃の部屋か」
「先生のところと違って狭くてすいません」
「いや、良い部屋だ」
部屋にウールドリッジがいることに違和感を感じてソワソワしてしまう。過去の恋人には感じなかったのに、彼に私の全てを見せているようで、自分の部屋なのに落ち着かない。
「そ、それでどうして私の部屋に?」
振り向くと、彼はいつの間にか私のベッドに座っていた。我が物顔で一切の遠慮は見られない。
手招きをされ、そろりと近づくと手を取られて引き寄せられる。ぐらりと変わる視界には、彼の顔が間近に迫っていた。
「俺は疲れている」
「そ、そうですね」
「それに眠い」
「でしょうね」
学園のことに授業も行われる。まさに寝る間も惜しんで仕事をしているのだ。疲労が溜まっているのは見なくてもわかる。
「寝かしつけてくれ」
「え?」
「ダメか?」
「こ、ここで寝るんですか?」
「あぁ」
迷いのない瞳に、これは動かないなと悟った。でも、疲れて辿り着く場所が私であることが嬉しくて、ウールドリッジの頬を撫でる。
「とりあえず、楽な格好にしましょう?」
ジャケットとネクタイを取って投げ捨てた彼の粗暴な様子に苦笑しながら私はソファへ座る。そして机の置いてある本を取った。寝かしつけには、やはり読み聞かせに限る。
「何をしている?」
「え? 朗読をしようかと……」
「俺は子供じゃないぞ」
「でも、寝かしつけって……」
私の知っている寝かしつけは絵本を読むか歌うくらいなのだが、彼は何を望んでいるんだろうか。そう考えていたら腕を引っ張られて、そのままベッドにドサリと沈み込んだ。
「俺が望んでいるのは抱き枕だ」
「そ、それって……! ちょっと、先生!」
少し声を上げたら、彼は形のいい唇に指を当てた。
「静かにしないと生徒が起きるぞ?」
「……!!」
「大人しく抱き枕になってくれ」
ギュッと抱きしめられて、彼の胸に顔が埋まる。シャツ一枚を隔てた体温と感触に胸が煩くて、この音が聞こえてしまうのではと気にしていたら、上から「ふっ」と笑う声が落ちてきた。
「うるさいな。……だが、悪くない」
抗議の声も上げられず、じっと体を硬くしていると髪に顔を埋められ匂いを嗅がれる。
「安心するな……」
「それは、よかったです……」
「あぁ、ずっと抱いていたい」
ドキリと胸が酷く高鳴って何も言えずにいたら、皮膚に触れる穏やかな寝息に、彼が眠ったのだと察する。最小限の動きで顔を覗くと、スウスウと寝息を立てる安心し切った寝顔をしているウールドリッジがいた。
いつも眉間に縦皺を刻んでいる眉は下がり、威圧感を感じる雰囲気は柔らかく無防備だ。自分だけが見える姿だと思うと安心感を与える存在であると実感する。
(先生、疲れてるのね。そんな中で私に会いにきてくれるなんて……)
養護室で互いがかけがえの無い存在だと口にしてから、私たちの絆は強固なものだと認識し、そしてーー。
(この気持ちは言葉にしてもいいのかな……?)
でも怖い。勘違いだったらとは思わない。それでも、私はいつか帰る人間で、彼は残る人間だ。容易に口にしてはいけない気持ちだった。
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