↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
64/68

月晶花


 鼻を掠めたひんやりとした香りに、ふっと目を開く。


「っよしの!」

「せ、んせ?」


 視界にはウールドリッジがぼんやりと見える。


「大丈夫か?」


 心配そうにする紫色に、私は倒れたことを思い出して勢いよく起き上がる。すると、くらりと眩暈がして、ウールドリッジが慌てて抱き止めてくれた。


「ごめん、なさい」

「いいや、平気だ。それより体調はどうだ?」

「あ、」


 ふらつく視界を無理やり定め、右手を挙げると指に力が入らない。これは明らかにおかしい状態だ。もしかしてどこか病気なのだろうかと不安になる。きっと情けない顔をしている私を気遣って、背中を支える手が優しく上下した。


「これは瘴気のせいだ」

「瘴気? それって真帆ちゃんが召喚された理由の?」

「そうだ」


 瘴気は魔獣を凶暴化させるだけではなく、空気中のマナを吸い取り、それは生命を枯らすという。魔力のない人間は瘴気の影響を受けやすく、対策しなければ衰弱していくというのだ。


「この世界の住民ではない吉乃は人一倍影響が出やすいのかもしれない」

「そんな……それじゃあ、私どうしたら……」


 突然魔力に目覚めることはもちろんなく。対策と言われても、医療のように処方があるのだろうか。考えれば考えるほど不安ばかりが募って、私はカタカタと震える。


「吉乃、歩けるか?」


 ウールドリッジの言葉に、私はそっとソファから床に足を下ろす。ここはどうやら植物園の秘密基地のようで、どうりで心地よかったと納得した。

 けれど、今はそんなことに気を取られている場合ではない。ソファから立とうとしても、足に力が入らないのだ。


「っ……」

「難しいか」


 まるで足が宙に浮いたような、重力を感じない。まるで自分の体ではないようで、不快感が湧いた。


「せ、先生……!」


 怖くて涙が滲みそうになる。彼の上着に縋るようにギュッと握る。


「安心しろ。俺がいる」


 涙を飲み込み彼を見ると、労わる笑みを浮かべてくれている。普段ニヒルな表情ばかりする彼には珍しくて、私はホッとする。


(この人に言われると安心する)


 本当に大丈夫だと思えるのだから私は心の底からウールドリッジを信頼し切っていて、それは私と彼が積み上げてきたものだ。


「吉乃、少し揺れるが我慢しろ」

「っひゃあ!」


 突然視界が変わって体が宙に浮かぶ。膝の下と背中に回されたがっしりとした腕に、カアと頬が熱くなる。


(お、お姫様抱っこ……!)

「先生、重いから……!」

「今はそんなことを気にしている場合じゃない」


 成人女性の重量を運んでいるとは思えない足取りで秘密基地を後に、植物園の奥へと迷いなく進んでいく長い足。急足で揺れるが、それに最大限配慮してくれていることが分かる。


「危ないからちゃんと掴んでいろ」

「は、はい」


 首に腕を回すと、彼の体温に温められた香水の匂いがして、不謹慎ながらドキドキとしてしまう。


(先生、あったかい)


 彼の言葉、体温、感触を感じる。少しだけ上がっている息が、どれだけ私のことを考えてくれているか悟ってしまう。


 そうこうしているうちに、目的地についたのか足を止めるウールドリッジに、私は首元に埋めていた顔を上げると、目の前には小さな滝が流れていた。

 ここはどこだろうか。今まで足を踏み入れたことがない地区だ。

 それに雰囲気が違った。周りの音を飲み込んだようなシン……とした冷たい空気に、本能的に限られた人間しか立ち入ることが許されていない場所だと察する。


「先生、ここは」

「少し待ってくれ」


 ウールドリッジが、私では理解できない不思議な言語の呪文を唱えると、目の間の小さな滝が消え、ガラスの扉が現れた。そして控えめにカチャリ……と鍵が開いた音がする。でも、どこを見ても鍵穴らしいものはなかった。


 ガラスの扉が霧のようになくなり、ウールドリッジは迷いなく足を踏み入れる。植物園とは違うひんやりした澄んだ空気に思わずぶるりと肩が震える。

 大きなガラスの箱の中には、見たこともない植物でいっぱいだった。全てが鉢植えに植えられ、各植物の根は完全に独立していた。


「ここは立ち入り制限がされているエリアだ」

「貴重な植物が置かれているということですか?」

「そうだ。危険な植物もある」

「さっきの呪文が鍵なんですね?」

「理解が早くて助かる。あれは古代魔法呪文だ」


 ウールドリッジの答えに私は合点がいく。だから全くわからなかったのだ。そして、古代魔法呪文を用いなくては入れないエリアに彼は入れる。

 しかし、私をここに連れてきた意味が分からず戸惑っていると、彼は説明もなしに進んでいく。そして一つの花の前で足を止めた。


「そろそろ咲くだろう」


 細く鋭い萼片に包まれた蕾はほのかに白く発光している。見入っていると、雲に覆われていた朧月の光に照らされた花は、その身を綻ばせ始めた。


「わあ……」


 大きな蕾が膨らみ、そして空気を吐き出すかのように一枚ずつ花開いていく。花片は細長く半透明の結晶質で、ガラスのように硬質と思えば、そうでもないらしく花らしく先端は反りかえっている。


「綺麗……」


 星のように輝く花に、私は見惚れてしまった。


「これは月晶花という。一般呼称はノクスレアだ」

「こんなに綺麗な花があるなんて……」

「この花に触れてみろ」

「え?!」


 今しがた咲いたばかりの花に触れるのを躊躇う。こんなに美しく繊細なものに顔を近づけるのも怖いのに。

 けれど、ウールドリッジは私の体を強制的に近づけて、恐々と人差し指で僅かに触れると、ノクスレアはパア……と光る。花粉が粒子となり私の指先の周りに触れると花芯へと戻って行った。


「吉乃、降ろすぞ」


 私と花の両方を窺っていたウールドリッジは、そっと私を地面に近づけ、まだ怖い私は彼の首に腕を回して、そっと足をつけた。


「たて、ます」


 ホッとしたのは彼だった。深い縦皺を刻んでいた眉間から力が抜けている。


「あの、先生どうして?」


 花に触れた瞬間に体に力が戻った。こんなに不思議なことは初めてで、私は戸惑う。

 すると、ウールドリッジが「これはな」と薄い唇を開く。


「瘴気を吸い込み、魔素を作る植物だ。吉乃を侵していた瘴気をこいつに食わせたというわけだ」

「食わせたって……そうだったんですか」


 元の世界にはない効果を持つ花に驚きながら、命の恩人と言っても良い花を見つめる。こんなに美しい花があるなんて……。


「こんなにすごい花があるのなら、たくさん植えれば瘴気の問題は解決するんじゃ?」

「何のためにここにあると思う? 希少種で繁殖力が低い」

「なるほど。……でも、そんな希少な花に、それよりも立ち入り制限がされているエリアに私を連れてきて大丈夫だったんですか?」


 ウールドリッジの判断は学園とは関係ない。それは学園長から怒られるどころではない処分があるだろう。


「……それどころじゃなかった。まあ、言い訳はどうにでも出来る」

「そうですか。……ありがとうございます」


 腰を曲げてお辞儀をして、何かあれば私も学園長に一緒に謝罪すると決める。命の恩人一人に責任を負わせるわけにはいかない。それに、私を心配して起こしてくれた行動に感謝もしている。


「心配してくれたんですね」

「……当たり前だろう。こんなことは二度とごめんだ」

「ごめんなさい。……キャ!」


 突然視界が暗くなる。先ほどよりも濃厚に香る香水に混じった汗の匂いに息がつまる。


「……無事でよかった」


 不安が滲んだ声に、胸がどうしようもなく締め付けられる。後頭部を抑えられ、抱きしめられた心地に、彼の背中に腕を回して良いのか迷った。


(抱きしめ返したい。でも、いいの?)


 躊躇いを押し除けて、私はそっと手を回す。初めて抱きしめた彼の背中は想像より大きく、汗が滲んだシャツに彼に与えた不安を悟って、私は目を閉じた。


読んでくださりありがとうございます。

ブクマに追加、評価を頂けたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。